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【短編小説】VICのサンダル

掲載日:2025/12/19

 いま春が来て君は綺麗になり、いま冬が去り俺はひとつ歳を取った。

 そして夏が居座り終わることのない死の季節に何かを言おうとして、開きかけた口が乾くから全てを諦めた。


 俺は醜い。

 だが君が綺麗になる間に俺は干支が一周するほど労働者をやった。その結果、サラリーマンがすっかり板についた。裏切られた青年の成れの果て。

 だが存在の醜さと言うのは、そう言う概念的な話ばかりでは無い。脂肪だとか病だとか、生物的な話に偏りがちだ。

 俺はそのように醜い。

 醜い上にサラリーマンだ。

 まさかそうなるとは思っていなかった。

 しかし俺には選択肢が無かった。選択肢もなかったし、深夜特急に乗るような勇気も度胸も無かった。つまり俺はサラリーマンに向いていたのだ。


 サラリーマンと言う存在への進化が学校と言うシステム、または悪夢的な社会プログラムで去勢されたからだとか言う概念的理由に基づいているのかは不明だ。

 単にそういう遺伝子なのかも知れないし、生来の怠惰さ故なのかも知れない。怠惰さの定義は知らないが、サラリーマンは毎朝決まった時間に起きれば生きていける。それを怠惰と呼ぶかはそれぞれだと思う。

 せめてマシな裏切られた青年であろうと、通勤電車で少年ジャンプを読まなくなったのが救いだろう。安心しろよ、夕刊フジだって読んでいない。


 窓の外を流れて行く景色。

 河川敷に建てられたビニールと段ボールの家。都市型狩猟採集生活。ドロップアウトした気狂いたちのイカれた日々。

 ただそれを傍観する俺にはドキドキするようなイカれた人生は無かった。これからも無いだろう。

 俺たちの手の中にはDIJのピストルが無い。見えない銃が無い。精々がエア拳銃自殺と首吊り自殺タップダンス。風呂に入るのと大差ない気分転換さ。


 そうやって溜め込んだ疲労は俯いた首に溜まり肩を凝らせていく。その俺の足元にがVICのサンダルがある。茶色いサンダルが見える。便所サンダル。土の色。穢れ思想。全てが面倒になって眠る。


 眠り続けた俺たちは22年もの間を地下で過ごしてから社会に出た。学校は子宮だ。コンクリートの子宮だ。そうでなければ土か穴蔵、どちらにせよ子宮だ。

 俺たちはその子宮や穴から顔を出して都会にそびえたつビルディングの壁を攀じ登り、どうにかこうにか羽化をする。

 リクルートスーツの背中が裂けて俺たちは飛び立つ。翅なんて無いさ。真っ逆さまに、だが登った高さが高ければ高いほど落ちるまでに時間が稼げる。


 柔らかい肉体や精神は白く透き通っていて空を美しく見せたはずだが、いまの俺はVICのサンダルの様に茶色い。

 俺たちはすっかり茶色くなり、空を飾らなくなった。

 俺たちはすっかり茶色くなり、それでも生きた。

 たとえ俺たちにはドキドキするようなイカれた人生は無かったとしても生きた。



 俺は踊る。



 薄暗いオフィスの廊下、仰向けで寝ころんでいる夏を体現したサラリーマンは手足を天井に向けたまま虚ろな目つきをしている。

 俺はVICのサンダルで蹴り飛ばす。

 サラリーマンは手足をバタつかせて「クソ残業!」「あのやろうぶっころしてやる!」「人生!人生!」「ちくしょう!」などと叫ぶと勢いよく起き上がり、廊下の奥へと駆けていった。



 俺たちは終りかけている。

 だがまだだ、まだ終わらない。

 俺が蹴り飛ばしたサラリーマン、疲れて寝転ぶ俺を蹴り飛ばすサラリーマン。

「ちくしょう」

「ちくしょう」

 俺たちはリクルートスーツの中でドロドロに溶けていった別の自分をもう夢見る事もできない。



 さようなら銀河鉄道!

 さようなら深夜特急!

 さようなら因果鉄道!

 さようなら、さようなら、さようなら!


 俺たちは手を振る。

 あなたに、自分に、空を飾る白い四肢に、精神に、裏切られる前の俺に。

 俺たちはすっかり茶色くなった。

 茶色くなった俺たちは茶色いVICのサンダルで踊る。


 明日は月曜日だから今夜は眠り、明日の朝は決まった時間に目を覚ます。

 それは俺が俺である為に必要な事で、俺が茶色くなった理由でもあり、そうだな、いまこうして君と話している原因でもある。


 だからVICのサンダルを脱いだらそこに揃えてビルディングの屋上から飛び立つのもやぶさかじゃないよ。

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