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テナ&プーヴァと厄介な客人  作者: 宇部 松清
2、イベントを楽しむというのは、どうにもくすぐったい感じがする。
10/29

客人No4 彼女の美味しいご飯・前編

 一月が終わり、二月が始まった。その日もまた大荒れの天気であった。風が強く、窓がガタガタと鳴っている。時刻は午後二時五十五分。そろそろ三時のおやつである。今日は一体何だろう、とテナが胸を躍らせていると、キッチンからのそりのそりと白熊のプーヴァが歩いてくる。得意気な顔をして、両手でトレイを持っているが、その上に何が乗せられているのか、テナには見えない。

「プーヴァ、今日は一体何?」

「ふふふ。今日はね」

 そう言いながら、テーブルの上にゆっくりとトレイを置く。そこにはハチミツ入りのホットミルクが入ったカップが二つと……。

「わぁっ、シュークリーム! すごい! 大きい! 美味しそう!」

「こないだ街で買ってきたやつ、テナがすごく美味しそうに食べてたからさ。作り方を聞いてきたんだ」

 プーヴァはそう言って胸を張った。彼の首にはテナがプレゼントした雪の結晶のペンダントが掛けられている。

 テナは目をキラキラさせて添えられたフォークなど使わず、両手でシュークリームをつかむと、大口を開けてかぶりついた。中に入っているカスタードクリームがその反対側からはみ出てくる。テナは慌てて反対側のクリームを舐めとった。バニラの香りがふわりと鼻から抜ける。甘いけど、甘すぎない。プーヴァが買ってきてくれたシュークリームも美味しかったが、彼が作った物はどうしてこんなにも自分の好みの味なんだろう、とテナは思った。

 プーヴァは、テナが一言も発さずに目を細めてもぐもぐと食べている姿を複雑な思いで見つめている。いつもなら、彼女は「美味しい、美味しい」と言いながら食べるというのに、今日は何も言ってくれない。目を細めるのは、彼女が幸せと感じている時の表情でもあるが、呆れている時も同様に目を細める時があるのだ。

 もしかして、美味しくなかったかな。やっぱり、お店の味には敵わないのかな。彼はミルクのカップに口をつけながらも、気が気ではない。やがて、テナは自分の拳よりも大きなシュークリームを平らげ、少し冷めたホットミルクをごくごくと飲んだ。カップがテーブルの上に戻され、ふぅ、と息を吐く。プーヴァはごくりと息を呑んだ。

「ああ、美味しかった! プーヴァは料理の天才だね!」

 その言葉にプーヴァはホッとして脱力する。そこでやっと、そうする許可でも下りたかのように自分のシュークリームに手を伸ばしたのだった。


 そのいかにも不健康そうな男が小屋を訪ねてきたのは、その翌日、風の穏やかな日のことである。二月となると、世間は、ヴァレンタインなる女性が想いを寄せる男性にチョコレートを渡すというイベント一色であったが、テナがチョコを買いに出るわけもなく、また、プーヴァの城であるキッチンに入り、お菓子を作るなどということもなく、その日もそこに立っているのはプーヴァであった。

 風の音に紛れて、コンコンという控えめなノックの音がしたが、キッチンでせわしなくお菓子作りに勤しんでいた彼はそれに気が付かない。巷ではヴァレンタイン一色だから、というわけではないが、ついついチョコレートを使ったものを作りたくなってしまい、真っ白い毛皮をところどころ茶色く染めながら水が入ったりしないよう慎重に湯煎で溶かしているところだった。

「プーヴァ、お客さんかも」

 ぶっきらぼうなテナの声が聞こえ、彼はエプロンをつけたまま、いそいそと玄関に向かう。手や顔には飛び散ったチョコレートがついたままだったが、久しぶりの客人とあらば、歓迎しなくてはならない。

「はいはい、いま出ます」

 プーヴァはそう言いながら、ドアノブに手を掛けた。そこで一度深呼吸し、いつものように明るく、ハキハキと、出来るだけの笑顔と共に「いらっしゃいませ」と言って、扉を開けた。

 ドアの向こうにいたのは、見るからに不健康そうな男である。ろくに物を食べていないのか、頬は痩せこけ、毛糸の帽子からはみ出ている髪の毛はぱさぱさとしていて、これは寒さのためかもしれないが、唇も真っ青になっている。男はしばらく自分を出迎えた白熊に唖然としていたが、ああ、という言葉を発して、目を回してしまった。

