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双極魔術の迷い人──双極魔術第一集  作者: 青朱白玄
四章:休息予定の日のはずが
15/22

十五・弱い相手に大苦戦ですか?

 しゃき……しゃき……


 ルーシャリエはぼんやりした頭でその音を聞いていた。

 彼女はそうする気になれなかったが、もし下に視線を向けていたら、洞窟の壁に設置されたたいまつの光を白銀色に反射しているたくさんのそれが心を傷めただろう。

 マイクの鼻歌も耳障りだった。調子に合わせて少しずつ鋏を使っている。縛られていた。不安定な木の椅子に座らされた状態で。そして一房、また一房、長い銀の髪が床に落ちていく。

 マイクはふと鋏を動かすのをやめた。ルーシャの背後からその耳元に囁きかける。


「お姉ちゃん、僕なんだか体がむずむずしてきたよ。そろそろ我慢できそうにないや。安心してよ。お姉ちゃんは少ししか僕の毒が入ってないから、首から上はちゃんと動くし、全身の感覚もちゃんと残ってる。そのまま楽しんでね」

「あたしは治まってきたから安心していい。問題を出すわ、あんたに傷つけた武器は誰のでしょう?」

「何それ? 時間稼ぎのつもり? わういけろもうまてらいっへ、はへ?」

「ふうん、量が多いとそうなるんだ。さて、そろそろあんた、飛びなさい!」


 ルーシャの両手が背後にいるマイクの頭をしっかり掴んだ。そして持ち前のばねで足から前方に高く飛び上がると、捻りを加えながら全体重を利用してマイクをぶん投げた。動きを取り戻した彼女にとって、縄による束縛など数秒の時間稼ぎにしかならない。マイクは三メートル近い高さまで錐揉みしながら飛んでいき、そのまま落下した。


「ここからはあたしの独擅場どくせんじょう。まあ、毒だけは褒めてあげる」


 頭から落ちて無様に足を投げ出しているマイク。その右手が懐から何かを取り出した瞬間、ルーシャは蹴飛ばした。右手から割れた瓶と少量の血、それに薄赤い液体がばら蒔かれた。


「そうよね。自分が作った毒の解毒剤ぐらい持ってるわよね」

「うう……」


 ルーシャは床に落ちている無残に切り離された髪の房を振り返ってため息を吐く。気がついていなかった。マイクの右手が握ったり開いたりを繰り返していたことに。


「拷問しても気が収まりそうにないし、処刑の用意でも……」


 痛みは唐突に訪れた。ルーシャの左足のももに長い鉄串が突き刺さっていた。マイクが彼女の足元にひざまずき、その串を捻るように動かしている。


「な……!!」

「僕の毒が一種類だと思ったら大間違い。これに塗ってあるのは即効性の強いやつでね。残念だけど、お姉ちゃんの独擅場は僕が使わせてもらうよ」


 視界がぐにゃりと歪むのを感じた。そのまま手さえつけずに倒れる。解毒剤の予備はない。あっても体が動かないのでは使いようがない。

 それに対し……マイクはずっと動きが良くなっていた。毒の影響の方は完全に消えていた。服がはちきれそうなほどに筋肉が肥大している。飲んだのは解毒剤だけではないようだ。


「解毒剤……飲んだのね……いつのまに……」

「ああ、気づかないのもしょうがないよ。だってさ、あらかじめ飲んでおいたんだもん、遅効性の解毒剤。絶望した? もっと顔見せてよ。お楽しみはこれからなんだからさぁ!」

