Fligit33‐右手には憎悪を、左手には純潔を
どさっ、と音がしたです。
砂袋を落としたようだけれど、中身のせいで嫌に湿っぽくて生々しい音。
それは、人体が力なく倒れる音。
今まで生きてきた中で何度も聞いた音なのに、今回の音は異様に耳の中で響いているです。
「……呆気ないものだな」
その虚しさを含んだ呟きの後、仰向けに倒れたセンパイの胸から黒刃が勝手に引き抜かれ、空を舞ってから百爪の手元へ戻るです。
夜の緩い風に乗って、黒みの多い血が放つ特有の匂いが、私の所にまで届くです。
私の左手の傷口からの匂いとは違う、生命の近くを流れる血が持つ、死の香り。
四谷に入るまではことあるごとに嗅いでいた赤色の鉄臭い匂いが、今ではとっても懐かしいです。
「あぁ……そう、懐かしいですね。いつの間にか、懐かしくなってたですよ」
懐かしいだけ……記憶として私自身に刻みこまれ、消えることはないです。
自分の聴覚や嗅覚が、死というものを忘れてないことを気づかされ、心の中で大きくため息を吐くです。
そして、血濡れの左手で外れたままだった右肩に触れて――ねじ込む。
「――っあ」
言い表せない痛みと骨と骨が削り合う音が身体を走る中、必要な動きができることを確認するです。
……私の心は、先パイの死に対して、ため息を吐けるほど落ちついているです。
別に、ショックのあまりおかしくなった訳じゃないです。
ただ、戻ってきただけです……私があるべき場所に。
「……百爪」
私の呼び掛けに、先輩との延長線上に立ち尽くしていた百爪は、黒い帽子に隠された顔をこちらに向けてきたです。
そして――なんの前触れもなく片腕が振るわれたです。
そして飛ぶ、四重の黒刃。
「『紛』。その本分は糸による投擲物の誘導……あなたのそれは、暗殺者として一流の技術です。でも……」
その刃は距離がほとんどないため、ほぼ一瞬で私の面前まで迫ってきた黒刃。
右半身を後ろにずらすことで、それを最低限の動作で避けるです。
しかし、紙一重の動きは、代償として右目の下に小さな痛みを走らせる。
「その性質上、操作と誘導との間に時間差が生じるため、対象の動きを先読みできないといけないです。つまり、こういった先の読みづらい微細な動きには対応しにくいです」
そう言ってから、私は刃の通過した空に向かって右手を振り上げるです。
その瞬間、小さくも耳障りな高音が空間を斬り裂く。
そして――それは『紛』の根本を斬る音でもあったです。
「そして、操作肢と誘導物を繋ぐ糸が切れれば誘導は不可能となるです」
私は話しながら姿勢を百爪の方へ戻し、地面を蹴って跳ぶです。
左頬を伝う血を拭う暇もなく、倒れるセンパイを飛び越えて固く冷たい地面に着地するです。
血の匂いが充満するこの場で、私は体ごと回るように右腕を振るい――標的をセンパイへと変えた四重の刃を打ち払う。
「私が避けてから糸を斬るまでの間に、ここまで誘導したですか……さすがですね」
「君こそ、私に反射的に仕掛けさせる殺気と、この糸を切る力量に技量……そして、その右腕……いや、その剣はなんだ?」
「あぁ、これのことですか?」
私は右腕を自らの目の前に上げるです。
その右腕は、いつも見ている私自身の腕となんら変わりないです。
ただ、身につけていた小手と腕の間から一本の黒い剣が生えているこの右腕は、普通の腕にはどう間違えても見えることはないです。
「あなたなら知ってるですよね? 私の『右腕』と美空の『左腕』が義肢だってこと」
「……起源の時から手を繋ぎし、奇形なる陰陽の双子。倭玖羅の血が受け継ぎし罪の結果」
「酷い言われようですね。世間一般では結合双生児って言うんですよ。まぁ、罪の結果というのは、否定しないですけど」
そう、私と美空は濃すぎる血ゆえに、二つの命、二つの意志を持った、一つの身体としてこの世に生まれてきたです。
互いの片前腕が繋がっていた私達は、物心つく前に身体を分けられたですが、同じ血が流れていた美空は、私にとって大切な妹であり、同時に私自身の半身でもあるのです。
そんな出生から、私は右腕を、美空は左腕を義肢で補い生きてきた……それは倭国の影人に属する者なら、ほとんど知っている事実です。