 プーヴァは今回も自分の精一杯の『気遣い』が通用しなかったことにがっくりと肩を落としながらも、倒れ込んできた男を担ぎあげて暖炉の前に寝かせた。テナと協力してコートと帽子を脱がせると、毛布を運んできて掛ける。それから、途中だったお菓子作りを再開しながら、昼食の残りのポトフに火を入れた。

 テナはちらちらと男の様子を気にしながらもペースを落とさずに編み物をしている。あともう少しで男物の帽子が出来上がる。プーヴァから、「ヴァレンタインのプレゼント用に、男性用の物を作ったら売れるよ」と言われたのだ。前日の十三日に、プーヴァの手作りチョコと共に売りに行く予定である。

 ポトフが温まってくると、仕切りなどないので、部屋中に温かなコンソメの香りが充満する。男はふんふんと鼻を鳴らしながらうっすらと目を開けた。目の前には赤々とした暖炉の火があり、少しだけ視線をあげると、自分が着ていたはずのコートが壁に取り付けられたポールに掛けられている。身体には毛布まで掛けられており、一体どうしたことだろう、と振り返ってみると、きょとんとした表情でこちらを見つめている少女がいる。

「気が付いた? お腹空いてない? 残り物で悪いけど、プーヴァのポトフは絶品よ」

 少女はそう言うと、奥にあるキッチンに向かって声を上げた。「プーヴァ、気が付いたよ!」

 奥にまだ人がいるのか。そう思って、身体を起こしながら、死角となっているキッチンの方へ視線を向ける。「はーい」という声と共にひょっこり顔を出したのは、大きな白熊であった。

「ひぃっ!」

 男は浮かせかけた尻を再度床に下ろし、じたばたと手足を動かしてどうにか逃げようと後退りするものの、彼の背後にあるのは、炎燃え盛る暖炉である。

 やっぱりここは魔女の小屋だったんだ。見たところ、魔女は不在のようだが、この少女と白熊が彼女の代わりに人間を捕えるのだろう。そう思って、男はだらだらと涙を流し、這うようにして玄関に向かおうとした。しかし、白熊はあっという間に自分の目の前に移動してきており、ご丁寧にしゃがみ込んで、手に持ったポトフ入りの皿を差し出してくる。空腹だった男は鼻腔をくすぐるコンソメの香りに思わず手を伸ばしかけたが、その白熊の手に何やら茶色いものがこびりついているのを見て、慌てて手を引っ込めた。「血っ……!」

 プーヴァはその言葉でちらりと自分の手を見る。何てことはない、それは飛び散ったチョコレートが固まったものだったが、成る程、そういう風にも見えてしまうかもしれない、と思った。

「落ち着きなよ。その子はね、人間を襲ったりしないよ。第一、あなたをここまで運んだり、毛布を掛けたりしたのはプーヴァなんだから」

 少女の声が聞こえ、そちらを向いてみると、彼女は呆れたような顔でテーブルに頬杖をついている。再度、前方に視線を向けると、プーヴァと呼ばれた白熊はこくこくと何度も首を縦に振っていた。恐る恐る皿に手を伸ばして受け取ると、白熊はテーブルを指差した。どうやら、座って食え、ということらしい。男は白熊から視線を逸らさず、そろりそろりとテーブルに着いた。椅子に座るや否や、彼のためにスプーンと温かい紅茶が運ばれてくる。どうしてこの白熊はこんなにも自分に良くしてくれるのだろうと考えながら、スープをひと匙すくって口に運ぶと、もうそこから先はちまちまと一口ずつ食べてなどいられないと思い、皿に口をつけて中の具ごとかきこんでいた。それほどに美味なポトフであった。

 腹が膨れると、この奇妙な状況にも少し慣れてくる。男は目当ての魔女様は一体どこに潜んでいるのだろうと、辺りをキョロキョロと見回した。

「もしかして、『魔女様』を探してる?」

 先ほどから自分の斜め前に座っている少女は白熊の運んできたホットミルクを少しずつ飲みながら、男に問いかけた。彼は、自分の心が読まれたことに少しどきりとしながらも、おずおずと頷く。気付けば彼女の隣、つまり彼の真正面には白熊が着席していた。

「それなら、あたしなんだよね、申し訳ないけど」

 少女はため息交じりにそう言うと、「で、ご用件は?」と続けた。

 こんな女の子が? と目を見開き、口をパクパクさせていると、白熊までもが「どうぞ、お話ください」と急かすのである。

 男は観念したように話し始めた。



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