Flight12‐眠る姫と深紅瞳の嘘吐き
眠ってる美海さんをおんぶして自宅に帰ると、玄関で出迎えてくれた矢沢君が僕を見た瞬間、固まった。
それはまるで、北欧神話のメデューサに見入られ、石化してしまったように。
それはまるで、不倫の証拠を突きつけられ、思考が停止した夫のように。
それはまるで、保険医の彩さんに迫って、眉間に麻酔注射を射たれた男のように。
まぁ、矢沢君は綺麗な顔してるから、つっついても動かない姿はまるでお人形さんのようだ。
…どっちかって言えば、男の子と言うより女の子の人形だけど。
そして、現在進行形で固まってるけど、自然解凍するまで放置プレイにしておく。
「………すぅ……すぅ…」
そして今、一階の空き部屋に布団をしいて、そこに美海さんを寝させたところだ。
ゆっくりとした寝息を立ててる分、しばらくは起きないだろう。
「さてと……これからどうするかな」
僕は、自分の髪を縛った黒革の紐を解きながら考える。
矢沢君は固まっちゃってるし、美海さんは寝てるし……
…よし、取りあえず夕飯作ろう!
「確か、昨日の豆腐ステーキど余ったお豆腐が残ってるはずだから……今日の夕飯は麻婆豆腐だ♪」
僕は美海さんを置いて和室を後にし、台所に向かった。
………矢沢くんが解凍されたのは、それから三十分後の事だった。
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……寂しいです
なんで、みんな遊んでくれないです?
……悲しいです
なんで、みんな離れていくです?
……苦しいです
なんで、みんな苛めるです?
ママ! パパ! 美空! 私を置いていかないでです!
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「いや、あの時はびっくりしちゃいました。いきなり帰ってきたらと思ったら、美海さんを背負ってるんですもん」
「あはは……。確かに、誘拐してるようにも見えるかも」
「それはないです! 伊達さんが誘拐なんてことしそうには見えません。むしろ、優しい兄に見えますよ」
「ん、ありがと」
僕と矢沢くんは、夕飯を食べ終えてから、リビングのテーブルでたわいのない話をしていた。
『食事はみんなで食べたほうが美味しい』って言うのは、こういう時間もあるからだと僕は思う。
「さて…じゃぁ、食器洗っちゃおっか」
「あ、待ってください」
僕が腕まくりをしながら席を立とうとすると、矢沢くんに止められた。
「なに?」
「今日は僕が洗い物します」
「えっ、いいよ。そんなに気をつかわなくても」
「遠慮しないでください。それに毎日お弁当を作ってもらってるんですから、その恩返しです」
そう言って、矢沢くんは食事の終わったの食器を持って、笑顔で台所に消えていった。
……あぁ、とってもえぇ子やわぁ。
きっと将来、いいお嫁…いや、いいお婿さんになるな。
「さて…じゃあ、お言葉に甘えることにしますか」
椅子に掛け直した僕は、深呼吸をしてゆっくりと瞳を閉じる。
そして、僕はゆっくりと堕ちていく。
深層心理の奥底へと……
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「って、待ちきれなかったのかな?」
黒に塗り潰されたような真っ暗な精神のたまり場には、僕が念じる前から一つの扉があった。
その扉は『黒猫』の部屋へと繋がる扉じゃない。
黒い空間に嫌でも栄える真っ赤な扉には、違和感のない金色のノブがついていた。
その派手な色以外はおかしくない普通の扉……
しかし、その扉は押しても引いても開かないことを、僕はすでに知っている。
「まったく……この扉はなんでこう偏屈なんだろ」
ただ一枚の板に文句を言いながら、僕はノブを握る。
押してもダメ。引いてもダメ。。だったら……
「…スライドさせてみろってな」
僕はノブを回転させながら、そのノブを横にスライドさせる。
すると、ドアはすんなりと動いて、中へと続く入り口を開く。
扉の中は、一昔前の監獄のように四方を風化を始めたコンクリートで固められ、その古びた壁には植物が伝っていて、毒々しいほど赤い薔薇のような花が所々に咲いていた。
そして、その部屋に備えつけられた鉄格子つきの窓から、三日月より細い月の赤い月明かりが、闇の世界を赤黒く染めていた。
「まぁ、主が偏屈っていうのが、この扉に現われてるな」
[偏屈とは失礼ですね]
この部屋の真ん中には、部屋の主…真っ白な蛇がいた。
その蛇はマムシ程の大きさで、とぐろを巻いてる胴体の真ん中から、首をもたげてこっちを向いている。
僕はその蛇にゆっくりと近づき、目の前で足を止めて、よく観察できるように片膝を床について屈む。
[私は偏屈などではなく、筋金入りの嘘吐きですよ]
「それじゃあ、君の筋金は相当軟弱なんだろうね」
[えぇ、嘘吐きですから、入っていてもいなくても同じようなものです]
自分のことを嘘吐きと言う蛇は、目を細めながら赤い舌をチロチロ出している。
「で、なんで君は僕が来る前に入り口を繋げた?」
[理由はありません。気分ですね]
「嘘だよね」
[はい、嘘です]
僕の指摘をものともせずに、蛇は自分の嘘を堂々と認める。
…なんてタチの悪い性格だろう。
[タチの悪いとは失礼ですね]
「……僕の考えていることを読まないでくれないか?」
[いえ、これは私の勘であり、貴方の思考を読んだのではありません]
僕のことを見る蛇の瞳は、周囲の薔薇や空の月、その舌よりも深い深い赤色をしていて、僕のことを見透かしているようだった。
そしてその瞳から感じる光は、世界を敵に回しても揺らぐことなく嘘をつける自信を放っていた。
……こういう存在が、本当の最低なだろうなと思う。
[最低とは失礼ですね。私は最高の嘘吐きです]
「…もういいや、本題に入ろうよ」
[分かっています]
平凡な僕は、嘘吐きの蛇にペースを乱されながら、なんとか話をすることにした。