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ネトゲで浮気していた彼氏へ。オフ会に来るあなたの『嫁』、中身はあなたのお母さんです

作者: ま
掲載日:2026/10/10



『ゆずこ、日曜はやっと会えるね。彼女には休日出勤って言っておくから、夜まで一緒にいられるよ』



ノートパソコンの画面に新しいチャットが一行増えた。

送り主はレオンハルト。

金髪に白いマントの、いかにも課金していそうな騎士だ。


その一分後、今度は私のスマホが震えた。



『ごめん、日曜休日出勤になった。埋め合わせはまた今度』



送り主は付き合って三年になる彼氏、拓海だった。


一分のあいだに、同じ指で二通。

あいつ、こんなに器用なやつだったっけ。



「……同じ時間に打ってるわね」



隣で画面をのぞきこんでいた佐和子さんが湯呑みを置いた。

佐和子さんは拓海のお母さんで、ゲームの中ではうさぎの耳を付けた回復役『ゆずこ』として、毎晩レオンハルトに口説かれている。



「美緒ちゃん、彼氏への返事はどうするの?」


「『お仕事がんばってね』にしておきます」


「了解。こっちには『楽しみにしてるね』って返しておくわね!」



佐和子さんはハートの絵文字を三つ付けて送信した。

私も同じ時刻に、その一文に猫のスタンプを添えて彼氏へ送った。

がんばってね、と打ちながら、何をがんばるつもりなのかはこちらが一番よく知っている、と思った。

腹は立っているはずなのに、指はいつもどおり猫のスタンプを選んでいた。三年分の癖は、そう簡単には抜けないらしい。はぁ。


それに、これは嘘ではないのだろうか?

