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テナ&プーヴァと厄介な客人  作者: 宇部 松清
1、あのテナが魔女としての一歩を踏み出してくれた。
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北の森の魔女

 その森は、ゴラゴラの街から北へ十キロ程進んだところにあり、街の人達は『魔女の森』と呼んでいる。

 伝説や迷信などといったものではなく、実際に魔女が住んでいるのだ。

 数百年も昔にはやはりこの国でも『魔女狩り』なる悪習があり、この森に住んでいた多くの魔女が謂れの無い罪で火あぶりにされたという。魔女狩りを恐れ、他の国へ逃げた者も多くいたが、姿を消す薬を作れるような熟練の魔女は住み慣れたこの地にとどまったらしい。

 近年になって、その悪しき風習が廃れると、この森に住む魔女の数も増えるだろうと思われたが、実際はその逆で、この北の森に住む魔女はマァゴという齢を百も超えたであろう魔女とその孫娘のテナのみであった。しかしそのマァゴも、

「ちょいと旅に出るよ」

 と言って家のことをテナに任せてふらりと出て行ってしまった。だから、現在、この森に住んでいる魔女はテナ一人である。

 テナは十二歳になったばかりである。

 彼女はマァゴが建てた丸太小屋に住んでいる。一見、二階の無い平屋の造りなのだが地下室があり、そこには数えきれないほどの書物が保管されている。子供が読みそうな童話などは一冊もなく、大半が魔法関連の専門書でそれ以外は動植物の図鑑等である。しかし、テナがその地下室に足を踏み入れることはほとんどない。

「だって、地下は寒いし、あたしはこのままでいいもの」

 これがテナの言い分である。

 魔女が年を重ねるには条件がある。

 それは『魔法の知識』だ。

 人間のように、誕生日を迎えれば自動的に年を取るというわけではない。魔法の知識を身に着けることで、魔女としてのレベルが上がる。それが魔女にとっての『年を取る』ということなのである。

 テナは人間でいうと、優に三十歳は過ぎている。しかし、不真面目な彼女は魔法の勉強をさぼりにさぼり、マァゴが使っていた箒を使わなければ空を飛ぶことすら出来ないという体たらくであった。

 小屋には居候がいる。白熊のプーヴァである。森の中で母親とはぐれていたところをマァゴが保護し、雑用係として育てたのだった。家事の中では料理が一番得意で、その中でも得意なのは煮込み料理だ。彼がコトコトとじっくり時間をかけて作ったシチューやスープは絶品である。

 意思の疎通に関しては、マァゴが人語を与えてくれたので、特に問題はなかった。

 しかし、マァゴが出て行って三日目、二人(厳密には一人と一頭なのだが、二足歩行しているし人語もしゃべるので、便宜上、人、とカウントすることにする)はある問題に直面した。

 食料が尽きてきたのである。

 それでもプーヴァが川から釣って来た魚や、庭の温室で育てている野菜や果物で凌ぐことは出来る。しかし、小麦や牛の乳、卵はどうにもならない。肉もその辺のシカやウサギを捕まえることは出来るのだが、いかんせん捌く技術が無い。プーヴァは生のままかぶりつけるのだが、テナはそうもいかないのだ。

 やむを得ずテナが趣味で編んだ帽子や手袋、それから刺繍の入ったハンカチに、木で作った模型の飛行機を売ることにした。問題は、それを誰が売りに行くのか、ということである。

「あたしは絶対いや! 魔女っていうのはね、ほいほいと人前に出るもんじゃないの!」

 テナは自分に都合のいい時だけ魔女になるのだった。

「だからといって、僕がこのまま街に行ったら銃で撃たれて終わりだよ。物を売りに行くつもりが、逆に商品として並んじゃうことになるけど」

 プーヴァも負けじと反論した。テナにもう一つ年をとらせるいい機会だと、彼はここぞとばかりに一冊の本を手渡す。

「……何よ、これ」

 表紙を見てみると、何てことはないただの魔法薬の本である。地下室には頑なに足を踏み入れようとしないテナに代わって、書物の管理はプーヴァが行っている。試しに一冊読んでみると、これが案外面白い。残念なのは、彼が魔女ではないという点である。材料を用意することは出来る。その手順だって空で言えるものもある。ただ、彼にはそれを完成させる魔法の力が無い。