「……でも、あなたは知らなくて当然ですよ。この、私の切り札はね」
私は右腕の小手を外し、その下の破けてしまった擬似人皮を取り去るです。
乾いた音を立てながら肘から先の皮が剥がれ、外界に曝される硬質な黒鋼。
明らかに機械的でありながら、同時に人の腕としか表現できない異形の右腕。
そして、一番の特徴は肉厚幅広の刀身を持つ、黒い両刃の剣。
ナイフにしては長く、刀剣としてはかなり短い長さを有したそれは、手首の部分から手の甲に沿うようにして生えていたです。
「生体兵器義肢、型式〇伍番。別名黒百合。機械偏愛技師の作った、最高の義肢ですよ」
――とある天才機械技師が一つの義肢を見て触発され、試作段階のそれを実用段階まで持っていったです。
神経と義肢内の回路を繋ぐことで、神経を流れる微弱な電気を受け、装着者の意志通りの動作が可能とした、最先端さえ超えた技術。
しかし、その変態的な性格の技師の意向によって、その技術が表に出ることはなく、作品自体も希少とされてるです。
そして、その数少ない作品、しかも特注の一品が私の右腕としてこの場にあったです。
「黒き剣……まるで、君の妹のようだな。二つ名通りであり――憎悪で染まっている」
「えぇ、あの変態技師曰く、これは美空と常に一緒にいることを意味しているらしいです。ですから、この剣は美空が恨んでる相手……センパイに向けるべきなんですけどね」
……私の後ろで倒れてるセンパイ。
血溜りに沈むその体は、今すぐに安全な場所に連れていって、適切な処置をすれば助かるかもしれないです。
けど、百爪相手にそんな余裕はないですし……両親の仇を助けるなんて、今までの私や美空を否定することになるです。
だから、私はこの手を差し出さず、この手を下さない。
自分でも卑怯な選択だと思うですが、センパイが死んでいくのを傍観するです……それが両方を裏切らず、両方から逃げる選択肢。
だから、私は私の弱さの償いとして、センパイが人のまま死にいけるよう、この剣を振るうです。
「私の敵はあなたです。せいぜい楽しんでくださいです」
「……いいだろう。せいぜい付け焼き刃でないことを祈るぞ」
そういって、百爪は片腕を広げる形で黒刃を構えたです。
私も黒剣の剣先を百爪に向けたまま地面スレスレまで下げるように右腕を構え、腰を下げて姿勢を低くするです。
そして……呟く。
「付け焼き刃ですか……あなたは勘違いしてるですね。この腕は、私と対となる者の二つ名を有する黒き剣なんですよ? あなたの敵は私じゃない」
この剣は一人で振るうものではないんです。
切り札は最も適した時に切るから切り札であり、剣は盾があってこそ最大の力を発揮することができるです。
つまり――黒き剣を向けたその時点で、この戦いは一対一ではないんです。
「つまり……貴様の敵は私達ということだ」
私でない声とともに、百爪の後ろにゆらりと姿を現す黒い影。
そして、闇夜の中で白く浮かびあがる、左腕の人形。
私の右腕とは、まるで正反対の――
「……甘い」
百爪は瞬時に体を翻したです。
振り返りざまに影へと振るわれる、指の間に挟まれた四重の黒刃。
「誰が甘いんだ?」
まるで巨獣の爪のような斬撃を白い腕が受け――刹那、斬撃は甲高い金属音とともに上に弾かれ、黒刃が百爪の手から離れたです。
その時、既に私は飛ぶように疾走し、百爪を自らの間合いに捉えていたです。
そして右腕を振り上げ、下からすくい上げるような突きを――
「小賢しいッ」
百爪が動き、上げられていた片腕が振り下ろされるです。
その動きに合わせ、弾かれて空中に浮いていた黒刃が垂直に落下。
私は突き上げる剣の軌道をずらし、自分に向かってくる四つの黒刃をすべて弾くです。
そして、そのまま右腕を大きく振るい、糸を斬って黒刃を落とす。
糸を斬るためとはいえ、派手な動きをしたために生まれた隙。
その隙を確実に狙い、私の頭部に潰すが如く突き出される百爪の拳……でも、私に防御は必要ないです。
「そんなこと、させると思うかッ」
私と百爪の間に割って入る影。
その影は、私の代わりにその拳を受ける。
そして――百爪の巨体が不自然に吹き飛ぶ。
吹き飛んだ百爪は私達から距離をおいて着地をし、血らしき液体が滴り歪に変形している『潰れた』拳を、もう片方の手で庇うように押さえるです。