休日出勤を信じたふりをして返事を送り、その足で拓海の実家の居間に座っている。

拓海のしていることと私のしていることの違いを、うまく説明できる自信は無い。

……いや、あるけど。たぶん。


木曜の夜、拓海の実家の居間に並んで座り、私たちは同じ男に返事を書いている。

どうしてこんな状況になったのかを説明するには、半年ほど時間を戻さなければならない。




◇




私、春川美緒は二十七歳の事務員で、中学生のころからのゲーム好きだ。

とりわけ『エテルナ・オンライン』という大型のオンラインゲームは、社会人になってからも七年続けている。


だが、拓海はそれを嫌った。



「いい年してゲームかよ。そういうの、人に言うなよ?」



付き合い始めた年から何度もそう言われたので、私は職場でも拓海の友達の前でも趣味の話をしないようにしてきた。

言われるまま地味な服を着て、控えめに笑って、休日は拓海の予定に合わせる。

そういう三年間だった。


本当は、新しい迷宮の話を誰かにしたかった。

七年かけて集めた装備を、すごいねと言ってほしかった。

でも言えば拓海の機嫌が悪くなるので、言わないほうが楽だった。

楽だったはずなのに、新しい迷宮が実装された夜は、誰もいない部屋で公式の告知を何度も開いては閉じた。


佐和子さんにゲームを教えたのは、今年の春のことだ。

パートを辞めて退屈だとこぼしていた佐和子さんに、試しに私のパソコンで遊んでもらったら、一晩で夢中になってしまった。



「この子、うさぎの耳が付けられるの? かわいいじゃない!!」



佐和子さんは回復役を選び、名前を『ゆずこ』にした。

毎年、柚子が出回り始めるとジャムを作るからだそうだ。

私の剣士『クロエ』と組んで、春から夏にかけて二人で迷宮を回った。


佐和子さんがボスの前で悲鳴を上げるたびに、私までつられて椅子の上で転げそうになった。

隣で同じ画面を見て騒げる人ができたのは、七年遊んできて初めてのことだった。



「拓海には内緒よ? あの子に知られたら、絶対に笑われるもの」



それは私も同じだったので、二人だけの秘密にした。


レオンハルトがゆずこに話しかけてきたのは、夏の終わりだった。

最初は回復の礼を言うだけだったのに、そのうち毎晩個別のチャットが届くようになった。

このゲームのチャットはスマホのアプリにも届くので、佐和子さんは台所でも買い物先でもレオンハルトの言葉を受け取っていた。

九月に入るころには、レオンハルトはゆずこを勝手に『僕の嫁』と呼ぶようになっていた。



「見て見て、美緒ちゃん。私、若い子に口説かれてるのよ!」



佐和子さんがノリノリ笑顔で画面を見せてきたときは、私も一緒になって噴き出した。



『僕の嫁』の気取った言い回しを二人で声に出して読み、どこの誰とも知らない男の口説き文句に点数を付けて遊んだ夜もある。



レオンハルトは自分のことをよく話す男で、営業の仕事で毎日疲れていることや、母親が口うるさいことを、聞かれてもいないのに書いてきた。

そして、三年付き合っている彼女がいることも。



『ゆずこって、二十二くらいのOLでしょ? 文章でわかるよ』


『ひみつ♡』



佐和子さんの返事はそれだけだったが、レオンハルトはすっかりそう思いこんだようだった。



『リアルの彼女はゲームオタクで地味な事務員。正直、一緒にいても退屈なんだよね』



その一文を読んだとき、胸の奥がざわついた。


ゲームオタクで地味な事務員?

それ、私のことじゃない?

いや、そんな女は日本中にいくらでもいるし、そんな男だっていくらでもいる。

いるはずだ。


私は考えすぎだと思うことにした。思うことにした、という時点で、もう半分は分かっていたのかもしれない。


ゲームの中で一度だけ、レオンハルトとクロエが同じ迷宮に入ったこともある。

レオンハルトは回復役のゆずこにばかり話しかけ、私の剣士には目もくれなかった。

後でゆずこに届いたチャットには『あの黒い剣士、邪魔じゃない? 二人きりで行こうよ』と書いてあったそうだ。


邪魔って何よ!腹立つ!

その迷宮のボスを削っていたのは、ほとんど私の剣士だったのに……。


確信したのは、三週間ほど前の土曜日だ。


その日は佐和子さんの五十六歳の誕生日で、拓海と私は実家の夕食に呼ばれていた。

お父さんは大阪に単身赴任中なので、画面越しに乾杯だけして通話を切った。


拓海は食事のあいだ中、テーブルの下でスマホを触っていた。



「拓海、食べるときくらいしまいなさい」


「仕事の連絡だって。急ぎなんだよ!うるせーな」



母親の誕生日に、それ言う?


拓海が親指を動かすたびに、食器棚の上に置いた佐和子さんのスマホが震えた。

三回目で佐和子さんは席を立ち、画面を見て、息子の顔を見て、最後に私の顔を見た。


デザートのケーキを切り分けながら、佐和子さんは私にだけ画面を見せた。



『親の誕生日で実家。母親の話が長くてだるい。早くゆずこと話したい』


『目の前に彼女もいる。今日も地味な紺のワンピース。ゆずこならもっとかわいいの着るよね』



私はその夜、紺のワンピースを着ていた。




◇




拓海が一人暮らしのアパートへ帰った後、佐和子さんと私は台所に並んで食器を洗った。

どちらも口を開かず、水の音だけが続いた。



「……見間違いかもしれないわね」



佐和子さんの小さな声は、自分に言い聞かせているようだった。



「同じ時間にスマホを触ってた人なんて、ほかにもいるでしょう?」


「ここには三人しかいませんでしたよ、佐和子さん」


「そうよねえ」



佐和子さんは泡だらけの手を拭くと、スマホを取ってゆずことして一行打った。



『今日は親御さんの誕生日だったんでしょ? プレゼントは何をあげたの?』



返事は五分もかからずに来た。



『ハンドクリーム。駅で適当に買った。毎年それでいいんだよ、ああいうのは』



佐和子さんは食器棚の上の細長い箱を手に取った。

二時間前に拓海が「これ、母さんに」と渡した、駅ビルの紙袋に入っていたハンドクリームだ。



「適当、ですって」



佐和子さんは笑い、笑い終えてからも長いあいだ箱を見つめていた。



「小学生のころはね、母の日に肩たたき券を十枚もくれる子だったのよ。どこで間違えたのかしらねえ」



何か言わなければ、と思った。

けれど、浮かぶ言葉はどれも拓海をかばうものか、拓海を責めるものかのどちらかで、この人に向けて言えるものが一つも無い。

自分が地味だと書かれたことより、目の前で佐和子さんが笑ってみせたことのほうが、ずっと悔しかった。



「ごめんなさいね、美緒ちゃん。あなたにまでこんな思いをさせて」


「佐和子さんが謝ることじゃないです」


「いいえ、謝らせて。育てたのは私だもの」



佐和子さんはもう一つ打ち明けてくれた。

今月の初めに拓海が実家に来て、二十万円を借りていったのだという。



「『美緒との結婚資金にしたいから』って言われたのよ。だから私、喜んで貸したの」



は? 結婚資金?

