~商店街は大騒ぎ~
〇鬼頭家・朝
(小鳥のさえずり、味噌汁の煮える音)
朱莉「(鼻歌まじりで)♪~っと。あなたー!朝ごはんできましたよー!」
ダイニングテーブルに並べられた、完璧な和朝食。
焼き魚、卵焼き、ほうれん草のおひたし、そして炊き立てのご飯と味噌汁。
真治「(新聞を読みながら)ああ。」
スーツ姿でビシッと決めた真治、席に着く。
朱莉「さあ、召し上がれ!今日の卵焼きは、ちょっとだけお砂糖多めにしてみたの!」
真治「(一口食べて)…うまい。」
朱莉「えへへ、よかった!さ、たくさん食べて、今日もお仕事頑張ってね!」
真治、黙々と朝食を済ませ、立ち上がる。
真治「行ってくる。」
朱莉「はーい、いってらっしゃい!…あ、あなた!ネクタイ、ネクタイ!」
朱莉、慌てて玄関に先回りし、ネクタイを差し出す。
…が、その手にはなぜか2本のネクタイが。一本は真治お気に入りのシックなストライプ柄。
もう一本は、なぜか金魚柄の派手なネクタイ。
真治「…なぜ2本あるんだ。」
朱莉「え?あ、これは…ほら、気分転換用!銀行の窓口で、お客様の心を和ませるかもしれないでしょ?」
真治「(金魚柄を指さし)こんなもので和むのは、3歳児までだ。俺は31歳だ。」
真治、ストライプ柄のネクタイをひったくるように受け取り、慣れた手つきで締める。
朱莉「ちぇー。いいと思うんだけどなー。あ、お弁当!はい、今日の愛妻弁当!」
朱莉、可愛らしい風呂敷に包まれた弁当箱を渡す。
真治「ああ。」
真治、それを受け取り、玄関のドアに手をかける。
朱莉「あ!待って!」
真治「…今度はなんだ。」
朱莉「お箸、入れ忘れちゃった!てへっ。」
朱莉、小走りでキッチンに戻り、箸箱を持ってくる。
真治「…だろうと思った。」
真治、深いため息をつき、箸箱を受け取って今度こそ家を出ていく。
朱莉「いってらっしゃーい!気をつけてねー!」
(バタン、とドアが閉まる音)
朱莉「ふぅー。今日も完璧な主婦業だったわ!さて、お掃除お掃除っと!」
元気よく腕まくりをする朱莉。
しかし、その手にはなぜかテレビのリモコンが握られているのだった。
〇社宅・廊下
掃除を終えた朱莉、ゴミ袋を持って廊下に出る。
すると、隣の田中夫人と、上の階の鈴木夫人が井戸端会議をしている。
朱莉「あ、田中さん、鈴木さん、おはようございまーす!」
田中「あら、朱莉さん、おはよう。」
鈴木「おはよう、朱莉さん。旦那様、送り出したところ?」
朱莉「はい!今日もバッチリ、愛妻弁当持たせてやりました!」
鈴木「まあ、偉いわねぇ。うちはもう、社食でいいって言われちゃって。」
朱莉「えー!ダメですよ、鈴木さん!胃袋を掴むって言うじゃないですか!そういえば、うちの主人、最近ちょっと夏バテ気味みたいで…。」
田中「あら、大変。うちもなのよ。食欲がないみたいで。」
朱莉「それでね、私考えたんです!夏バテには、やっぱり酸っぱいものがいいって!だから今日の夕飯、梅干しをたーっぷり入れたスペシャル麻婆豆腐にしようかと!」
鈴木「…麻婆豆腐に、梅干し?」
田中「そ、それ…本当に美味しいのかしら…?」
朱莉「大丈夫ですって!クエン酸とカプサイシンのダブルパワーで、元気モリモリ間違いなしですよ!なんなら、お二人も今夜どうです?うちで!」
鈴木・田中「「えっ!?」」
鈴木「い、いえ、うちは主人が…」
田中「そ、そうよ、うちも今夜は…」
朱莉「あら、残念!じゃあ、今度レシピ教えますね!」
そう言って、朱莉はゴミ捨て場へと去っていく。残された二人は顔を見合わせる。
鈴木「…梅干し麻婆豆腐…。」
田中「…新しいわね…。」
〇商店街・八百八の前
(商店街の賑やかな音)
朱莉、買い物かごを片手に、鼻歌まじりで歩いている。
朱莉「♪~さてさて、今日の夕飯は、梅干し麻婆豆腐に決定だから、あとは…副菜ね!」
威勢のいい声が聞こえてくる。
八百八の大将「へい、らっしゃい!見てってよ、見てって!今日はニンジンが安いよー!」
店の前には、山と積まれたツヤツヤのニンジン。
朱莉「わー!大将、こんにちは!本当に安いの?」
