後編
「どういうことだ!?」
「噂とは関係ないが人が亡くなったこととは関係がある。まずはこれを見てくれ」
そう言って雨栗はPCを操作して皆にモニターを見せた。
そこにはこの春に件の部屋で撮影した上浜と巻木杉が写っていた。
この寮では新入寮生の紹介のため、代々各部屋で住人の写真を撮っていた。
「そしてこれが11年前の同じ部屋の写真だ。ではこの辺りを拡大して比べてみよう」
「あれ?畳の縁の色違わね?」
元川が気付いたとおり、この春の写真では緑色の畳の縁が、11年前の写真では濃紺になっていた。
「ああ、ここの部屋の畳は10年前に住んでいたOBの田川さんが買い替えている。これは本人に確認できた。で、俺は田川さんが畳を購入したリサイクルショップに行ったところ、今の店長さんからこの件に関連すると思われる話が聞けた。当時、特殊清掃業務会社に勤める男がよくショップに物を売りに来ていたと」
「?特殊清掃業務?ダ○○ンとかか?」
聞きなれない言葉に戸釜が疑問を挟む。
「いや、死体が放置されていた家とかの清掃だ。そういうのは普通の清掃業者では手に負えないらしい」
「えっ、じゃ、もしかして」
「その特殊清掃業務会社の社長さんからも話を聞いた上での俺の推測はこうだ。『10年前、特殊清掃業務会社に勤めていた男が、仕事先の遺骸の下に敷かれていた畳を処分するふりして、表面上綺麗にしたそれをリサイクルショップに売り飛ばし、それをあの部屋のOBの田川さんが買ってしまった』と」
予想外の話に聞いていた誰も声を出せない。
「男はクビになったし、当時のリサイクルショップの店長も退職してるんでこれ以上踏み込んだ証言は得られなかったが。まあ、大きく外してはいないと思う」
「えーと、そんなに中古の畳の需要なんかあったのか?」
「主な購入者は当時の寮生だ。田川さんによると10年前、ここらではちょっとした建設ラッシュがあって古い家の取り壊しも多かった。そこで中古の畳が出回ったんで当時の寮生たちが一斉に畳を入れ替えたらしい。今の寮の畳のほとんどがそのとき入れ替えたものだそうだ」
中古の畳でも建設当初からの畳よりはマシだっのだろう。
「いやいやいや!それならあのキノコレリーフの原因尚更祟り説有力じゃねーか!生物学的現象どこ行ったんだよ!?」
「それについては日柿から説明してもらおう。日柿、頼む」
そう言って雨栗はPC操作のできる席を日柿に譲った。
「……では、自分から説明させていただきます。まず今回これほどまでに畳に菌類が繁殖した原因ですが、第一に水が零れたことです。それもただの水ではなく、冷蔵庫内に付着していた栄養が豊富に含まれた水です。第二には、その水を拭き取る際に窓を開けて換気したこと。これにより、風や虫に運ばれた胞子が室内に入りました。第三にそれらの胞子が栄養を吸って肉眼で見える状態になる直前に上浜君が部屋を留守にしたこと。基本的にはこの三つの要素が重なったことで部屋にあれほど繁殖することになりました」
ここまでは皆概ね予想していた話だ。
「今回の件で重要なのは、水が零れてからそれを拭き取るまでに時間があったことです。ある程度の撥水性がある畳の表面を抜けて中まで富栄養な水が染みるほどの時間が。これがあのキノコレリーフが生じる原因となったと自分は推測します」
雨栗を除く四人の顔に困惑の色が現れる。
「ところで、キノコにはアンモニアを栄養にして育つアンモニア菌という種類があります。この手のキノコはアンモニアがある土壌の上で育ちます。アシナガヌメリなどが有名ですね」
有名ですねと言われてもと四人が困惑を深める。
「雨栗さんが調べてくださったことですが、死後、人が放置されるとその体液などが布団や畳などに深く染み付くことがあるそうです。あの畳も死体が分解されて生じたアンモニアがその真下の内部に染みてこびりついていたのでしょう。それが今回富栄養な水が染みて融けた」
「「「「あ!」」」」