「いいや、お楽しみはもう残ってない」


 マイクは慌てて声のした方、つまり背後を振り返った。そいつは壁を背に立っていた。まるで背後の壁が扉ですとでも言うような形で。


「どこから入ってきた? 誰だよお前?」

「お前に説明してもその頭じゃ理解できないだろ。後の方だけ答えてやる。お前らのかしらのヘインを倒した、魔術師のヴァン・ディールだ」

「ヴァン……!」



 マイクは左手親指の爪を噛んだ。


「……頭を? 倒した? ……嘘。嘘だ。頭を倒せる奴なんかいない!」

「いろいろと説明できることはあるがその気にならんな。お前相手に魔術を使う必要もない。ルーシャ、少しだけ待ってな」

「あんたね! 誰のせいであたしがこんな目にあったと思ってんの? もしかして今、自分が格好いいとか思ってる? 馬鹿じゃないの? 誰があんたの助けなんか……」

「……おや。助けいらない?」

「……まだそこまで言ってない」


 ふとルーシャは気づく。マイクがやけにおとなしい。それだけではなく、爪を噛んだ姿勢で完全に動きが止まっていた。ヴァンの魔術なのは間違いなかった。


「ふむ……つまりは、オレの助けはちょっとだけ欲しいけど、決着は自分でつけたいってことか?」

「……そう思いたいなら思っていい」

「じゃあ、オレはこいつを渡して使い方教えて、あとは見てる。死にそうになるまでは何もしない。いいか?」


 ヴァンは爪より小さな宝石を取り出して見せた。洞窟を照らすたいまつの光で七色に煌めいている。それが何なのかルーシャには分からなかったが……


「馬鹿……いい。それで妥協してあげる」

「よし。口に入れてやるから飲みな。手も動かないようだしな」


 ルーシャは舌で受け取った宝石を飲み込んだのだが、硬さで喉を痛めそうになった。


「うぇ……これ飲むような物じゃないでしょ?」


 ヴァンは答えずに自力で動けぬルーシャを運び、近くの柱にもたれかかるようにして座らせた。


「オレの後に続いて同じ台詞せりふを繰り返す。行くぞ。魔術師ヴァン・ディールの名において、ルーシャリエ・ブリットが命ずる。我はしもべを求むものなり。ノームよ応えよ」

「魔術師ヴァン・ディールの名において、ルーシャリエ・ブリットが命ずる。我は僕を求むものなり。ノームよ応えよ……あ、何か来た」

「次だ。我は命ずる、ノームよ来たれ」

「我は命ずる、ノームよ来たれ」


 ルーシャの声に合わせて眼前の石床に直径十五センチほどの丸い穴が開き、もこもこと土のかたまりがせり上がってきて、塊は身長三十センチほどの白い髪とヒゲのふっくらした老爺ろうやに姿を変えた。


「……これがノーム?」

「そうだ。ルーシャの命令を何でも聞く地の精霊だ。魔法を使わせるのがいいだろう。おすすめは石筍せきじゅんの呪文だな」

「せきじゅんって?」

「……たけのこでも通じる、かも……。そろそろ止めておいた奴の時間が動き出すから命令しな」

「分かってる。ノーム、あいつにたけのこ……な、なに今の? あたし何語喋ってた?」

「短期契約石の効果で精霊語。あまり気にするな。ノームとの意思疎通は勝手にその言葉になる」

「たけのこ……たけのこ……ああ、石筍でございますね。では」


 ノームの近くの地面から床を破って先端の鋭い石の円錐……氷柱つらら状のものが、尖った部分を上にして瞬時に生えた。その長さはだいたい十センチほど。間をおかず、やはり十センチほどずれた場所でも同じように石筍が突き出し、その現象が意外に速い速度でマイクに近づいていった。

 爪を噛んだ状態のまま動きを止められていたマイクがまた動き出し、石筍の接近に気づいて後退あとずさりしたが、それでは遅いと気づくとほぼ同時に石筍に足を貫かれていた。悲鳴を上げて尻餅をつく。石筍はまだ止まらずにその足を次々刺していき、尻にも突き刺さってようやく止まった。


「ぐぅ、なにを……いつのまに……?」

「ルーシャ、もっとだ」

「ノーム、たけのこまたやって!」

「はいな!」


 再びあの現象が発生してマイクに近づいてくる。マイクは慌てて立ち上がり、そのときに傷口から勢い良く血が吹き出したが気にせず、石筍の進路を迂回して動けないルーシャに向かって走りだした。