大将「おう、朱莉ちゃんか!見てみな、この量で100円だ!って、ありゃ?値札が…。」
大将が目を離した隙に、値札が「1本100円」から「1山100円」に変わっている。
もちろん、朱莉の仕業ではない。
風で札がひっくり返っただけだ。
朱莉「(目を輝かせ)い、一山100円!?大将、気前がいいわね!じゃあ、そこの3山、全部いただくわ!」
大将「さ、3山!?朱莉ちゃん、そんなに買ってどうすんだい!うさぎでも飼い始めたのかい?」
朱莉「もう、失礼しちゃうな!ニンジンは美容にもいいんですよ!ジュースにしたり、サラダにしたり、そうだ!ニンジンの葉っぱは天ぷらにして…。」
朱莉が夢中で話していると、後ろから買い物客のおばあさんが声をかける。
おばあさん「あらまあ…八百屋荒らしよ…。」
朱莉「えっ!?どこに!?」
キョロキョロと周りを見渡す朱莉。
大将が呆れたようにツッコミを入れる。
大将「朱莉ちゃん、あんたのことだよ!」
〇商店街・魚辰の前
ニンジンを買い物かごに山ほど詰め込んだ朱莉、次は魚屋へ。
朱莉「魚辰の大将!こんにちはー!」
魚辰の大将「お、朱莉のお嬢ちゃん!威勢がいいねぇ!今日は何にするんでぇ?」
朱莉「それが、まだ決めてなくって。何かおすすめある?」
大将「おうよ!今日はピッチピチのアジが入ってるぜ!塩焼きでも、なめろうでも最高だ!」
朱莉「わー、美味しそう!じゃあ、そのアジを五匹!三枚におろしてくれる?」
大将「へい、合点だ!」
大将、手際よくアジをさばき始める。その隣では、別のお客さん(マダム)が、立派なキンメダイを選んでいる。
マダム「かしら、このキンメダイ、煮付け用に捌いてくださる?」
大将「へい、承知しました!」
朱莉、大将の見事な包丁さばきに見とれている。
朱莉「(心の声)すごいわ…まさに職人技…。あんな風にお魚をさばけたら、真治さんも尊敬の眼差しで見つめてくれるかしら…。」
ぼーっとしているうちに、大将がアジの処理を終える。
大将「お嬢ちゃん、アジ、できたぜ!」
朱莉「(ハッとして)あ、ありがとう、大将!」
朱莉、代金を払い、包みを受け取る。
…と、その時、隣に置いてあったキンメダイの包みも、自分のものだと勘違いして、ひょいと買い物かごに入れてしまう。
朱莉「じゃあね、大将!また来るわ!」
大将「おう!毎度あり…って、お嬢ちゃん!そりゃ違う!そりゃマダムのキンメだ!」
大将の叫びもむなしく、朱莉は鼻歌まじりで去っていく。
残されたマダムと大将は、あっけにとられて立ち尽くすのだった。
〇商店街・肉の斎藤の前
朱莉「(ご機嫌で)アジにニンジン!今夜は豪華ななめろうだわ~!」
肉屋の前を通りかかると、店主の斎藤さんが店の前でうずくまっている。
朱莉「あら、斎藤さん?どうしたんですか、こんなところで。日向ぼっこ?」
斎藤「(苦痛の表情で)朱莉ちゃん…ぎ、ぎっくり腰になっちまって…う、動けない…。」
朱莉「ええーっ!?大変じゃないですか!救急車呼びます!?」
斎藤「だ、大丈夫だ…。ちょっと休めば治まると思うんだが…店が…。」
店の中では、数人のお客さんが困った顔で待っている。
朱莉「(正義感に燃え)斎藤さん!お店のことは、私に任せてください!」
斎藤「え?いや、でも朱莉ちゃんは…。」
朱莉「大丈夫です!主婦をなめないでください!お肉のことなら、毎日触ってるんですから!」
朱莉、エプロンを勝手に借りて、テキパキと店番の準備を始める。
朱莉「さあさあ、お客様!お待たせいたしました!肉の斎藤、本日、私が助っ人でございます!」
お客さんの一人「あのう…豚のコマ切れを100グラム欲しいんですけど…。」
朱莉「はい、喜んで!豚の…足、一本ですね!かしこまりました!」
お客さん「えっ!?ちょ、足じゃなくて!コマ切れ!」
朱莉「大丈夫ですよ、奥さん!足一本買っておけば、角煮に、焼き豚に、トンソクに、一週間は楽しめますって!」
朱莉、巨大な豚足をショーケースから取り出そうとする。
お客さん、顔面蒼白。
そこに、小学生の男の子がやってくる。
男の子「おばちゃん、コロッケ1個ちょうだい。」
朱莉「はいよ、コロッケ1個ね!坊や、お腹すいてるのかい?よし、おばちゃんがサービスしちゃう!」
