吹奏楽なんて、嫌いだ。
最初に言っておく。俺は吹奏楽が嫌いだ。いや、厳密に言うと、吹奏楽そのものよりも、それに携わる連中の態度が気に食わないといった方が誤解も少ないだろう。そしてもう一つ、俺は音楽が嫌いではない。むしろそれで御飯を食わせてもらっている身だった。だった……、最早過去のことだけど。
産まれてこの方音楽に特化した人生を歩んできたから、それ以外で生きていけると思わないし、サラリーマンなんて俺のなりたくないお仕事のナンバーワンだ。なんで好き好んで毎日スーツ着てへこへこしなきゃならん。理解に苦しむね。
話を戻そう。俺は現在進行形でいわゆるニートだ。前の職場を行き違いから追い出されて、次の職場を探そうにも、俺の悪評かなんかを聞きつけて、どこもかしこも受け入れようとしない。全くこの世は天才にとことん厳しい。ビザも切れかけて、残高も雀の涙になってきたので、仕方なく日本に帰ってきたら、どういうわけか見知らぬ姉ちゃんが押しかけてきた。
『稲森さん、私たち今上高校吹奏楽部の技術顧問になってほしいんです』
しかもアポなしで。熱意は伝わるが、はっきり言って迷惑でしかない。しかも相手はこの4月から今上高校とか言う学校の音楽教師になるという。いい年こいてるんだから、せめてマナーを守ってきてほしかった。
「だからと言って俺はあんたらの誘いには乗らない。自分らで何とかするんだな。というより、俺である必要ないだろ。こっちも忙しいんだよ、さ、帰った帰った」
なんでわざわざ俺なんだ。ぶっちゃけ彼女とは共通点なんてものが無い、そんな相手の頼みを聞く義理もない。
「そこを何とか、一度だけ聴いていただくだけでもいいんです、どうかお願いします!」
丁寧に頭を下げられる。おいおい、これじゃあ俺が悪役みたいじゃないか。
「第一、さっきも言ったけど、俺は吹奏楽が大っ嫌いなの。いくら無職だからって俺にも仕事を選ぶ権利があるはずだ、違うか? 後俺に頼む時間あるならその間に指揮の振り方でも学んでろ、そのほうが効率がいいだろ」
我ながら傲慢だと思う。良いんだ、ここで俺の印象を最悪にまで落としておけば、この姉ちゃんも二度と俺に頼むもんかと思うだろう。
「どうしてそんなに毛嫌いするんですか?」
そう返されたら困るんだけど……。
「どうしてって言われてもなぁ……」
毛嫌いする理由はいくつもあるが、それをこの姉ちゃんに言ったところで解決する問題じゃない。それぐらい根本的なんだ。
「あんたはコンクールの1団体あたりの時間ってどう思う? 長いと思うか? それとも短いと思うか? 安心してくれ。この答え如何で意見が変わるってことは無いから」
姉ちゃんは自分の居たころのコンクールを回想するように考えこんで、
「短いと思います」
俺の反応を伺うように答える。
「俺もそう思う。大体課題曲が3~6分ぐらいだろ? それでパーカッションの移動やらで時間とられて、その間が開いて自由曲に移るわけだ。自由曲も長くて8分ぐらいが限界だろ。その時間で曲を終わらせなきゃなんない、つまりもともと20分あるような大曲をするなら、うち12分は削らなにゃなんない。仕方無いっちゃ仕方無いが、バラバラに継接ぎした作曲者もあの世からキレるような編曲が大概だ。しかもそれをあたかも原曲を超えたなんてほざくやつだって居るんだ。前にネットでたまたま見たアルプスなんかいきなり嵐が吹き荒れてたからな。インパクト受けか知らないけど、あれは怒ってもいいと思うね。コンクールは一発芸大会かっての、あれはあれで面白かったけど」
数ある楽章の一部分しかしなかったり、編曲されたものを原曲と思っていたり。小言みたいだが、吹奏楽民はオーケストラを蔑ろにしすぎな気がする。飽くまで私見だから、余り他で使うなよ。
「話を聞くと吹奏楽よりもコンクールに嫌悪感を感じてるよいうに見えますが」
おっ、意外と鋭いとこ突いてくるな。
「そうかもな。コンクールにあわせて曲をカットしてその曲の良さをなくしてどうするのさ。だから俺が学生時代指揮振ってたときは時間内で出来るオリジナル曲をしていたがね」
それも昔の話だ。しかも当時はそんなにオリジナルなんてもんが無かったから、思い切って自分らで作ったもんだ。ある意味自作自演ではある。バーンスタインの爺さんだってやってたんだっていうえらく単純な発想だったがな。
「そうですか……」
少ししょげたような顔をする。こうやって見ると、教師というか学生にも見えなくない。見た目が幼いこともあるのだろうか、だが俺の好みではない。
「だから俺はあんたらとは相容れないんだよ。悪いけど他を当たりな、もしくは自分で楽団をまとめることだな。あんたらの高校の事情を持ってこられても困るだけだ」
「分かりました……、今日のところは引き上げます。また来させていただきます」
いや来るなって……、言っても無駄なんだろうな。
「忘れ物すんじゃねえぞ」
俺の言葉が聞こえたかどうかは知らないが、こちらに一礼して出てゆく。
「……、俺をガキの青春に巻き込むんじゃねえよ」
心の仲で思ったことがついもれてしまう。タバコを吸って一息つこうとすると、
「あっ? マジかよ」
いつの間にかきれていた。
「しゃあねえ、買いに行くか」
高校生のためには頑張れなくても、タバコのためには動ける。それが大人ってもんだ。