九・ニーズの街はいかがですか?
ニーズの街に到着したのは結局、外門が閉まる十八時の寸前だった。
仕事帰りや酒場、食堂に向かう人々くらいしか歩いていない時刻に、十四人の行列はいらぬ注目を集めた。賞金にするためヘインの遺体を収めたバカでかい車輪付きの棺を引いていたこともある。
門衛を誤魔化すため棺にかけた関心逸らし呪文の持続時間を誤ったとヴァンは後悔していたが、今さらかけ直すのはまっぴらだった。
「ふ、ふふ……。決めた。明日はオレは何があっても呪文使わんぞ。というか宿で一日休んでるから雑務は全部ルーシャ、お前の仕事な」
「どうしたの? 呪文使いたくないの? 体調でも崩した?」
「どっちかというと心の方だ。マナ使いすぎた。まさか総量の三割も削られるとは思わなかった。てかな、オレだからこの程度で済んでるんだぞ。その辺の魔術師だったら十回はぶっ倒れてなきゃおかしい濫用ぶりだった!」
「自分で使ったんでしょ。マナを蓄えられる物でも使えばよかったのに」
「緑真珠や宝石類なあ。あの類は値段に見合わないんだよ。二回の戦いで消えたぞ、財布を空にして買った分が全部」
レンダルは深く息を吐き出した。
「それでお前たちは無一文だったわけか。金の使い方を知らんのか?」
「無一文は問題なかったんだが、金の使い方についてはその通りだ。次からは換金用の宝石にしよう。それはそうとレンダル、大部屋が空いてそうないい宿を知らないか? 宿代は並の宿の五倍だってかまわない。清潔ででかいとこがいい」
「三階建てで敷地も広い宿がある。高級宿の部類に入るが、評判もいいようだ」
「宿の名前だけ教えてくれ。賞金を受け取ったら地図で場所調べて向かうから。あんたは子供たちと中で待っててくれ。ルーシャ、渋られても首を縦に振らせる程度の金を渡したつもりだ。金貨五枚」
「トンプソンズ・スイート。ここからすぐ近くだ」
「分かった。じゃあ、後でな。ホッグ、換金できる所に案内頼む」
「ロネンティって酒場がありやすので、そこへ」
そんなことを話しつつ、ふたりは消えていった。
***
レンダルたちはほどなくトンプソンズに着いた。子供たちが揃っているのを確かめてから扉を開ける。
汚れた子供たちを従業員は見とがめたが、金貨で折れてすぐに大浴場を使えるよう手配してくれた。
***
それより少し経った頃、ヴァンたちは看板を見ていた。
「ロネンティ──素敵な出会いをあなたに……か? おい、本当にここで間違いないんだろうな?」
「中に入れば分かります! 客は男ばかり! 荒くれ者や腕自慢たちが常連です!」
「この看板は何の偽装だ? ……案外古いな」
「店主に聞いたら分かるんじゃないですか? あ、おいらはここでお待ちして……」
「そのためにはやりたくないが、逃げたら死ぬとかそういう呪いをかける必要が……」
「ご一緒させてくだせえ!」
店に入るとまず、洒落た燭台の真上に巨大で無骨な斧が飾られていたりする無茶苦茶な内装に目が行った。だが確かに女子供の客はいなかった。怒らせたら迷わず愛用の得物を振り回しそうな連中ばかりだ。
いかにも魔術師といった風体のヴァンは珍奇の眼差しを感じたが、無視して進むとすぐに頬に傷のある給仕が飛んできた。
「そちらを検めるようにと店主が申しているのですが……」
棺を示している。
「かまわねえよ。鍵は用意できてる。開けていいか?」
「いえ、奥にご案内いたしますので、こちらへ」
従業員用らしき入口から伸びる通路へ入ると、左に厨房の入り口がちらと見えた。だが案内されたのはさらに先の薄暗い部屋だった。
