二・かわいそうな女の子は好きですか?
夕暮れ間近の山道を歩かされながら、「涙を見せるもんか」というパティの決心は折れかけていた。
***
先月、十二歳の誕生日を迎えたばかりの彼女は、両親から白くて丸い小石の首飾りをもらった。
決して高価には見えないが、貧乏な寒村の農民が持つにはやはり不似合いな装飾品。
不審の念より喜びの方が大きかった。
だが、彼女はその誕生祝いの贈り物を父がどうやって手に入れたかを知ったとき、怒りを込めて石を森に放り投げた。
それはある晩、三人の男たちが家を訪ねてきて発覚した。
***
背の高い男たちだった。
形は違うものの、三人とも厚い革鎧を着込んでいる。腰には剣。
母は泣いてパティを抱きしめたが、父はその頬を殴って娘を引き剥がした。
そのまま男たちに差し出され、訳がわからず逃げようとした少女を、三人のうちでは低身長の茶色の髪の男が、平手で張ってから肩に担ぎ上げた。
そのまま家を出ていく。
「痛てえな、暴れんな! おいクソガキ、大人しくしやがれ。お前は売られたんだよ」
理解できなかった。
「あんたたち、なんなのよ?」
気丈にも肩の上で不快な揺れに耐えながら、少女は詰問した。
「山賊で人攫いで強盗で、今回はまあ、人買いだな。名前はパティだったな?」
そう答えた赤毛の男が一番偉いようだった。
首飾りの紐を力任せに引っ張った。
十二の少女の力で丈夫な紐が引きちぎれるわけはなかったのだが、幸か不幸か力を入れたのと上下の揺れの反動が重なり、首の後ろに熱を感じたと同時に紐が切れた。
(お父さんの馬鹿。あたしを売ったお金であたしに贈り物? そんなもの……!)
いらないという強い思いを込めて白い石を放った。慣れ親しんだ森の方向。
暗闇でどこに飛んだかなど見えはしなかったが、きっと弟たちが遊んでいるうちに見つけるはずだ。
お父さんがパティに酷いことをしたことに気づくかも知れない。
「泣き喚くかと思ったが大人しいじゃないか。おいドラス、肩じゃなくて背負ってやりな」
「めんどくせえなあ……あー、わかったよレンダルの兄貴。背負やぁいいんだろ? ミハイル、ニタニタしてねえで手伝え!」
肩の上より少しはマシになった。歩くから降ろしてという言葉は受け入れられなかったが。
レンダルと呼ばれた赤毛の男は短めに揃えた顎鬚を触りながら、パティに優しく告げた。
「お前さんはいいことをしたんだぜパティ。あの金がありゃ弟たちは今年も来年も飯が食える。死ぬことはないだろうさ」
理解した。だがそれでパティの心は少しも救われなかった。
「あたしをどうするの?」
「まだ決まってないが、どっかの金持ちに買われるんじゃないか? そのあたりは頭が決める。オレたちには分からん」
ミハイルはレンダルに耳打ちした。金色の癖毛を揺らして鼻息も荒くなっている。
この男の声をパティはまだ聞いたことがなかった。悪寒を感じてミハイルの逆方向に顔を向けた。
鈍い音が四回ほど連続して聞こえて、たぶんミハイルが激しく咳き込み出した。
「下衆が! オレもクズには違いないが、てめえと比べたら聖人様のように見えるだろうよ」
レンダルの怒声、パティはその意味するところを考えないようにした。
ミハイルはお父さんと同じくらい……違う、お父さん十人分よりもっともっと人でなしだ。
***
山賊たちが根城にしていた洞窟で鎖に繋がれて過ごした日々は、パティの心を少しずつ削っていったが、レンダルがたまに世間話をしてくれることで──ろくな話じゃないことが多かったが、少しは気が紛れた。
レンダルは山賊になる前は傭兵稼業で食いつないでいたらしい。
だがこのあたりの大きな戦が終わってしまい、食っていけなくなって今の頭に拾われたと言っていた。