二つに束ねた黒髪を揺らし、私に背を向けて百爪と対峙する影の正体は、私の右腕の元となる二つ名を持った私の妹――美空。
「私がいる限り、姉さんには指一本触れられると思うな」
その左腕は――黒百合と対をなす、型式〇陸番、別名白百合。
その意図から、私の右腕と酷似した形状をしているです。
違いを上げるなら三点。
穢れを感じさせない、純粋かつ純潔の純白。
鏡写しのような、左腕としての形状。
そして、手首から飛び出している、扇子のような形状をした――白き盾。
「……なるほど。それが白盾、というわけか」
「ご名答。この盾に斬撃や打撃は無意味。斬撃はあらぬ方向に弾き返され、打撃はその威力まで跳ね返される」
美空が言葉の締めに左腕を振るったとたん、白い盾はパンッ、という音とともに折り畳まれ、まるで笏のような形状になるです。
そして――美空の姿が消える。
「――ぐッ」
次に美空が現れたのは、百爪の目の前。
懐に入り込んだ美空が突き出した左腕……正確には変形した白盾が、百爪の腹部に深々とめり込んでいたです。
「その代わり、この盾による打撃は、本来の何倍にも増加する……一発の借りは返したぞ」
「ぐぬ……ッ!」
苦しみながらも振るわれた百爪の反撃を後ろに跳んで避け、そのまま私の隣まで後退した美空。
嫌な胸騒ぎを感じていたですから、美空の身を心配してたですが……いつも通りの冷静な横顔を見て、私は一安心するです。
「姉さん、状況は百爪が本性を現したって解釈して間違えない?」
「そうですね……って、なんで美空がそのことを知ってるですか?」
「たぶん、姉さんと同じ。残りの説明は後になるけど、今は百爪と対峙することになる。次の接触を合図に、和泉が遠呂智の身柄をこの場から運び出すけど、姉さんは異論ない?」
「和泉センパイですか……こっちとしては、色々気になって仕方ないですけど――異論はないですよ。説明を聞いてからなんて、悠長なこと言ってはいられないみたいですしね」
美空の攻撃を受けた百爪は、確実に痛手を負ったはずですけど、すでに片手に新たな黒刃を持ち、体勢を立て直しているです。
なぜ、和泉センパイがここにいるのか……そして、なぜ、私より大きな恨みを持った美空が、その対象であるセンパイを助けることに異論がないのか……ますます気になることが増えて、早く説明してほしいところですけど、私はそれらすべて飲み込むです。
そして、先ほどと同じように刃先を地面と紙一重まで下げ、姿勢を低く構えるです。
美空は再び白盾を扇状に開き、私のような分かりやすい構えは取らず、ただ直立の姿勢を保っているです。
これで、互いの準備は整ったです。
後は、どちらが先に仕掛けるか……精神を集中させ相手の隙、もしくは踏み込むきっかけを探り合う。
「……いや、助けるんでしたら、早い方がいいですよね」
私は探り合いをやめ、足にためていた力を解放して地を蹴り、その一蹴りで一直線に百爪へ迫る。
そして、間合いに入り込む寸前でもう一度地を蹴り、その肩に刃が届く高さまで跳び上がると同時に、下げていた右腕を振り上げ、その巨躯に向かって袈裟に振り下ろし――その結果、刃と刃がぶつかり合う。
私の黒剣と百爪の黒刃――黒き凶器の衝突で、お互いの顔が数センチ前にまで迫る。
その火花を散らすような金属音に乗せて、私は帽子に隠れた百爪の顔に向かって笑いかけたです。
「――取りあえず、私も左手の借りを返させてもらうですよ」
お久しぶりでございます。義肢キャラが大好きな神酒です。
私の他作品をご覧になったことのある方ならお分かりでしょうが、この作品でも義肢キャラ登場です。しかも、ちょっとした繋がりがあったりします。しかし、フルメタルなアルケミストではありませんのであしからず。
今回の双子は、片腕が義肢でした(腕と言っても肘から先ですが)。私的に義肢とは『失ったものを補う物』、もしくは『自分とは違う一つの肉体の在り方』と考えています。ですから、私の作中の義肢は人の手足と同じように動き。二人の場合は切り離された腕にお互いの二つ名に合わせた義肢をつけています。その他の剣やら盾のギミックは……趣味です。
次回更新は早く……したいです、はい。
それでは、また。