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明希の杞憂。

フローライト第十六話。

次の日の夜、利成が迎えに来た。父と少し奥の父の部屋で話してから利成が「行こう」と明希の部屋に来た。


「うん・・・」と立ち上がった。


「忘れ物ない?」と利成に言われて部屋の中を見回した。パソコンはもう先に車に積んであった。


「うん、大丈夫」


玄関に行くと父と義理の母が待っていた。


「明希、身体気をつけろよ」と父が言った。


「うん、ありがとう」


父が少し心配そうな顔をしていた。


「じゃあ、お父さんとお母さん、お世話になりました」と利成が言うと、父がうなずいて「利成君、明希のこと頼むな」と言った。


何だか不安そうな父親の顔を見て、そんな父を見るのは初めてだなと明希は思った。父はいつでも強気なことしか言わなかったし、明希の結婚の時だってそんな不安そうな顔はしなかった。


「お父さん、ありがとう。またね」と明希が言うと、父が「しっかりやれよ」といつもの顔に戻って言った。


 


マンションは街中に立っていた。前のアトリエは目の前に川があってどちらかというと自然が多かった。


「最上階だから」と利成が言う。エレベーターもプライベートエレベーターだった。


「えー・・・すごい・・・広い・・・」


エレベーターから降りて部屋に入ると明希は言った。リビングの広さがあのアトリエの倍以上あった。部屋も前のところより多い。洗面所に行ってみると、二つも洗面台があったので驚いた。


「気に入った?」と利成に聞かれた。これで気に入らない人なんかいるのだろうか?


「もちろん」と笑顔で言うと、利成が嬉しそうに笑顔を見せてから言った。


「寝室も見てよ」


「うん」


寝室も広かった。部屋にはダブルベッドがあった。


「あーダブルだね」と明希はベッドに座った。もう色々夢みたいだった。


「良かった、明希が気に入ってくれて」


利成も明希の隣に座った。


「もうこんなすごいところ気に入らないわけないよ」


「そっか。・・・今まで一人にしてごめんね」


利成がそう言って明希の肩を抱いた。


「ん・・・こっちこそごめんね。・・・赤ちゃんのこと・・・」


そう言ったら利成が肩から手を離し、明希の身体を自分の方に向かせた。


「明希、明希のせいじゃないよ」


「でも・・・」


「いい?明希は何でも自分のせいにしちゃうところがあるから・・・そういうところが悪いわけじゃないけど、他人に利用されちゃったりすることもあるんだよ・・・例えばその元カレの夏目とかね」


そう言われてハッとして明希は顔を上げて利成を見た。利成はいつもより真剣な目をしていた。


「翔太に?」


「そうだよ」


「どうして?」


「彼は明希とどうなりたいんだと思う?」


「それは・・・」


──  別れるなら俺とつきあって ・・・。


翔太の言葉を思い出す。


「思い当たる事ある?」


「うん・・・つきあってほしいって・・・利成と別れたら・・・」


「・・・・・・」


利成が黙りこんだ。明希はやっぱり翔太と会わなければよかったと後悔した。少し沈黙した後、利成が口を開いた。


「明希は昔から何でも我慢しちゃってて、本当の気持ちもわからなくなるくらい我慢しちゃってるところがあったよ」


「・・・・・・」


「でも明希が自分で考えて自分で決めたことでもあるから、それは俺にとっても大事なことでね」


「うん・・・」


「だから「大丈夫?」って聞いて、大丈夫じゃないのに明希が「大丈夫」って答えても黙ってたんだ」


(え?)と思った。あの頃、男子にいじめられて物凄く我慢していた小学生の頃、利成はよく「大丈夫?」と聞いてくれた。でもいつも「大丈夫」だと答えた。誰かに助けを求めようとする発想自体なかったのだ。