朱莉、コロッケを1個袋に入れると、なぜか隣のメンチカツを掴み、袋に山ほど詰め始める。
男の子「え…え…?」
朱莉「ほら、遠慮するんじゃないよ!育ち盛りなんだから、たくさんお食べ!」
男の子、メンチカツがパンパンに詰まった袋を渡され、戸惑いながら去っていく。
次に来たのは、見るからに上品なマダム。
マダム「こんにちは。いつもの、牛ヒレ肉を200グラム、シャトーブリアンの部分でお願いするわ。」
朱莉「はい、マダム!いつもありがとうございます!…ところでマダム、今日はちょっと趣向を変えて、こんなのはいかがでしょう?」
朱莉が取り出したのは、豚バラ肉と鶏のささみを交互に串に刺し、間に謎の緑色の野菜(ニンジンの葉っぱ)が挟まった、奇妙な串。
朱莉「名付けて、『豚さんと鶏さんのランデブー串』です!ヘルシーかつジューシー!今夜のディナーに革命を起こしますわよ!」
マダム「…結っ構ですわ。」
マダム、静かに店を去っていく。
斎藤さんが、店の奥から呻き声をもらす。
斎藤「あぁ…俺の店が…革命されちまう…。」
〇社宅・朱莉の部屋
商店街での大騒動を終え(たことに気づかず)、朱莉は意気揚々と社宅に帰宅する。
大量のニンジンとアジ、なぜかキンメダイの煮付け(魚辰の大将が呆れながらも作って持たせてくれた)を抱えている。
(ピンポーン)
朱莉が荷物を置いた途端、インターホンが鳴る。
朱莉「はーい!」
ドアを開けると、そこには半泣きの田中夫人が。
田中「朱莉さーん!どうしましょう、大変なの!」
朱莉「まあ、田中さん、どうしたんですか!?顔が真っ青ですよ!」
田中「た、大切なものが…なくなったの…!」
朱莉「(目を輝かせ)な、なんですって!?それは事件の匂い…!」
〇社宅・田中夫人の部屋
田中夫人の部屋に、田中夫人と、噂を聞きつけた鈴木夫人が集まっている。
朱莉は、なぜか虫眼鏡を片手に、探偵気取りだ。
朱莉「(深刻な顔で)…なるほど。なくなったのは、田中さんがご主人に内緒で貯めていた『へそくり』。額にして、およそ五万円。そして、最後に見たのは、昨日の夜、ご主人が寝た後…。」
田中「そうなのよ…どこを探してもなくて…。」
鈴木「泥棒かしら…怖い…。」
朱莉「(虫眼鏡で床を覗き込みながら)ふむ…外部から侵入した形跡はない…。と、なると…犯人は、内部の人間!つまり…この社宅の住人の誰かということになります!」
田中・鈴木「「ええーっ!?」」
朱莉「皆さん、落ち着いてください!この名探偵あかりが、必ずや犯人を見つけ出してみせます!」
朱莉、早速聞き込み調査を開始する。まずは、田中夫人の夫のことから。
朱莉「田中さんのご主人、最近、何か変わった様子はありませんでしたか?」
田中「え?さあ…いつもと変わらないと思いますけど…あ、でも最近、夜な夜な何かを押し入れに隠しているような…。」
朱莉「(ビシッと指をさし)それだ!きっと、へそくりを盗んで、何か良からぬものを買っているに違いありません!例えば…そう!愛人へのプレゼントとか!」
鈴木「きゃー!不倫!?」
田中「そ、そんな…あの人が…。」
朱莉、今度は上の階の鈴木夫人に尋ねる。
朱莉「鈴木さんのお宅!何か変わったことは?」
鈴木「うーん…そういえば、うちで飼ってるインコのピーちゃんが、最近『へそくり…へそくり…』って鳴いてるような…。」
朱莉「(ガタッと立ち上がり)なんですって!?そのインコ、事件の真相を知っているのかもしれない!ピーちゃんは、見た!…のかもしれない!」
田中「え、インコが…?」
朱莉の迷推理はどんどんエスカレートしていく。
社宅中を巻き込み、住人たちに次々と疑いの目を向ける。
〇社宅・再度、田中夫人の部屋
結局、犯人は見つからず、一同はぐったりしている。
田中「はぁ…もう、諦めるしかないのかしら…。」
朱莉「いえ、まだです!灯台下暗し…もう一度、部屋の中をよく探してみましょう!」
一同、最後の望みをかけて田中夫人の部屋を捜索する。
朱莉は、なぜかカーテンの裏や植木鉢の中を調べている。
その時、田中夫人が叫んだ。