「頭ってどんな人?」
「頭かぁ? そうさなあ……オレよりでかくて強くて頭がよくて、オレよりだいぶ世界に嫌われた人だな」
「世界に嫌われた? 分かんないよ」
「まあ、死なずにいればそのうち分かることかもしれんが、分からない方が幸せかもしれんことだ。といっても、お前さんは世界に嫌われきっちゃいないと思うがな」
***
一緒に繋がれている子供たちが五人いた。
顔立ちの整った八歳くらいの男の子がひとりと、あとは十代前半と思しき女の子ばかりだった。そのうち少女たちが四人増えた。
みんな暗い顔をして、何もかもを諦めているか、悲しみや恐怖に涙したり震えたりしているかのいずれかだった。
パティは何度かみんなを励ましたり笑わせようとしたりしたのだが、やがて実らぬその努力をやめた。
レンダルの言葉がパティと他のみんなの違いを明確にしてしまったせいもある。
「パティ、お前さんは買われてここに来たが、他の奴らは攫ってきたんだ。無駄なことはやめとけ」
***
半月くらい経った朝、レンダルが頭と呼んでいる背の高い初老の男に、買い手がついたとの報告をした。
夕方が近づくと山賊たちは慌ただしく動き出した。
「よぉし、ガキども、オレが目の前に来たら両手を出しな。足かせ外して欲しいだろうが?」
聞き覚えのある濁声に何となくその男に目をやった。あの夜に彼女を肩に担いだドラスだった。
両手を差し出すと素早く縄で固く結ばれ、そのあと足の鎖が外された。
パティは手首の結び目にふと違和感を覚え、目を落とした。何か挟まっている。
少しずつ縄を引っ張ったりずらそうとしたりしているうちに、ぽろっとそれが落ちて手のひらに収まった。
「暗くなる前に出発するぞ。歩けなくなったらその場で殺すから気合入れて歩けよ!」
「脅すな脅すな。そんなに遠くもないだろう? おい、腹減ってる奴はいないな? パティも平気か?」
「え? あ、うん」
レンダルに声をかけられ、びくっとして拳を握りしめた。
「よし、じゃあ歩くぞ。疲れたら言えよ。休みながら行く」
数珠つながりで歩かされ、久々に洞窟の外に出たときは眩しい日光に痛みすら覚えた。
「お前さんとも今日限りだな」
レンダルが並んで話しかけてきた。何となく懐かしい気がしてパティは少し混乱した。
「えっと、あたしはこれから……」
「ああ、前に言ったとおりになった。ニーズの街は知ってるだろう? そこのゲーリックって商人の家に売られる」
「どんな人?」
「詳しくはないが、善人じゃないだろうな。けど奴隷を酷い目に合わすほど馬鹿でもないだろ。貴重な財産だからな。奴は少なくとも今は金持ちだ。最近たまたまうまい商売にありついた成り上りらしいが──」
奴隷……パティは言葉を失った。
レンダルは心配そうに見ていたが、少女の頭を手のひらでぽんぽんと軽く叩いてから離れて行ってしまった。
その背中を見ながら、自分がもう泣いてしまうんではないかと思い、涙が出ていないことを確かめるように繋がれた両手で不器用に目尻に触れてみようとした。
はたと思い出し、握ったままの右拳を見つめた。
山賊たちの目が自分に向いていないことをこっそり確認してから、右拳を少しだけ開いてみた。
パティは呆然として、慌ててそれを握りしめた。
怪しまれてはいない。もう一度、今度はちゃんと見てみた。
白くて小さな丸い石。暗闇の森に放った石。
(紐を引きちぎって、投げたのに……)
紐を通した穴もある。
絶対に同じものとは限らない。
けど……
(なんであたしの手の中に入ってるの?)
パティは知らなかった。疑問が大きすぎて気づきもしなかった。
その疑問が、心折れることを防ぎ、しばし絶望を忘れさせたことを。