 残念だなぁ、と彼は地下室で書物に目を通す度につぶやいた。もしも僕に魔法の力があったなら、きっとテナよりも優秀な魔女になれるのに。あれ、でも僕オスだよなぁ。オスの魔女って何て言うんだろ。

「見てわからない? 魔法薬の書だよ。これにはね、動物を人間の姿に変える『へんしん薬』の作り方が載ってるんだ」

「あっそう」

「あっそう、じゃないよ、テナ。もし君が『へんしん薬』を作ってくれたら、僕が街に売りに行けるじゃないか。人間だったら銃で撃たれたりしないだろ? 君の暇つぶしのがらくたを、僕が食物を買うお金に変えて来てあげるよ」

「がらくたとは、ずいぶんな言いぐさね」

「事実だろ? テナは作った帽子や手袋を使っているかい? 一歩も外へ出ないのに。刺繍入りのハンカチはどう? 人に会う機会もないけどね。ああ、それから模型の飛行機も……」

「うるさいなぁ、わかったわよ」

 容赦ないプーヴァの攻撃に辟易し、しぶしぶページをめくる。さすがに書かれていることは理解できるものの、魔法薬などそう簡単に作れるわけではない。テナは大きくため息をつき、助けを求めるようにプーヴァを見上げた。彼の身長は二百二十センチメートル。対してテナは百五十センチメートルしかない。その差七十センチ。上目遣いなど意識せずとも、勝手にそうなる。そして彼はこの上目遣いというやつに結構弱い。そもそもテナは自分の恩人の孫なのである。マァゴに対して並々ならぬ恩義を感じている彼は、その孫であるテナの頼みを断れるはずがない。もちろん、ずる賢いテナはそんなことなどお見通しだ。

「仕方ないなぁ」


 魔法薬が完成するまではひたすら魚と野菜で食いつなぎ、デザートも加工なしの果物で我慢した。いつもプーヴァの手作りスイーツを密かに楽しみにしていたテナも今回ばかりは不満を漏らさなかった。

 魔法薬作りに着手すること二週間、ついにそれは完成した。

 プーヴァは出来上がったばかりの魔法薬を前にごくりと唾を飲み込んだ。

「何してんの。早く飲みなさいよ」

 テナはそう言って急かしてくるが、師匠であるマァゴがいない状態で作った魔法薬を飲むというのはなかなか勇気のいるものである。グラスになみなみと注がれたそれは、向こうの景色がわからないほどに濁っていて、その上、いかにも苦そうな緑色をしているのだ。鼻を近づけてみると、最後に入れた薬草の香りがツンと粘膜を刺激する。

「材料を揃えたのも、本を読みながら手順を教えたのもプーヴァでしょ」

「そうだけど……。でも、最後の仕上げはテナだよね」

「デカい図体してビビってんじゃないわよ」

「身体の大きさは白熊としては普通だよ。せめて錠剤だったらなぁ……」

 プーヴァはグラスを様々な角度から眺めている。しかし、どこから見てもそれのおぞましさは変わらず、何とか身体の奥底に眠っているはずの勇気を奮い起こそうと努力してみるものの、あと一歩が踏み出せない。

「良薬ってのはね、苦いものなのよ。我慢して飲みなさい。あたし、もう生の果物ばっかりは飽きたの! はやくプーヴァの作った玉子たっぷりのプディングが食べたいの!」

 テナは駄々っ子のように両手を振り回してプーヴァを攻撃した。それは彼にとってまったく痛くもかゆくもなかったのだが、初めて自分の特製プディングをリクエストされ、天にも昇る気持ちであった。