誰と?

結婚の話なんて、一回も聞いたことないんですけど。


その夜は電車に乗らず、二駅分を一人で歩いて帰った。


退屈な彼女、地味な紺のワンピース。

三年間、拓海の機嫌に合わせてきた分は、どの勘定科目にも載らないまま消えるわけ?


悲しいのか腹が立っているのか、歩きながら何度考えても分からなかった。

泣くかと思ったのに、涙は一滴も出ない。


それどころか、もう機嫌を取らなくていいのだと考えた瞬間、ほっとしている自分がいて、それが何より情けなかった。

そんなことを考えながら歩いていたら、気づけば自分の部屋の前に着いていた。


翌日、レオンハルトはゆずこにオフ会を申し込んだ。

十月の第二日曜日、駅前のカフェで午後二時に会おうという内容で、夜七時には夜景の見えるホテルのレストランの窓際の席を予約しておく、とまで書いてあった。



「美緒ちゃんは、どうしたい?」



電話の向こうで佐和子さんが尋ねた。



「……黙って別れようと思ってました。もう顔も見たくないので」



半分は本当で、半分は嘘だった。

顔も見たくないのは本当だ。

けれど、見たくないのと同じくらい、拓海が一度でいいから自分のしたことに青ざめるところを見たい、とも思っていた。

そんな身勝手な願いを、佐和子さんの前で口に出せるはずがない。



「そうね。それも一つの方法だわ」



佐和子さんは少し間を置いてから続けた。



「でもね、黙って別れたら、あの子はきっと同じことを繰り返すわ。次の誰かにも、地味だの退屈だのって言うのよ」



……簡単に想像できちゃうのが、また腹立つ。



「だから私、母親として最後まで見届けたいの。あの子が自分で何をしたのかを」


「オフ会、受けるんですか?」


「受けるわよ! ただし嘘は一つもつかないで行くわ。年を聞かれたときだって、『ひみつ』としか答えてないもの」



佐和子さんはレオンハルトに『いいよ。目印に、うさぎのキーホルダーを置いておくね』と返事をした。




◇




日曜日の午後一時五十分。

駅前のカフェ『こもれび』の窓際の席で、佐和子さんが紅茶を飲んでいる。

テーブルの上には、ゲームの公式グッズのうさぎのキーホルダーが置いてある。


私は観葉植物を挟んだ隣の席。

目の前のカフェラテは、とっくに冷めかけている。


正直に言えば、ここへ来る電車の中で三回ほど引き返そうと思った。

三年付き合った人のいちばんみっともない顔を、わざわざ見に行く必要ある? って。

それでも降りる駅を乗り過ごさなかったのは、台所で箱を見つめていた佐和子さんの横顔を思い出したからだ。


二時の七分前。

ドアベルが鳴る。


入ってきたのは拓海だ。

見たことのない紺のジャケットを着て、赤いバラの小さな花束を抱えている。


紺。

よりによって、紺?


それに花束!

私なんて三年間、一本ももらったことないんですけど?

来ると分かっていたのに、喉の奥がきゅっと縮む。


休日出勤のはずのあいつは店内を見回し、窓際のキーホルダーに目を留め、その前に座っている人の顔を見る。



「……母さん?」



声が裏返っている。



「なんでここにいるんだよ。偶然?」


「偶然じゃないわよ」



佐和子さんはカップを置き、キーホルダーを指でつまんで持ち上げる。



「はじめまして、レオンハルトさん。ゆずこです」



拓海は笑おうとして、失敗する。



「何それ、冗談だろ? 母さん、ゲームなんてやらないじゃん」


「やるのよ。春からずっと。回復役で、うさぎの耳を付けてるの」



佐和子さんがスマホのチャット画面を息子に向ける。

拓海の顔から血の気が引いていくのが、植物の葉の間からでもはっきり分かる。



「人違いだって! レオンハルトなんて名前、いくらでも……」


「『親の誕生日で実家。母親の話が長くてだるい』」



佐和子さん、画面なんか見ていない。

え、全部覚えてるの!?