「今度は沼一歩だ」

「ノーム、沼一歩!」

「ほいさ!」


 マイクの片足が硬い床のはずの場所で十センチほど沈み込んだ。当然のごとく前方へ顔面から突っ伏して倒れ、鼻血が流れだす。その足に石筍の激痛を感じ、慌てて這い逃れようとしたが、足がしっかり固定されて移動できない。さらに二本石筍が足を登ってきた。マイクは膝に体重を乗せるようにして腕の力で無理に身を起こした。石筍が膝頭の皿を割って止まった。


「いたいいたいいたいいたいいたい!!!」


 わめきながら上着を力任せに引きちぎるマイク……その胴には無数の形状と色と材質の異なる瓶がくくりつけられていた。その幾つかを無造作にまとめて指で引きがす。そして左手の瓶のひとつを投げつけた。瓶はルーシャまで届かずに床に落ちて軽い音を立てて割れ、爆発的に白い粉が広がって視界を覆った。


「ルーシャ、倒れ石を!」

「ノーム! 倒れ石、急いで!」

「承知!」


 マイクは一瞬で床から生えた直径一メートル弱、高さが天井に届いていそうな石柱を見上げた。呪文の名前が倒れ石なら、こいつが倒れてくるのだろう。防ぐのは考えない。攻め続けて僕が先に殺してやる!

 ゆっくりと倒れだした石柱への恐怖を押し留めながら、瓶のふたつを煙の中心付近に投げる。直後、頭に石柱が勢いよくぶつかってきてそのまま押し倒された。石柱は胴体にものしかかり、瓶が次々割れた。破片が突き刺さり、そこから染み入った毒が灼熱のような痛みをもたらした。

 石柱と床に挟まれて意識が遠くなり、呼吸も止まる。だが同時に煙の中心で爆発が生まれ、爆炎と衝撃が動けぬルーシャを襲った。


「ルーシャ! 繰り返せ! 五回でも六回でも繰り返せ! 間なんか開けなくていいから連続して倒れ石だ! 聞こえるか?」

「ゴホゴホゴホッ! ノーム、倒れ石、どんどんやっちゃって、マナ使いきるまで!」

「合点! でも姉さん、おいらは自分の能力ちからでマナが減ったりやいたしません」


 ルーシャは違和感を覚えて自分の体を見た。白煙が薄れてきて見えてきた数カ所の肌や衣服に、自然ならざる黒い炎がまとわりついているが熱くはない。だが炎を通して見えるのは、どす黒く変色していく皮膚だった。


「なんかやられた! ヴァン、どうしよう、次はどうしたらいい!?」

「奴の最期を見届けな。終わったら全部治してやるよ」

「ノームはどうする? いくらでも倒れ石とか使えるみたい!」

「全部お前のマナを借りてやってる。精霊がじかにマナを操ってるから消費量は通常よりずっと少ないが、これ以上、呪文を使わせるだけのマナはお前に残っていない。あれで勝負が決まる。粘ったら奴の勝ち」

「……あたし、負けるの?」

「勝ちたいんだろ?」

「絶対あいつには負けられない!」

「じゃあ何が何でも勝て。オレもお前に賭ける」

「分かった。ノーム!」

「姉さん、姉さんにはもうマナが……」

「一緒に祈って!」

「……へいほー!」


 マイクを押し潰した石柱が転がって視界が開けた。そこにまず一本、それから二、三、四、五、六、七本の石柱が次々と立ち上がった。マイクはあざけるように笑った。


(この攻撃の弱点は、遅さだ。体を強化している今の僕なら余裕で避けられる)


 両手を床に踏ん張って起き上がろうとした。時間は十分なはずだった。だが、前からそこに生えていた石筍が右手のひらを貫いた。焦ったが、構わず石筍に貫かれた手に体重を込めて、あまりの痛みに咆哮ほうこうをあげた。


(くそ! 起き上がれない! でも、あの女は腐食炎で燃え腐らせている。あいつが死んで、僕は辛うじて生き残る。絶対食ってやる! 腐っちまった場所も全部、食ってやる! そうだ、勝つのは……)