 何だよ、いっつもパクパク食べるだけで感想の一つも言ってくれないくせに……。

 そういうことなら、とプーヴァは目をつぶり、息を止めて、一気にその緑色の液体を飲んだ。

 味わうことなく喉に流し込んだつもりだったが、思ったよりも粘度が高く、粘膜に絡みついてなかなか通り過ぎてくれない。しかし、思ったよりも舌に残る味は悪くなく、これくらいなら許容範囲だと思った。

「……どう?」

 口中に残る薬を舌できれいに舐めとった後でゆっくりと目を開け、真ん丸に目を見開いたまま自分を凝視しているテナに問いかける。

 どう? 僕、変わったかな。

 いつものようにテナを見下ろしているのだが、何となく違和感がある。

「テナ、踵の高い靴に変えた?」

 テナはぶんぶんと首を振った。

「じゃ、踏み台使ってる?」

 その問いに対しても、テナは瞬きもせず、無言で首を振るばかりである。

「わかった、背が伸びたんだね!」

「そっ……んなわけないでしょ!」

 テナはやっと口を開いたが、表情は変わらない。目を真ん丸に見開いたままだ。

「プーヴァが縮んだのよ!」

 そう言って、プーヴァの手を取り、それを彼自身に見せつけるように精一杯背伸びをして高く持ち上げた。プーヴァの視界に入るのは、満面の笑みで人間の手を持ちあげているテナである。たしかにテナは彼女のものではない人間の手をつかんでいる。目の前にあるのは人間の手なのに、はっきりと『テナに掴まれている』感触がある。ということは、この人間の手は、僕の手、ということになる。

「僕……、人間になれたの?」

 テナの手を振りほどき、自分の顔に触れてみる。びっしりと覆っているはずの毛皮が無く、皮膚は薄い油の膜を張ったようなしっとりとした感触である。頭に触れると、いままでそこにあったはずの耳が無い。ちゃんとテナの声は聞こえるのに。そう思って、テナの顔を見ると、耳は顔の横についていた。恐る恐るその辺りを探ってみると、やはり毛の無いしっとりとした手触りの不思議な形をしたものがついていた。触れるとガサゴソという音が聞こえ、やはりここが耳であったか、と納得する。

 テナはよいしょ、と言いながら、姿見をプーヴァの目の前に置いた。小柄な彼女ならば全身を映せる大きさだが、彼が全身を映すためには腰を落として身を低くしなければならなかった。

「これが僕かぁ……」

 鏡に映っているのは、雪のように白い肌と髪の成人男性だった。体つきはがっしりとしているが、さすがに白熊の状態よりは縦だけではなく、横幅も縮んだらしい。身に着けていた衣服はぶかぶかになってしまっている。ずり下がって足に絡みついているズボンを上にあげると、これは長さがまったく足りない。まぁ、これくらいは外套でも羽織って誤魔化せばいいだろう。

「じゃ、早速出かけるよ。食料だけじゃなくて、毛糸とか刺繍糸なんかも買ってくるから、テナは次の『売り物』をちゃんと作るんだよ。これくらいは働いてもらわないとね」

 そう言って、明らかに身体に合っていないぶかぶかの外套を羽織り、プーヴァは小屋を出た。

 今日は割と天気がいい。雪ははらはらと降るのみで、風もあまりない。

 この国は、一年中冬なのだ。

 プーヴァを見送ってから、姿見に自分の姿を映してみる。ほんの少し、ほんの少しだけ、髪が伸びたような気がする。右手の小指の付け根がちくりと痛み、ああ、また年を取ってしまったのだと気付いた。


 テナ、十三歳。ハチミツのような色の髪はまだ肩に届かない。しきたり通りの真っ黒いワンピースに身を包み、それでもせめてもの抵抗だとでも言わんばかりにスカートの裾には白熊の刺繍を施している。

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