「私の誕生日の夜ね。あなた、テーブルの下でこれを打ってたでしょう?」


「それは、その」


「『ハンドクリーム。駅で適当に買った』。ありがとう、毎晩ちゃんと使ってるわよ?」



拓海は口を開けたまま固まった。

花束を持つ手が、だらりと下がる。

脱力したみたいに、母親の向かいの椅子へ座りこむ。


見たかった顔だ。

あれほど見たかったはずなのに、胸はちっともすっとしない。

それより、こんなやつを好きだった三年前の私がかわいそうで、ちょっと泣けてくる。

……いや、泣かないけど!


ここで隠れたまま帰ったら、絶対に一生後悔する。

私は立ち上がって、植物の陰から出る。



「美緒……?」



拓海が、私と母親の顔を何度も見比べる。



「なんで美緒までいるんだよ。何これ、ドッキリ?」


「ドッキリじゃないよ。休日出勤、お疲れさま」



周りの席の客が、怪訝な顔でこっちを見始めた。

拓海は声を落として、早口になる。



「待てよ、誤解だって。ゲームの中の話だろ? 画面の中で仲良くしてただけで、浮気でも何でもないじゃないか!」


「じゃあ、その花束は何?」



拓海が、手元のバラを困惑した顔で見下ろす。



「今夜七時に予約したホテルのレストランは? 夜景が見える窓際の席だって、ゆずこさんに書いてたよね。私には休日出勤だって言ったのに」


「それは……会ってみて、どんな子か確かめたかっただけで」


「三年付き合ってる彼女に嘘をついて、花束まで買って確かめに来たんだね」



拓海の目が泳ぐ。

それから、ごまかすみたいに急に私をにらんできた。

は? 逆ギレ?



「大体、お前が悪いんだろ! ゲームばっかりで、地味で、一緒にいてもつまらなくて。だから俺だって」


「ゲームばっかりなのは、拓海も同じでしょ?」



自分でもびっくりするくらい冷静な声が出た。

膝はがくがく震えているのに、声だけは他人のものみたいに落ち着いている。


三年間、言い返したら負けだと思ってた。

なんだ。

言い返してみたら、案外こんなもんじゃん。



「私がゲームをしてるのを笑ってたのに、自分は隠れて同じゲームをして、彼女の悪口を書いてた。地味なのは、まあ否定しないけど」



私は自分の紺のワンピースの裾を、つまんでみせる。



「これ、拓海が『派手な服は着るな』って言ったから選んだんだよ。覚えてないでしょ?」



拓海は口を開きかけ、花束を持ち直し、また口を閉じる。

覚えてないんだ。

分かってた。

分かってたけど、ちょっと悲しい。


佐和子さんが、静かに口を開く。



「それから、拓海。先月貸した二十万円のことだけど」



拓海の肩がびくりと跳ねる。



「美緒ちゃんとの結婚資金って言ってたわね。美緒ちゃん、結婚の話なんて一度も聞いてないそうよ?」


「……返すよ。そのうち」


「そのうち、じゃなくて今月からよ。お父さんにも全部話してあります。今夜、大阪から電話するって」



拓海の顔色が、今度こそ真っ白になる。

右手が右の耳たぶに伸びた。


出た。

叱られる前に耳たぶを触るやつ。

三年付き合ってれば、それくらい知ってる。



「母さんだってひどいだろ! 息子を騙して、若い女のふりなんかして!」


「あら、私は一度も若いなんて言ってないわよ」



佐和子さんが首をかしげる。



「年を聞かれても『ひみつ』としか答えなかったし、写真を送ったこともない。ハートの絵文字は私の昔からの癖で、美緒ちゃんへのメッセージにも付けてるわ。勝手に二十二歳のOLだと思いこんだのは、あなたでしょう?」