「だからそのアンモニアが染みた部分の上だけ、人型を浮き出すようにキノコが生えたのだと思います。先程のアシナガヌメリなどは結構地中深くまで菌糸を伸ばして栄養を吸収します。このキノコも同様なのでしょう」
「アレがそのアンモニア菌だって証拠はあるのか?」
戸釜の疑問に日柿はPCを操作し、モニターを見せながら説明する。
「今回採取したキノコの胞子をアンモニアを含んだ栄養素を入れたケースと、アンモニアを含まない栄養素を入れたケースの中で培養してみました。このようにアンモニアを含んだ栄養素を入れたケースでは繁殖し、アンモニアを含まないケースの中では他のカビなどに負けてしまって育っていません。なお、専門の研究所にもサンプルを送って分析してもらっていますが同様の状態とのことです。」
「これってアシナガヌメリってやつなのか?」
「いえ、違います。自分は知らないキノコですね。研究所の人も見たことないということだったので案外新種のキノコかもしれません」
「へえ~、なるほどな」
説明を終えた日柿が一礼すると再び雨栗と席を替わった。
「調査の報告は以上だ。この調査結果を踏まえて105号室のキノコレリーフ事件については、科学で説明可能な生物学的現象であることを寮の公式な結論としたい。異議はあるか?」
「いや、俺はとりあえず納得したぜ。異議はない」
戸釜の言葉に元川と敷島も頷く。
そこで雨栗が上浜に声をかけた。
「上浜、今回はお前が一番の被害者だったわけだがどうだろう。納得してもらえただろうか?」
「あ、はい、納得しました。俺も異議はありません。なんか今まで怖かった反動で気が抜けちゃいましたけど」
そこでこれまでほとんど発言しなかった敷島が口を開く。
「その亡くなった方の身元なんかは分かるのか?何かの事件の被害者とか」
「いや、そこまでは。ただ、特殊清掃の社長さんが言うには当時事件現場の処理をした記憶はないとのことだから、おそらく何らかの病気で自然死された方だろう」
「なるほどな。ところであの畳はどうするんだ?いや、粗大ごみで廃棄するんだろうが、なんというか、その前に亡くなった方に手を合わせておきたいと思ってな。なんか安らかに眠っていたところを騒がしてしまったようで申し訳なくてな」
「俺もそう思ったんでな。特殊清掃の社長さんからお寺を紹介してもらった。廃棄の前に一度供養してもらおうと思ってな。そのときに希望者が手を合わせる機会を設けよう。差し支えなければ料金は寮の予備費から出させてもらう」
その雨栗の提案にも皆賛意を示した。
「しっかしこんな真相だったとはな……雨栗、お前日柿にしっかり感謝しろよ。お前の話だけじゃ机上の空論って言われても仕方なかったぞ」
「わかってる。改めて感謝する、ありがとう日柿。お前が協力してくれなかったらこの結果は無かった」
「いえ、そんな。たまたまお役に立てて良かったです」
日柿は殊勝な態度を崩さない。
しかしどこか満足げであった。
「じゃあ雨栗、早いとこ今日の結果をチャットに掲示してくれ。俺らは他の退寮希望者を説得する」
「ああ、調査結果はまとめてるからすぐにでも」
と、そこで廊下を走る足音が聞こえ、寮務室のドアがノックされた瞬間開かれる。
「あれっ!?上浜?お前も居たの?」
「ま、巻木杉……」
ドアを開けたのは約2週間ぶりにバイトから帰ってきた巻木杉だった。
「ま、ちょうどいいや。雨栗さーん、なんで俺の部屋封鎖されてんですかー?俺ずーっとバイトだったんでクッタクタでー。早いとこ寝たいんで開けてもらえないっすかー?あ、これを機会に個室にしてもらえるんならそれでもいいっすけどー」
上浜が願いを込めた視線を雨栗に送る。
「……ヤッていいぞ。寮長権限で許可する」
「なー、上浜ー、お前からも頼んでくれよーって、あれ?どうしたの?え?先輩方もなんか殺気立って」
「やかましい!このバカがーっ!」
「うわああああーっ!?」
3分後
寮務室には顔といわず腹といわず全身をポスカで落書きされまくった巻木杉と、とりあえず溜飲を下ろした上浜他三名と、苦笑いを浮かべた雨栗と日柿の姿があった。
「俺が一体なにをしたとー!?」
「「「「黙れ元凶が!!」」」」