「でもこないだね、その夏目のことを聞いて思ったよ」


「・・・・・・」


「時には言わないと、俺が明希を守らないと、また明希をひどい目にあわせてしまうかもしれないってね」


「・・・ひどい目?」


「前にあのアトリエで夏目にされたようなことだよ」


「・・・翔太は酔ってたって・・・」


「そう。確かに酔ってたね。でも今回は?」


「酔ってないけど、されてもいない・・・」


「・・・・・・」


「ごめんね、どっちにしても私が出かけて行ったのが悪いから・・・」


「どこへ行ったの?」


「その・・・翔太の家に・・・」


「彼は一人暮らし?」


「うん・・・」


「・・・・・・」


そう言ったらまた利成が黙った。ああ、やっぱりそうだよね。一人暮らしの男性の部屋に上がるなんて・・・ダメだったよね。


「そうか、やっぱり言わないとダメだな」と利成が呟いた。


「何を言うの?」


「もう明希に連絡するのをやめてもらう」


「・・・翔太に言うの?」


「そうだよ」


そう言って利成が立ち上がった。それから「こっちに来て」と言われた。


リビングには大きめのダイニングテーブルが置かれてあった。これも新しいものだ。そこに座ってから利成が「明希も座って」と言った。


「明希が自分で言う?もう連絡しないでって。そして彼のラインを削除する」


(え?)と思った。利成が明希に対して命令みたいな言い方をしたことは初めてだった。


「もし明希が言えないなら俺が言うよ」


利成の有無を言わせない調子を感じた。


「自分で言うよ」


「そう。じゃあ、今電話をかけて」


「電話?」


「そう。ちゃんと伝えて」


「うん・・・」とスマホを取り出して翔太に電話をかけた。呼び出し音が数回なってから翔太が出た。


「もしもし?」


「・・・あの・・・」


「明希?どうかした?」


「あの・・・翔太・・・あのね・・・」


言えなかった。やっぱり翔太のことを傷つけたくなかった。明希はやっぱり翔太のことも好きだったのだ。


あの高校の頃からの思い出がよみがえる。


(翔太・・・)


「もしもし?明希?」


翔太の声が響いた。


「翔太・・・」


「ん・・・ほんとどうした?何かあったの?」


「その・・・・・・翔太と・・・」


そこでまた言えなくなる。涙が溢れて来た。


「明希?」と翔太が言う。


(やっぱり言えない・・・翔太も好き・・・)


スマホを握りしめたまま何も言えずにいると、利成が「明希、スマホ貸して」と言った。


黙って利成に渡した。


「もしもし?」と利成が翔太に向かって言っている。それからもう明希に連絡しないで欲しいと言っているのが聞こえた。


明希は寂しくて涙がこぼれた。でも何でだろうと思った。利成がいるのに・・・。


「じゃあね」と利成が通話を切った。それから「明希」と呼ばれる。明希は涙を手で拭った。


「夏目、わかってくれたから。ラインも削除するよ」


「うん・・・」


利成がスマホを操作してから明希にスマホを返してきた。


「ごめんね。明希は彼のことが好きだったんだよね」


「・・・・・・」


「だから俺も今まで許してた」


そういわれてハッとして利成を見た。利成はわかってて黙ってたのだろうか・・・。


「でもこれからは言わないといけない時は言うことにするよ」


「うん・・・」


 


その夜、前とは違うダブルベッドに上で利成は少し余裕のなさそうに明希に触れてきた。明希は利成に抱かれながら時々脳裏に翔太のことが思い出されて慌てて打ち消した。


いつも優しくて、何よりも明希の気持ちを第一に考えてくれて、けして押し付けるような言い方をしてきたことのなかった利成があんな風に言ってきたのは、よほどのことだったのだろうと少し経ってから思った。


 


そして再び二人での生活が始まった。利成は相変わらず忙しくてあまり一緒に過ごせなかったけど、それでもわずかな時間でも家にいる時は明希のことを優先してくれた。


明希は再び会社に出社するようになった。仕事はやっぱり続けたかった。そうでなければこのそびえたつ都会の中のマンションの最上階で、明希はひとりどう過ごせばいいかわからなかった。


利成がたまにテレビに出たりするときは、ああ、有名人なんだなと実感もあったけど、普段はいつも通りの利成で、あのテレビの中の利成は別人なんじゃないかしらなどと思ったりした。


そうして再び冬が過ぎ春が過ぎて夏に突入した頃、ネットのニュースを開いてたまたま利成のことが出ていたのでそのニュースを開いてみた。


(え?)と思った。利成が女性とホテルから出てくる写真が出ていた。しかもあきらかに隠し撮りといった感じだ。でも、利成に限ってあり得ないと思った。でも、やっぱり不安もある。