待っていたのはふたり。ひとりは背の曲がった老爺で、もうひとりは妙齢の美女……服装からして魔女のようだが、黒字に鮮やかな赤い蝶を散らしているローブはいささか派手すぎると思った。
「意外って反応にもいい加減慣れたし、早速仕事に取り掛かりたいの。ちなみにこれでも合わせて七人を仕留めてる賞金稼ぎだから、変な真似はできないと思ってね」
「七人てのは全部あんたひとりで?」
「一対一の決闘でね。大好きなの」
「ああ、それなら分かる」
「……何か?」
「え? あー、すまん、忘れてくれ。この棺に入っているんだが……」
「……たまにいるから困るのよねぇ、首だけじゃなくて全身持って来ちゃう人。街中でやりあったの?」
「そうじゃないんだが、尊敬しちまったんだろうな……首を切り落とす気になれないような奴だったんだ。開けるぜ」
「呪文で……ああ、同業者なら許可はいらないか」
「ああ。さっそく頼む」
合言葉を唱えてから、棺の蓋をずらした。遺体の上半身があらわになり、老人が明かりを調整して顔を照らした。
「通称ヘイン、本名など詳細は不明……二十人ばかりの山賊団の首領。年齢は推定六十代前半。部下のひとりも賞金首の元傭兵レンダル……」
ヴァンは平静を装ったがホッグはそれができなかったらしく、彼女に違和感を抱かれたようだった。
「急いでくれると助かる」
「……得物は鋼鉄製の至ってありふれた蛮剣、金貨百枚。正直に言うわ。偽装の疑い濃厚。魔法ならいくらでも可能だし」
「呪文で確かめるんだろ?」
魔女は座っていた長椅子の脇に立てかけてあった杖を取り上げた。棺に向き直り、いくつか呪文を詠唱する。癖のない流麗な発音は見事だったが、マナの使い方は逆に雑だなというのがヴァンの印象だった。呪文を使い終え、じっくり死体を観察した彼女が老人に何事か囁くと、彼は部屋の奥へ消えた。
ゆったりとした動作で長椅子に座りなおして杖を置き直し、その両手の指を組んでヴァンに微笑む。
「これが偽物だったら……」
「いい杖だな」
ヴァンは遮った。それでも気分を害した様子はなく、かえって目を細めて見つめてきた。
「ありがとう。古い杖だけど、造りが丁寧ですごく使いやすいわ。祖父の形見なの」
「なるほどな。欲しがる奴もいるだろう?」
「そうね。ねえ、ヘインをどうやって倒したの? 新しい傷はどこにもなくて心臓が止まって死んだのは分かったけど、まさか心臓凍結じゃないわよね?」
「いや、それで当たり」
「……あなた、何者?」
「さてな。どこにでもいるような放浪の魔術師ってとこだ」
「ねえ、心臓凍結の反動は怖くなかった? 詠唱の途中もヘインに気づかれなかったの? そもそもどうやって呪文を成功させたの? ただの運?」
「……それ全部答えるのか? 金はまだかい? 連れが待ってるんだが……」
「手続きが少しあるから、質問に答えるくらいの時間はかかるんじゃない?」
「……反動よりヘイン本人が怖かったな。明日あたりはたぶん血反吐吐く羽目になるんだろうがまだ何ともない。詠唱って言うがそもそも無詠唱だったから……」
「心臓凍結を無詠唱!?」
「……状況に余裕がなくて、呪文ひとつで仕留める必要があった。無詠唱での強制力減少についてはまあ、運に恵まれてズルできた」
「それって話せないようなこと?」
「そうだよ」
「お待たせしました」
魔女はまだ話をしたがっていたが、ヴァンは老人が持ってきた金貨を見て調べる振りをしつつ、全知の呪文で数の揃った本物の金貨と確認した。
「金貨百枚、確かに受け取った」
「また来てくれると嬉しいわ」
「必要ができたらな」