 七つの石柱が重なりあい崩れながら降ってきた。その下敷きになったマイクの意識が途切れがちになる。連続する衝撃と共に重さが増大してゆき、圧迫が強くなる。激痛が少しずつ遠くなる……。



 ルーシャの体のあちこちを焼き腐らせていた邪悪な黒炎が急に消えた。そして変色した場所がかすかに光りながら、健康な皮膚の色を取り戻していった。


「ヴァン……あたしは……」

「終わったよ。全部な。お前の勝ちだ。がんばったな」

「……はは、あったりまえでしょ!」


 ルーシャの他の傷も、毒も、次々に消えていった。


「でもあたし、結局ノーム頼りで……」

「ノームの強さは召喚した者……今回ならルーシャの精神的な強さで変化する。あれはお前の戦いだった」

「そっか……ノーム! ノームは?」

「役目が終わって、疲れたんだろう。帰ったよ。でもここにも見えない形で存在している。お礼したいなら言えば聞こえるぞ」

「分かった……ノーム、ありがとう」


 ノームの陽気な挨拶が聞こえた気がした。


「ヴァンにも、いっぱい呪文使わせちゃったね。ごめん」

「いや、今日はずいぶん楽させてもらったし、お前にこれ押し付けちまったうえ、あの弱い癖に面倒なガキを探知し損なったのもオレだし、むしろこっちが謝りたいくらいだ。ごめんな」

「でも、ちゃんと来てくれた」

「当たり前だ。向こうでも揉めてて遅れちまったが、お前に死なれたら一番困るのはオレだしな。さて、じゃあ帰るぞ」

「ん」


 ***


 呪文で厳重に保護された宿の寝台の上で、パティは目を閉じて体中の力を抜き、意識を澄ませていた。面白いのは、壁がないかのように周囲のマナが感じられることだった。

 パティはそのマナの数を数えてみた。たぶん九つ……この階には。

 唐突に至近距離でマナの出現を感じ取り、パティは意識を集中させようとした。マナはまったく感じられなかった場所から活性化した状態でいきなり現れたようだった。マナが沈静化して通常の反応として感じられるようになる前に、パティはその正体を理解した。


「お帰り、先生」

「ただいま」

「何? 先生って?」


 ルーシャの声にパティは目を開いた。ヴァンの隣にルーシャがいて、パティとヴァンを交互に見つめている。


「え? ルーシャさん?」

「そうだけど、どうかしたの?」

「なんだパティ、ひとりで続けてたのか」

「うん。でも、ルーシャさんのマナが……え? こんなにちょっとしかないの? なんで?」

「……おいパティ、小妖精ピクシーの月も使ってないのに今のルーシャのマナを感じ取れたのか?」

「すっごく心を澄ませてやっとだけど。ねえ、ルーシャさんも魔法使いなの?」

「さっきまでな。ルーシャは精霊を操ってました」

「パティ、マナを感じられるの? ヴァン、何したの?」

「昼飯の後、子供たちをそれぞれの村へ行く馬車に預ける交渉をホッグに頼んでな。その間パティだけは暇だから、魔術の勉強をさせてみたんだ」

「でもマナって感じ取れるものなの? ヴァンはたいてい呪文使うわよね、そういう必要あるときは」

「呪文や道具に頼らないマナの感知ってのはかなりの集中力を必要とするし、正確さにも欠ける。普段は目に頼って人や物の場所、形、色なんかを把握してるオレたちが、耳だけを頼りにそれをするくらいの差がある。だが魔法使いならどんな系統の術者でも大抵できるぜ。訓練する奴はあまりいないから、感知能力としてはお粗末なものになるけどな。教授みたいな人を除けば」

「教授のあの能力なんだ! 便利そう。なんであたしには教えてくれなかったの?」

「パティには魔術の特別な才能があって、本人も魔術師になりたがってる。ルーシャは別の方の魔術にしか興味ないだろ? しかし……パティ、半日足らずの訓練で今のルーシャの蟻並みのマナを感じ取るってのは……これはどういう才能なんだ?」