何せ利成は大学出てすぐに明希と結婚した。まだ利成も明希も二十二歳だった。しかも利成の人気は一気に上がって今のところ留まることを知らなかった。そんな利成を女性が放っておくわけないと思った。妊娠で少し盛り上がったけれど結局子供は死産、利成だって気持ちが重くなっただろう。それにそもそも子供が出来なかったら、利成だってあんなに早くに明希と結婚したりしなかっただろう。


(もしかしたら他に女の人がいても不思議じゃないのかも・・・だってあんなに優しいんだもの・・・他の人にだってきっと優しい・・・)


悲しかったけど、もしこの記事が本当だったとしてもしょうがないのかもと思った。


グズグズとそんなことを考えて泣いていたが、ふとユーチューブを開いた。昔の自分の歌を聴いているうちに久しぶりに歌いたくなった。


時刻は夜の七時になろうとしていたけれど、利成はどうせ今日も遅いだろうと出かける準備をした。いつもだいたいカラオケ屋で録っていたのだ。


このマンションから繁華街は近かったのですぐにカラオケ屋に到着した。いつも同じバンドの歌を歌っていたけれど、違う曲を選んでみようと思って利成の歌を見つけた。


(利成ってほんとに有名人になっちゃったんだな・・・)と今更ながら思った。


明希にとっては利成がどれだけ売れようと、どれだけ人気が出ようと、あまり関係なかった。それより本当は一緒に過ごしたかった。


(利成の歌・・・結構難しい・・・)


何回も練習しているうちに疲れてきて、今日は録るのをやめようと思った。ハッとして時間を見ると、もう夜の十時を過ぎていた。


(帰ろう)と立ち上がってカラオケ屋を出た。


もう夜中なのにネオンと共に人が増えたみたいだった。繁華街だったので歩いていると酔っ払いに声をかけられたりして怖くなって少し早足で歩いていたら、曲がり角で前から走って来た自転車にぶつかって転んでしまった。


なのにその自転車の主は謝るどころか「ちっ」と舌打ちしてそのまま自転車で去って行った。


(痛っ・・・)


倒れた拍子に膝をぶつけてストッキングが破れていた。その場にしゃがみこんだまま膝を見ていると、「あらら、大丈夫?」と呼び込みの男性に声をかけられた。


「だ、大丈夫です」と焦って明希は立ち上がった。


「でも血が出てるよ。お店においでよ。手当してあげるよ」とその男性が明希の膝をみながら言った。


「い、いいえ。大丈夫です」と明希は焦ってその男性から離れようと踵を返した。背中にその男性の視線を感じて急ぎ足で歩いた。そしてそのうち走り出してようやくマンションに着いたのは十一時近かった。


エレベーターの中で涙が出てきた。前のアトリエの方が良かったなと思った。あそこは静かだった。


部屋に戻ると利成が帰っていて、明希が玄関に入るとすぐに利成が玄関まで来た。手にはスマホを持っていた。


「明希、どこ行ってたの?今、電話しようと思ってたところ」


「ごめん・・・カラオケ屋さんに行ってたの」


「カラオケ?一人で?」


「うん・・・でも、自転車にひかれちゃって・・・」と目線を自分の膝に向けたら、利成も明希の膝を見た。


「血が出てる。他は大丈夫だったの?」


「うん・・・」


「見せてごらん」と言われてリビングで破れたストッキングを脱いだ。


「消毒しないと」


利成が隣の部屋に入って行く。リビングの隣にある部屋は、とりあえず物置のようになっていた。


「一人で行ったら危ないよ」と膝を消毒液で消毒されながら利成に言われた。


「うん・・・」


「昔もあったね。膝擦りむいて」


「あ・・・利成覚えてるの?」


「覚えてるよ」


そう言って利成が絆創膏を貼ってくれた。


「一緒にコンビニに行ったじゃない?」と利成が絆創膏と消毒液を片付けながら言った。


「うん。それで帰って来て利成が家から絆創膏持ってきてくれたんだよね」


「そうだね」


「それから次の日だっけ?一緒に市役所に絵を見に行ったんだよね」


「そうだね。あの時は前の日ドキドキしてたよ」


「えっ?利成が?」


「うん。明希と一緒に行けるから緊張してたよ」


「えー・・・嘘でしょう?利成は全然そんな感じじゃなかったよ」


「ハハ・・・そう?」


 


