探検LoG 010 優しさと狂気は紙一重
それから2日が経った頃。
今日も穏やかな朝の日差しが、十年前と変わらない自室の窓から差し込んでいた。
床に敷いた真っ白な布団から体を起こす。
そして、あの頃寝ていた小さなベッドに腰を下ろした。
子供部屋にしては、物が少ない。
木の引き出し。
壁に掛けられた、小さな木製のピッケル。
それだけだ。
部屋の隅に脱ぎ捨ててあった探検装備を身につけると、俺は部屋を出た。
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「もう行くよ」
台所で朝食の準備をしている母に声をかける。
「待って」
母は手を止めてこちらへ来た。
何を言われても、俺はここを出ないといけない。
ここを捨てた俺に、帰る場所なんてない。
「痛い」
母は首を締めるみたいに強く抱きしめてきた。
「もう少し……我慢して」
それだけ言うと、母は黙った。
それ以上、何も言わなかった。
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俺は振り返らず、庭から外へ出た。
畑の間の道を歩く。俯いたまま。
次に開く探検フィールドは――
確か、東の街の奥だったはずだ。
東の街へ向かうか。
そう考えた時だった。
前から、探検に出たはずの親父が歩いてくるのが見えた。
しかも、一人で。
「おぅ! 嬉しい知らせだ!」
遠くから声を張り上げる親父。
こういう時は決まっている。
嫌な知らせだ。
「おぅ。お前はもう探検できない。それにフィールドにも入れない」
やっぱりな。
俺は無視して通り過ぎようとした。
だが肩を掴まれた。
「なんなんだ」
「おぅ、あの件で死んだ金髪の女のことだが」
親父は言った。
「ありゃお偉いさんの娘だったらしい。魔探局は今、理不尽に責任を追及されてる」
「それはよかった」
本心だ。
「おぅ、話はここからだ」
「まさか俺に責任が?」
「いや違う」
親父は首を振る。
「探検家になるには試験を受けなきゃならなくなった」
「……全員?」
「おぅ。もちろん俺もだ」
親父は肩をすくめて息を吐いた。
「試験は2日後の早朝。皇城で始まる。それまで家にいろ。レビィも嬉しいだろ」
皇城で一斉に試験か。
「いや戻らない」俺は即答した。
「やることがある」
「おぅ、そうか」
親父はそれ以上止めなかった。
「試験に落ちたら帰る」
そう言って俺は、一番近い街――オレリアへ向かった。
もう家には帰らない。
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北で一番大きな街。
オレリア。
レンガ造りの家が並ぶ、ごく普通の街だ。
昔、母とよく買い物に来た記憶がある。
そして今――
オレリア唯一の探検家学校では、第327回卒業式が終わったばかりだった。
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ギルガメシュガーデン。
古くから続く探検家学校。
オレリアの中心街にぽっかり空いた広大な敷地。
木々に囲まれたその中央に、窓の多いモダンな館が建っている。
創立から327年。
改良と増設を繰り返し、古さを感じさせない。
探検家を夢見る子供は、皆ここに通う。
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校門へ向かって歩く二人。
水色髪の少女と、赤髪の男。
二人が現れると、生徒たちは自然と道を空けた。
「フェミ・バレーさん! 最後に握手してください!」
一人の生徒が駆け寄る。
「握手、ですか?」
少し困った顔をしながらも、少女は手を差し出した。
フェミ・バレー。
氷のように澄んだ瞳。
白い肌。
水色のショートヘア。
今日は足首まである白いモスリンのドレスを着ている。
「俺もお願いします!」
「俺も!」
「自分も!」
あっという間に人だかりができた。
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「おいフェミ」
赤髪の男が苦い顔で言う。
「そんな奴ら相手にしなくていいだろ。それより魔石を買いに行こう」
アロンソ・オヘーダ。
小柄だが、全身が筋肉で引き締まっている。
背中には赤く輝く剣。
「皆さん、ごめんなさい」
フェミは申し訳なさそうに笑った。
「行かないと。探検家試験、それぞれ頑張りましょうね」
二人は校門を出た。
花で飾られたスタンドの間を抜けて。
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レンガの家が並ぶ大通り。
黄色い葉の木が等間隔に並んでいる。
馬車が停まり、親たちが子供と話している。
賑やかな通りだった。
フェミは歩きながら周囲を見回した。
そして、少しだけ視線を落とす。
「オレリアは今日も平和だな」
アロンソが言う。
「そうですかね」
路地裏には、薄汚れた貴族服の男が壁にもたれていた。
二人はそれを見ると、すぐに視線を戻す。
「良い人も多い」
「そうですね」
その時だった。
「あら……私のね、指輪ね、落としたかしら」
老婦人の声。
二人は振り返る。
「スリでしょうか」
路地裏へ駆け込む浮浪者気質の若い男が見えた。
⸻⸻
スリをしていたのはマルコである。
路地裏の壁に背を預け、肩を上下させながら呼吸する。
(あいつ……神秘樹で俺が光の魔石をスった奴)
心臓が速くなる。
呼吸に合わせて、白い羽の耳飾りが揺れた。
⸻
「追いかけるか?」
「もう見つからないでしょう」
「それより魔石店に向かいましょう」
道を歩き始めた時、通りの奥で声がした。
「モカ! 危ないよ!」
子供の声。
木の枝の上でに黒猫が足をすくませている。
「助けてあげましょう」
フェミが言う。
「いや」
アロンソは前を見た。
「その必要はなさそうだ」
白髪の男が、木の前に立っていた。
灰色のピエロ靴。
エメラルド色の長ズボン。
白いTシャツ。
整った顔。
不気味なほど綺麗な目。
「お兄さん、モカを取って」
男は無言で木に登った。
猫へ手を伸ばす。
優しく掴む。
そして、軽く地面へ降りた。
「すごい身体使い……」
フェミが呟く。
男は何も言わず、子供に猫を渡した。
「ありがとう! お兄さん!」
子供が笑う。
「お兄さんの名前は?」
「ピサロ・ユ...」
次の瞬間。子供の顔が崩れた。
「モカ?」
「モカ?」
黒猫の目は、もう光っていなかった。
「なんで?」
ピサロは何も言わず歩き出した。
子供が泣き始める。
それに合わせるように、ピサロはスキップした。
まるで鳴き声に合わせて踊っているようだった。
「んー、いいメロディー」
回る。
手を広げる。
踊るように跳ねる。
⸻
「おい」
アロンソが叫ぶ。
「なんで猫を殺した」
ピサロは振り返る。
「取ってと言われたから」
そして言った。
「文字通り取ってあげた」
ピサロはそのまま去ろうとした。
「待ちなさい!」
フェミが手首を掴む。
「んー痛い」
ピサロは笑う。
「折れそう」
フェミが少し力を緩めた瞬間。
ピサロは手を振りほどいた。
「それじゃあね」
そしてピサロはフェミに言う。
「君もじゃないか」
「何がです」
「君も今、アリを踏んでる」
フェミが足を上げる。
確かに潰れたアリがいた。
ピサロは踊るように去っていく。
彼の踏んだ場所には必ず――
小さく、価値のないとされている命が、いくつも残っていた。
退屈な学校だった。クソみたいなやつばかり。
でも良かった。グレードCの探検フィールドでクソみたいな奴が死んだおかげで、
クソを落としてくれる試験が追加された。
試験が終わったらこんな冷めた女ともおさらば。
探検家に女はいらない。
偉い立場だからって仲良くしろだって?
自分を偽るのが1番嫌いなんだ。
ーーー記録者 アロンソ•オヘーダ ーーー