「ちょっと! 何よ蟻並って!?」

「すまん訂正する。虫の息のような……ああ、ルーシャはオレの作った短期契約石を使って虹魔法……精霊の魔法を使いまくったせいでマナが減ったんだ」

「道具で魔法が使えるようになるの?」


 勢い込んで聞くパティの頭の上に優しく手のひらを置き、ヴァンは言い含めた。


「あくまでそれは借り物の力だ。それに、ルーシャが鍛えた精神面の強さが呪文の強さになった。今のパティがそれを使って虹魔法を使ったって、恐らく二種類の呪文をルーシャの一、二割ほどの魔力でしか使えないはずだ」

「そっかぁ……近道はできないね」

「パティの才能は近道そのものだ。学校でも特待生は確実。焦らずにじっくり勉強してけばいいさ。それでも四倍だからな」

「うん。わかった」

「ねえ、ホッグはまだなの? あたしお腹すいちゃった」

「早くないか、まだ明るいぜ? おっと、ホッグの伝言を忘れてた! 何でもずいぶん昔の知り合いに偶然会ったらしくてな、できれば今日一日、宵越しで酌み交わしたいって言ってたんだ。そいつはこの街に住んでいるらしい。オレが仮の許可出しといて、もしルーシャが駄目と言ったら魔術で知らせることにしといたんだが、どうする?」

「なんだ。そういうことなら邪魔はしないわよ。その……前の仲間と知り合うより古い友達なの?」

「そうらしい」

「そっか。じゃあ三人で食べに行く?」

「その前に……パティの新しい服を買いに行こうぜ。魔術学校生の私服にふさわしいようなやつをな」

「うん!」


 ***


 魔術師向けの衣類を扱う服飾店に直行した三人は、店員を呼んで子供の服を見せてもらっていた。着いた時点で太陽は赤みを帯びて外壁ぎりぎりから光を投げていたが、ヴァンがため息を吐いて店員の持ってきた椅子に腰を落としたときには、月が女王様然として天を支配していた。


(マナもないのに……ルーシャはよくここまで夢中になれるな? あの店員が店主の親戚かなんかで助かったってところだろうが……この時間になっても追い出されないって点については。しかし……いつまでかかるんだ?)


 中年の女性店員とルーシャは大騒ぎをしながら次々と試着をさせていた。ときどき意見を求められても


「いいんじゃないか?」

「それにしろよ」

「ああ、それも悪くないな」


と類似の表現を繰り返すのがせいぜいだった。

 最終的に上品な色違いの五着の私服と二着の水色の見習い用ローブ、それに替えの肌着から靴、帽子に至るまであれこれの支払いをすませたヴァンは愛想のよいおばさん店員と店主らしきおじさんの朗らかな挨拶に手を振りつつ、宣言した。


「ルーシャリエさんに報告しておこう。たった今、オレの財布が空になった」

「ええ!?」

「ルーシャ、お前の才能には心底惚れるぜ。財布の中に銀貨の一枚も残らない限界すれすれの買い物をしてくれたんだからな。もう少し節約してもよかったんじゃないか?」

「女の子の服を何だと思ってるのよ! 安物ですませてすぐに破れたりしたらお金がもったいないじゃすまないのよ!」

「……中級の呪文ひとつで破れた服くらい簡単に修復できるようになる」

「あんたこの世界に何年いるつもりなの?」

「そうじゃなくて、パティが自分で直せるようになるってんだよ」

「あ、そっか!」


 パティがその言葉に反応した。


「……その呪文、何年で覚えられるの?」

「個人差があるが、それなりの素質がある奴なら魔術を学び始めてからだいたい六年後、パティだったら一年半かそれ以前だろうな。まあともかく、今後の宿代、食費その他の諸費用は全部ルーシャに任せるからな」