利成はいつも通りだった。他に女の人がいるなんて信じられなかった。なので迷いつつもその日ベッドに二人で入った時に、黙っていられなくなって聞いてしまった。


「あのね・・・利成?」


「ん?」と目を閉じていた利成が目を開ける。


「その・・・」とまた言いよどむ・・・。


(ああ、いつもはっきり何で言えないんだろう・・・)


「・・・・・・」


利成は黙っている。


「あのニュースね・・・本当?」


ようやく言った。


「ニュース?」


「うん・・・」


「何の?」


「あの・・・ネットのニュースで・・・利成のことが出てたの」


「ネット?どれ?見せて」と言われたので明希はスマホを取りだして検索した。さっきの記事を見つけて利成にスマホを見せた。利成がその記事を見ている。


「明希は本当だと思うの?」


「・・・わかんない。だって利成はまだまだ私だけって嫌でしょう?色んな人がいるんだもの・・・」


「明希の癖だろうけど、そうやって自分に価値がないような言い方するのは」


利成がスマホを明希に返してまたベッドに横になった。


「少しずつやめようよ」


「何を?」


「そういう口癖」


「口癖なのかな・・・でも、本当にそう思うんだけど・・・」


「そう、じゃあわかった。あの記事は明希は本当だと思うんだね?」


「・・・だからわかんない」


「考えてみて」


「何を?」


「あの記事が本当かどうかだよ」


「だからわからない。私のことじゃないでしょ?利成のことなんだもん。本当かどうかなんてわからないよ」


「そうか・・・」


利成が珍しくふさいだ声を出した。


「利成?」


「明希と二人でよく絵を描いたよね」と利成がいきなり違う話をしだした。


「うん・・・」


「明希はよくオレンジ色使ってたんだよ。覚えてる?」


「え・・・そうだっけ・・・」


「そう。何でその色ばかり?って聞いたら、「好きだから」ってめちゃくちゃ可愛い笑顔で言われた」


「えー・・・覚えてない」


「ハハ・・・そうだろうなぁ・・・だってその後から明希はうちに来なくなったものね」


「そうだっけ?何でかな」


「多分、男子たちにからかわれたんだよ」


「男子に?それも覚えてない」


「んー・・・そうか」と抱きしめてくる利成。


何かはぐらかされてるような・・・?


「明希とこうしていられてほんとに幸せなんだよって話し」


「私も幸せだよ・・・」


そう言ったら利成が嬉しそうな笑顔になってから口づけてきた。


「明希は俺にとってオレンジ色のキャンバス・・・」


利成の言葉にあの綺麗なオレンジ色のキャンバスを思い出した。


「前のアトリエにあったあのオレンジ色のキャンバスは?どこに行ったんだっけ?」


「どこかにあるよ」


「後、利成が描いてくれた私の絵は?」


「んー・・・それもあるよ」


「じゃあ、探そう」


「うん、多分奥の荷物の中だよ」


「そっか、まだあそこ片付けてないもんね」


「ん・・・」とまた明希に口づけてくる利成が言った。


「・・・また子供作ろうか?」


「え?でも・・・」


「欲しくない?」


「・・・欲しいけど・・・」


「不安?」


「うん・・・」


正直不安を通り越して恐怖だった。もしまたああなったら?


「大丈夫だよ」


「・・・利成、私の質問はぐらしてる・・・」


「ハハ・・・そうだっけ?答えたよ」


「答えてないよ。昔の話ししただけで・・・」


「それが答え」


「・・・何か意味わからない」


「ハハ・・・」と利成がただ笑った。ほんとに意味がわからない。でも・・・。


「私もすごく幸せ・・・」と利成に自分から口づけた。


「ん・・・」と利成が深く口づけてきた。


(子供・・・欲しいな・・・)不意に思った。怖いけど、やっぱり欲しいな・・・。


 

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