第三十一回『面沢のコラムその2 小説家とは何なのだろうか?』(読み飛ばしてOK)
三十回と回数を重ねて基本の基本、基礎の基礎が終わったという感じです。
次回からは、文章を書く上での最低限のルールといった物に触れていく形になります。
作家を目指すのであれば、出来て当然という部分に触れていくので、もし出来ていない方はそうだったのかと今後に注意していく部分になります。
余談ではありますが、私はその辺は知っていたものの「別にネットだし、そのへんは適当でいいか!」と思っていたので指摘されました。
その事を今になって文句を言っているのではなく、仮にも『小説家になろう』というサイトに掲載させていただくというのに志が低かったと反省したという話です。
さて、ここで疑問に思うのですが『小説家』というのはどの辺で名乗っていいのでしょうか?
本を出版社を通じて出せば名乗ってもいいのでしょうか、それなら自費出版でも本を出せば名乗っていい事になります。
自費じゃなくても、出版社から本を出せば名乗っていいのか?
そうなると三刷り(三回の増刷)までの売上が悪いと増刷は無く、次作も怪しくなります。
それで食べていけるはずもないので、そこからは元小説家になるのでしょうか?
でも、出版できないだけで意思はあるのに元がつくのだろうか?
本だけで食べて行くとなると、小説家という分野はおそらくプロ野球選手よりも少なくなると思います。
でも、それを言い出すと芸能人というカテゴリーだって怪しくなるわけなのですが。
さらに出版社抱えの作家になると、好きな物を好きなように書くという事も不自由になります。
それではサラリーマンと一緒なのでは、という疑問も湧いてきます。
私は小説家は「なろう」と思ってなれるわけではなく、いつのまにか「なっている」ものだと考えています。
誰かに「アイツは小説家だよ」と言われればそうなのかなと、いうもの。
ただ、これは私の個人の所感なので押し付けるつもりなんて勿論ありません。
以前に「小説家にとって最も必要な事は何ですか?」と問われた事があります。
何でしょうか? 才能、文章力、アイディア、それも勿論重要だと思います。
それも確かに重要ですが、一番重要なのはそれでは無く継続力です。体力と置き換えてもいい。
自費出版だろうが、出版社からだそうが、別にネットで単純に書いているだろうが、何だろうが、そう名乗れるだけの長さが必要だと私は思うのです。
私もいつか「面沢銀は小説家である」と言われたく思いますし。
それよりもこの講座を通じて「小説家」と呼ばれる人が一人でも増えてくれたら嬉しいと感じます。
この講座もまた作品の一つであり、楽しく書くという事を伝える他にも「面沢とサヴァ子の成長物語」として私が楽しみ、そして楽しんでもらえたらと強く思います。
講座としては一つの区切りが終わり、物語としては面沢がいなくなるという事件が起きました。
これらの要素を楽しみながら、今後ともこの講座を楽しんで頂けたら幸いです。