「……金貨換算で五枚ちょっとしか残ってないわよ?」

「……は?」

「あたしの魔術は仕込みにお金がかかるの! そうだ。ヴァン、魔法の品物作って売りさばけば?」

「その手の商売はたいてい根回しにそれなりの金がいるんだよ。材料の仕入れにだってかかるし。お前こそ客集めて魔術披露して小銭集めろよ」

「そんなんじゃ全然、元取れないんだけど!」

「安い仕掛けの手品でいいじゃねえか。おっと、ここだここだ」

「ヴァン……今、何て言ったの? て・じ・な……って、そう聞こえたのは気のせい?」

「気のせいだ」


 なぜか怒気をはらんだ声で囁くルーシャを軽く流し、入店する。その食堂はこじんまりした作りで、テーブルも四人がけはふたつしかなく、あとは差し向かいの小さな卓が三つだけだった。ホッグが言っていた、安くてたくさん食べられるところだ。適当に注文した後、パティが申し訳なさそうな声を出した。


「あの……あたしのせいでお金なくなっちゃって、ごめんなさい……」

「ああ、気にすんな。すぐに稼げる仕事、見つけてくるからよ。学費だって用意しなきゃなんねえしな」

「明日は調べ物をして、早ければ明後日出発?」

「かな? オレはまずはこいつから明日いろいろ聞くつもりだが」


 言ってヴァンは小さくたたんだ手紙を机に置いた。ルーシャはそれを広げ、早口で読み始めた。


「ヴァン・ディール殿へ……先程は誠にご迷惑をかけ、申し訳なく思っている。言い残したとおり、明日の昼食でおびをしたい。竜の手羽先てばさきなる店が、貴殿きでんがお泊りの宿の近くにある。そちらに正午頃に来てはもらえまいか? 私の名を出して待ち合わせと言えば案内するよう手配しておく。お待ちしている。──フリードリヒ・フォロウ・グリッジハイム」


 ヴァンはふと気づいた。


「そうか、パティは字が読めないのか」

「え? うん。読めないよ」

「ふうむ……」

「ねえ、フリードリヒて誰よ? 揉めたって相手?」

「そう言えなくもないが、こいつは仲裁ちゅうさいに入ってくれた奴だし、信用できると見た。で、だ。やっぱり出発は少し遅らせよう」

「え? どうして?」

「パティが読み書きできないとなると、入学してから少々困るからな。おぎなうために幾つか手を打っておきたい。まずは小銭を稼いでおいて、パティ用のワンドを作る」

「杖なんかいらないってあんたいつも言ってたじゃない?」

「オレがパティ用のワンドを作るんだ。役に立つものにしかならない」

「特別な能力を持たせるの?」

「そういうこと。いい素材を買って呪文で加工して、最初は呪文使用時の精度向上……つまり魔術杖の標準的な能力を付与ふよする。次が、合言葉とマナの消費で何度でも使える、言語習得の呪文の付与、最後に自動修復と保護の呪文で仕上げ。断っておくが、言語の呪文はちゃんと文字を覚えるまでのつなぎだぞ」

「材料ってこんな小さな街でそろうの?」

「調べてみた。必要な材料は集まる。この規模の街にしては珍しいことだけどな」

「ふうん。で、そのための資金は?」

「明日の午後から始めて一週間とはかからんだろうが、この街に潜伏中の賞金首をあらかた捕らえる」

「……大丈夫なの!?」

「無理そうな奴には手出ししねえよ」


 ヴァンは運ばれてきた汁物スープを口に運びつつ言った。飲む前に何度も息を吹きかける。


「人数はどれくらい? 手伝おうか? いくらになりそう?」

「六人いる。つるんでるのはそのうちふたりひと組だけ。仮に全員引き渡せたとして、合計金貨七百枚。ま、そう悪くはないと思う。ルーシャはパティと一緒にいてくれ。今日揉めた連中の中に、パティを利用しようとするのがいてもおかしくないからな」