拓海が母親から目をそらし、私のほうを向く。



「……じゃあ、お前は?」


「え?」


「母さんと二人で、俺のチャット読んで笑ってたんだろ。俺が何を書いてるか全部知ってて、黙ってたんだろ? どうせ、休日出勤が嘘だって知ってて『がんばってね』って返してきたんだろ? それ、騙してるのと何が違うんだよ!」



言葉に詰まる。

……だって、本当のことだ。

最初の何週間か、私は佐和子さんと一緒にあいつの口説き文句を読んで噴き出していたし、それが拓海だと分かってからも、知らないふりで猫のスタンプを送った。

足元の床が一段ぶん沈んだ気がして、動揺を隠すように鞄の持ち手を握り直す。



「……読んでたよ」



自分の声が、さっきより小さい。



「最初は誰だか知らずに笑ってた。拓海だって分かってからも、がんばってねって送った。それは本当。ごめん」



拓海の顔に、安堵したような色が浮かびかける。

は? なにほっとしてんの?


頭のどこかで、事務員の私が勝手に数字を並べ始める。

嘘の休日出勤が一回、ゆずこ宛ての『僕の嫁』が数えきれないほど、『結婚資金』の二十万円が一回。

私の猫のスタンプが、一回。

……はい、検算終わり。



「でも私は、花束を買って、ほかの人に会いに来てはいないよ」



拓海はとうとう黙りこんだ。


私は鞄を肩に掛ける。

言うことは、来る前から決めてあった。


三年の中には、ちゃんと楽しかった日もある。

初めて二人で行った水族館も、熱を出した夜に買ってきてくれたゼリーも、たぶん嘘じゃない。

だからこそ、ここで終わりにする。



「別れよう、拓海。三年間、ありがとう」


「美緒、待てよ。ちゃんと話そう。な?」


「ちゃんと話したかったのは、私のほうだったよ」



拓海が椅子から腰を浮かせかけたところで、佐和子さんが伝票を取って立ち上がる。



「ここは私が払うわ。それと、その花束」



佐和子さんは息子の手から、赤いバラをするりと抜き取る。



「もったいないから、もらっておくわね。ゆずこ宛てでしょう?」




◇




あれから一週間が過ぎた。


拓海からは長い謝罪のメッセージが何通も届いたが、私は一度だけ読んでブロックした。


ブロックのボタンを押す前に、指が一度止まったのは内緒だ。

未練ではなく、三年分の名残のようなものだったと思う。たぶん。


佐和子さんの話では、あの夜お父さんから二時間の電話があり、拓海は毎月の給料日に三万円ずつ返済することになったらしい。

レオンハルトのアカウントは次の日には消えていた。


後で佐和子さんから聞いたことだが、拓海に『エテルナ・オンライン』を勧めたのは会社の同僚で、「若い子と知り合えるぞ」という誘い文句だったという。

その同僚、今ごろ拓海からどんな顛末を聞かされてるんだろう。

ざまあみろ、とまでは言わないけど。


私は紺のワンピースを古着の回収に出し、代わりに前から着てみたかった明るい黄色のカーディガンを買った。

店員さんに「お似合いですね」と言われて、鏡の前で変な声が出た。

お世辞だと分かっていても、嬉しかった。

誰かに服を褒められたのは、ずいぶん久しぶりだったからだ。


日曜日の夜にゲームへログインすると、うさぎの耳の回復役が待っていた。



『クロエちゃん、こんばんは!』



佐和子さんのチャットには、相変わらずハートが三つ付いている。



『今夜も迷宮、行く?』


『行きます。今日は最深部まで行きましょう!』


『いいわね! それと来週の日曜、うちでお昼食べない? 柚子のジャム、今年もたくさん作るの。バラも、まだ居間に飾ってあるわよ』



え、別れた彼氏の実家で、お昼?

普通に考えたらおかしな話だ。

でも、おかしな話を気にしていたら、この一か月はそもそも起きていない。

私は返事を打った。



『行きます。黄色いカーディガンを着ていきますね』



画面の中で、うさぎの耳がぴょこんと揺れた。




↓番外編「ハートは三つ」(佐和子視点。カフェへ行くと決めた夜)

https://note.com/wise_turtle184/n/n0a3f3c75dbd4?app_launch=false

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