田中「あ!あった!」
一同「えっ!?」
田中さんが指さしたのは、冷蔵庫。
おそるおそる野菜室を開けると、そこにはラップに厳重に包まれた現金五万円が、キャベツの隣に鎮座していた。
田中「よかった…!自分でここに入れたの、すっかり忘れてた…。」
鈴木「もー、人騒がせなんだからー!」
朱莉「(得意げに腕を組み)ふっ…野菜室とは…完全な盲点でしたね。しかし、私の名推理が皆さんをもう一度捜索する気にさせた…つまり、私のおかげで見つかったと言っても過言ではないでしょう!」
田中・鈴木「「(…過言だわ…)」」
二人の心の声は、もちろん朱莉には届かない。
〇鬼頭家・夕方
(包丁がまな板を叩く小気味よい音)
朱莉、今日一日の出来事をすっかり忘れ、上機嫌で夕飯の準備をしている。
メニューはもちろん、予告通りの「梅干し麻婆豆腐」。
そこへ、玄関のドアが開く音。
真治「ただいま。」
朱莉「あ、あなた!お帰りなさい!」
真治、疲れた顔でリビングに入ってくる。
真治「…今日は、なんだかどっと疲れた…。」
朱莉「あらあら、大変だったのね。でも大丈夫!今夜はスペシャルディナーで、あなたの疲れを吹っ飛ばしてあげるから!」
真治「…スペシャルディナー?」
(ピンポーン)
真治が訝しんでいると、インターホンが鳴る。
朱莉「はーい?」
モニターを見ると、そこには八百八の大将、魚辰の大将、肉屋の斎藤さん、そして田中夫人と鈴木夫人の姿が。
朱莉「あら、皆さんどうしたのかしら?」
ドアを開けると、皆が口々にお礼(?)を言ってくる。
八百八の大将「朱莉ちゃん!あんたのおかげで、なぜかニンジンが全部売れちまったよ!ありがとうな!」
魚辰の大将「お嬢ちゃんのおかげでキンメダイの煮付けが大好評だったぜ!おまけでもう一匹持ってきたから仲良く食いな!」
斎藤「朱莉ちゃん…君が店番してくれたおかげで、なぜか豚足が飛ぶように売れて…店の新しい名物になりそうだ…ありがとう…。」
田中「朱莉さん!おかげさまで、へそくりが見つかりました!(夫にバレて、半分没収されちゃったけど…)」
鈴木「朱莉さんの名推理、スリリングだったわ!(ほとんど的外れだったけど!)」
一同「「本当にありがとう!!」」
朱リ、差し出された大量の差し入れ(キンメダイの煮付け、ニンジンの葉の天ぷら、豚足、なぜかインコのピーちゃん用の餌など)を抱え、満面の笑み。
朱莉「えへへ、どういたしまして!人助けができてよかったわ!」
一同が去った後、呆然と立ち尽くす真治。
真治「…今日一日で、一体何があったんだ…。」
朱莉、真治に向き直り、ニッコリと笑う。
朱莉「ね、あなた。今日も平和で、素敵な一日だったでしょ?」
真治、こめかみを押さえ、深いため息をつく。
真治「…どこがだっ!!」
真治の盛大なツッコミが、社宅に響き渡るのだった。
〇鬼頭家・食卓
食卓には、商店街の面々からの差し入れと、朱莉特製の「梅干し麻婆豆腐」が並んでいる。
真治「(恐る恐る麻婆豆腐を一口食べ)…ん?…意外と…いけるな。」
朱莉「でしょー!私の愛のスパイスが効いてるのよ!」
真治「(キンメダイの煮付けを食べ)…うまい。これは本物だ。」
朱莉「よかった!さ、あなたもご飯たくさん食べて!」
朱莉、真治のご飯茶碗を受け取り、おひつの隣に置いてあった「塩」の容器から、白い粉をサラサラと振りかける。
真治「ん?今、何を入れた?」
朱莉「え?お塩だけど?ちょっと汗かいたでしょ?塩分補給!」
真治、茶碗を受け取り、一口食べる。そして、固まる。
真治「…あかり。」
朱莉「なあに?」
真治「…これは、砂糖だ。」
朱莉「えっ!?うそ!?」
朱莉、慌てて容器を確認する。そこには、確かに「さとう」と書かれたラベルが。
朱莉「てへっ!間違えちゃった!」
真治、深いため息をつき、天を仰ぐ。しかし、その口元は、ほんの少しだけ笑っているように見えた。
朱リ、慌てふためく。
朱莉「ご、ごめんなさい!すぐに入れ替えるから!」
真治「…いや、いい。今日はもう、これでいい…。」
甘いご飯を頬張る真治と、慌てふためく朱莉。
そんな二人を、温かい光が包んでいる。