「そんな大金……ねえ、本当に危ない奴はいないんでしょうね?」

「まあ、寝る前にもう少し調べてみるさ。強さの他にも、横の繋がりがないか知りたいしな。しかし、さすがにヘインみたいなのはゴロゴロしてないだろ」

「でも金額が怖いんだけど……」

「ああ、それならたぶん問題はない。ヘインは本業にあまり熱心じゃなかった。自分と手下が飢えに苦しまない最低限くらいの仕事しかしてなかったんだ。だからあまり大勢に恨まれたりせずに、賞金額もそれほど上がらなかった。領主の目さえ届かないような小さな村ばかりを的にしたってのもあるだろうな。もし豪商の荷馬車とか貴族の馬車なんかをどんどん襲って力量に見合った賞金がついてたら、桁ひとつ上がってたぜ」

「そうなの? てことはつまり、あんたヘインの一件じゃ大損したんじゃないの?」

「そのあたりは金だけで量るようなもんでもないだろ。なあパティ」

「んむぅ!?」

「おっと、すまん。落ち着いて食ってていいぞ」

「パティと出会えただけで幸せだとでも言いたいの?」

「ヘッ! レンダルじゃあるまいし。とはいえ、そう的外れでもないけどな。優秀な教え子ってのはいいもんだ。そうそう、金ができたらパティには、残る魔術師に必携ひっけいの品物も揃えちまう」

「気が早くない?」

「そうでもない。ワンドを作ったらパティにはさっそく呪文をひとつ教える。最初は丸暗記で覚えてもらって、マナの扱い方も指導しながら実際に呪文が成功するまで詠唱をさせる」

「ええ!?」


 驚くパティを見ながらルーシャは質問を重ねた。


「呪文ひとつ丸暗記……何の呪文を教えるの? 覚えるまでどれくらいかかりそう?」

「普通は事故が起きてもいいように、害のない明かりの呪文あたりから始めるんだが、パティには光の矢を教える。あれなら呪文の制御なんかも感覚的に覚えやすい」

「いきなり攻撃を教えるの?」

「旅の途中で魔物が出たり、遺跡に寄り道して宝探しの最中に守護者と出くわしたりしたときに、ついでに魔術の練習ができればちょうどいいだろ?」

「戦力になるとは思えないけど……」

「重要なのはそこじゃない。魔術の訓練だ。それなりに安定して呪文が撃てるようになったら出発する。オレの読みじゃそこまでもたついても十日ありゃ十分だ」

「でも先生、呪文を覚えるのはまだ早いって言ってたでしょ?」

「マナを感じる訓練で見せた集中力と感性、それにワンドができること、条件は完全にとは言えないが整ったと見た。問題は読み書きだがな」

「そっか。で、できるかな……? 緊張してきた……」

「ああ、あたし契約石の練習したい! パティが呪文使えるようになるまで」

「いや、練習はいらんだろう。精霊に呪文の名前と狙いを指示するだけだし。あと、あの石は使用回数に限りがあるから、オレが使って欲しいときには渡すけど、それ以外で使いたいなら買い取ってもらうぜ? ルーシャには別の練習をしてもらうつもりだよ。パティの練習と同時にな」

「同時に?」

「そ。ナイフで攻撃呪文を防ぐ練習」

「あのね……的? あたし的なのね?」

「ナイフに攻撃的性質のある呪文を弾く能力を付与する。ただの的じゃねえよ」

「あ、それいいかも……」

「お姉ちゃん、あたしちょっとわくわくしてきた!」

「まあ、それもワンド作ってからだ。明日は……パティに簡単な読み書き教えてくれ。文字の数え歌からでいい」

「寝る前から始めようか、パティ」

「うん!」


 元気に答えるパティ。

 ヴァンは自分の話した計画にほぼ満足していたが、まだできることはないかと考えかけ、やめた。


 ***


 腹がふくれるとまっすぐ宿へ帰り、ヴァンは隣の数え歌を聞きながら、最初に狙おうと思っている最高額の賞金首のことを調べるために全知を使った。問題はなさそうだと判断したヴァンは、他の賞金首についても手早く調べ終えて、早い時間ではあったが睡魔すいまに白旗をげることにした。


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