七・その小石って何ですか?
ルーシャが広げた指先を胸の前で合わせている。頭に来たときにだけ見せるこの仕草は、すぐ攻撃に移れる彼女特有のある種の構えとも言えた。そして恐ろしいことに、どんな攻撃をするかはされてみるまで分からない。
「あんたねえ、本当にあたしのこと忘れて分の悪い賭けをしたわけね? ねえ渋い方のお兄さん、こいつ血だるまにするの手伝ってくれない? 殺してもいいから」
「やめてくれ。賭けなんかじゃなかったさ。勝算は九割以上あった」
そう言って白くて丸い小石を放り上げて見せた。ヴァンの手に落ちるはずだった小石をルーシャが空中で捕まえた。
「……これって何? 魔術関係の品物ってわけ?」
「当たり。穴が開いてなけりゃあ魔術師たちが勝手に競売とか始めかねないような品だ」
「なぜ最初からそれを使わなかった? オレ相手に使うのを惜しんだとしても、頭に使うまでずいぶん迷ったようじゃないか? 死にかけても使いたくないようなものなのか?」
「ああ、あれだな。よく分かるようにこいつの正体を解説させてくれや」
ヴァンは石の持ち主である少女──パティを手招きした。戸惑いの色を見せたが、レンダルが頷くのを見て小走りに駆けてきた。
「あたしはルーシャリエ・ブリット。こっちはヴァン・ディール。あなたの名前は?」
「……パティ」
ルーシャリエの自己紹介にパティは赤くなり俯いた。ようやく答えたかすかな声をヴァンはかろうじて聞き取った。パティはレンダルのそばに行ってその服の裾を握った。ヴァンたちには不可解だったが、懐いているというのが正解らしい。
「ルーシャ、返せよ」
「ごめんね、ちょっと借りちゃった。えっと……」
パティはルーシャを見ようとしない。仕方なくレンダルに小石を手渡した。
「お前さん、どこにこいつを隠してたんだ? オレの目を誤魔化せたんだから大したもんだ。ほら、受け取りな」
「あ! 首飾りの石……」
パティの手に石が戻ったのを確かめてから、ヴァンは話し始めた。
「小妖精の月と呼ばれてる。マナが濃密な場所でごくごく稀に見つかるんだが、どうやってこれができるのかって肝心な部分がまったく分かってない。だからめったに買えないし、たまたま売っててもかなりの高値だ」
「あの……たぶん違うよ……そんなのあたしを売ったお金で買えるわけないもん」
「いや、売る奴がただのちょっと綺麗な石だと思い込んでたら、安値で取引されることもある」
「魔術とどんな関係があるの? この、小妖精の月?」
「魔術師は杖を持つことが多い。なぜだと思う?」
「確かに木の杖とかワンドとか、地味な杖が好きよね。昔は杖で殴り合ってたとか?」
「真面目にそんな戦闘術を広めようとした奴は実際いたみたいだがな。正解じゃない」
レンダルが口を挟んだ。
「昔の知り合いの魔術師が、杖があった方が呪文を使いやすいとか言ってたな」
「そう、それが正解。魔術杖にはマナを集めやすい性質があるため、呪文の精度や強制力が少し高まる」
「あんたの武器は? ていうかあれ槍なの? ワンドなの?」
「どっちでもある。神話の英雄が持っていた自在武器って品を参考に作ったらしいが、あんまり機能的には似てないな。オレは手軽に持ち歩ける槍と思って使ってるけどな。杖のような魔術への補助効果もあるけど、正直いらん。良質の魔術杖と比べて効果が弱すぎる」
「それで? この月の赤ちゃんは杖とどう関係あるの?」
「月の赤ちゃんって……小妖精の月は杖みたいに魔術を使うときの補助効果がある。呪文の強制力がかなり高くなるんだ。上がり方は超高級な魔術杖の五~十倍。ただし頻繁に使うと砕けることがあるらしい。で、使った感じだと、それはやっぱりだいぶ効果が落ちてるな。いかんせん穴がなぁ……」
「……誕生日の贈り物にもらったの。首飾りだよって。でもね、あたし投げ捨てたの……なんで今頃になってこれがあたしの手の中にあったのか……えっと、分かる? 捨てたけど、持ってたの。手の中に握ってたけどあたしは……」
「小妖精の月は持ち主の役に立ちたがるらしい。瞬間転移や保護の呪文などを勝手に使ったって話もある。要するに、お前さんのことを気に入ったんだよ、この月は」
パティは手のひらの丸い小石……小妖精の月とか言うらしいそれをじっと見つめた。不思議でちょっと怖かった月が、今はなんとなくかわいく思えていた。ヴァンはそんなパティの表情に、懐かしい誰かの面影を重ねていた。よく懐いた猫を撫でているときの、誇らしげにも見える慈しみの眼差しを思い出した。
「パティ、紐つけてやるよ。何色がいい?」
「本当!? えっとえっと……白っぽい灰色、ある?」
「あるか? ルーシャ?」
「これでいい?」
集まる視線を楽しむかのように尋ねる。手にはパティが頭を通して首にかけるにちょうど良さそうな長さの紐があったが……。
「赤と白の縞々? ……真っ白があったらそっちがいい……」
パティは仕方なさそうに呟いたが、ルーシャはその左手を取り、赤と白の紐をしっかりと握らせた。
「パティちゃん、白っぽい灰色を思い浮かべながら手を開いてみて」
困ったようにヴァンに視線を向けたが頷きが返ってきただけだった。仕方なく、言われたとおりにしながら手を開いた。丸くなった目。ヴァンは手を伸ばして明るい灰色に変じた紐を取り上げた。
「この色でいいか? パティ?」
「うん……うん!」
パティはヴァンに、次にルーシャに顔を向け、ルーシャはヴァンをからかった。
「ヴァン~? 魔術使えばすんなり通せるんじゃない?」
「ちっと……狙いが……定まらない……くぅぅ!」
パティはそれを見て忍び笑いを漏らした。小さな石の小さな穴に、細い紐を通そうと苦心している。ルーシャがその手から月と紐の端を掠め盗ってパティの首に両手を回し、首の後ろで紐を結んだ。ヴァンが文句を言う暇もなかった。誰もがその瞬間を見逃したが、石に通された紐がパティの首にかかっていた。
「ありがと……」
ルーシャは返事の代わりに金色の髪をそっと撫でた。