空の上、星の下
冬童話2025参加作品です。
ダークなお話ですが、よろしくお願いいたします。
m(_ _)m
僕はひどい裏切りにあった。
君がいれば他には何もいらないとさえ思っていた愛しい人。
君がいることで、こんなに心強いことはないというくらい頼りにしていた友。
揃って僕を裏切って、僕からすべてを奪った。
命さえも。
燃えさかる炎が迫ってきても不思議なことに熱さは感じなかった。
あたりには阿鼻叫喚がこだましているだろうに、聞こえてくるのは静かに火が爆ぜる音のみ。
これから僕を飲み込む炎がまるで弔いに弦を弾いているかのように、ただ、パチパチと。
裏切られたことが信じられなくて、後手に回った。
裏切られたと認めたくなかった。疑うことすらできないと己を戒めた。
認めたら、生きてきた僕のすべてが偽りに溶けて無くなってしまいそうで怖かった。
でも、現実で。
怒りとか悲しみとか悔しさとか何故とか恨みとかありとあらゆる感情を二人は僕から引き出して、僕は空っぽになって死んだ。
もうずっと昔のこと。
「どうじゃい?」
特に。
「かーっ! その思春期みたいな返事! 可愛い我が子じゃが可愛くないのう!」
誰が子どもか。
爺はまた「かーっ!」と言いながら、床につきそうなほど伸びた髭を鞭のように振り回して、ペチペチ叩いてきた。
地味に痛いような気がする。痛いはずもないのに。
「良き父母がおったらとっととそこへ行けと星の数ほど言ってきたというのに……強情な奴じゃのう」
爺がドスッとわざと音を立てながら僕の隣と思われるところに座った。
僕はとうに僕という形を失って、ただ漂っているだけだから『僕の隣』なんてものは存在しない。だって僕の意識は確かにここにまだあるんだけど、肉体は滅びて形はもう無いのだから。
喉も口もないから言葉も話せるはずないのに、爺との会話は何故か成立する。
まあ『なんで?』なんてどうでもいいけれど。
ここは空の上だけど星の下にある場所。けして人には認識も理解もできない空間だから。
この世界の生き物は皆魂を持っている。魂が肉体を得て生き物として生きて、その命が終わると魂は次に生まれる準備をするためにこの不思議な空間にやって来るのだ。
ふよふよと漂いながら地上を見て、大体は自分から生まれる場所を選んで母体に吸い込まれるようにここからいなくなる。
時折、強い因果に抗うこともできずに引っ張られていく魂もいるけれど、大抵は自分で選んでまた生まれていった。
僕のように自我を残したまま漂っている魂もいるし、ただ漂っているのもいるけれど、僕ほどずっとここにいる魂は他にはいない。
「おぬしのような奴がたくさんいてたまるか! いつまでも居座りよってからに」
爺が隣で吠える。
うるさい。耳がないんだから聞こえなきゃいいのに。
「そういう時だけ純粋な魂のフリをするんじゃないよ、まったく。おぬしがここに来てから一体どれほどの時が流れているのか、そろそろ自覚するがよい」
どれほど? はて。身体がないからまるで時間の感覚が無いのはそのとおりだしな。
「……ああ、ほれ、このたびも来たぞ」
爺が目を向けた方向を見ると、形はないのにふたつの魂の存在がはっきりと見てとれた。目も無いんだけれど。
そのふたつの魂は、ふよふよと僕のまわりを漂って、ひょんっ! と地上に引っ張られていった。
「今回も、おぬしを探すことに命を使うのかのう……」
僕は魂がひっぱられていった先を見つめた。
産声をあげた我が子を愛おしそうに抱きしめる母親と父親。それが二組見えた。
「いやはや、普通の魂はワシのように生まれた魂を見る目までは持っておらんというのに。ここに染まり過ぎじゃよ」
この二人の人生をここから見るのは果たして何回目だろうか。
地上の国々の境界線が変わっても、山が火を噴いて大陸の形が変わっても、氷が大地を覆っても、文明が何度か滅びても。
この二人は変わらず生まれ変わっていく。
僕を裏切った最愛の二人は、その贖罪として何度生まれ変わっても『僕』を忘れずに生まれ、探しに探してその人生を終える。
二人はいつも同時に生まれて、出会って共に僕を探して、そして同時にその人生を終えてここに来る。
そして、ここにいる僕を見つけた瞬間に、また贖罪の因果に引っ張られて地上に生まれていくのだ。
覚えているのは僕のことだけ。ここでのことは覚えていない。だから、僕があれから生まれ変わらずにずっとここに居るのを知らずに、地上で僕を探して人生を終えるのだ。
とても哀れだと思う。
「そう思うなら生まれてやれば良いじゃろうに」
ホントのところ、僕の恨み辛みは長い長い時間をかけてこの不思議な空間に濾過されてしまっていて、二人のことをもう恨んではいない。
彼女は僕を捨てて彼を選んだだけ。
彼は、彼女を得るために僕が邪魔だっただけ。
ただそれだけだから、もう僕のこととか関係なく、二人で幸せに生きれば良いのにと心から思う。
毎回、共に過ごしながらも二人が連れ添ったのを見たことは無い。共に在る関係をまわりに理解されることもなく、穏やかとはほど遠い辛酸を舐めているような人生を繰り返している。
それもこの世界の罰だとしたら、僕は「もういい」と誰に言えばいいのだろう。
「だから、おぬしが生まれれば、二人がおぬしを見つけて終わりを迎えられるじゃろうて。命が終わるたびにここに来れているのだから、二人の罪は償えるものじゃよ」
ここは魂が次に生まれる準備をする場所だけど、すべての魂がもれなく来るわけじゃない。
世界の理に対する大罪を犯した魂は、ここには来ない。生まれ変わることなく、魂を消滅させられるからだ。
誰に? この世界そのものにだろうと僕は思っている。
また、大罪を犯した魂と全く逆で、善行を積み過ぎた魂もここには来ない。世界のそっち側、生き物という枷から外れて爺と同じような存在になるのだろう。
もう僕はなんとも思っていないから、赦されて二人でまた幸せな人生を送ればいい。
僕が死んだ直後は恨みが強すぎて、こうやってここから地上を眺めることなんてできなかった。
僕が落ち着いた時には二人の人生は既に繰り返されていたから、僕は二人の幸せなところを見ていない。
たぶんだけど、僕はそれを見ないと次に進めない気がする。
僕のいない時間を幸せだと過ごす二人をきちんと見ないといけない気がするんだ。
「じゃ、か、ら!! ……待て。おぬし、おぬしが命を終えた後、あの二人が末永く幸せな人生を送ったと思っておるのか?」
邪魔な僕がいなくなって、すべてを手に入れて幸せだったんじゃないのか?
「あー……、そうか、そうじゃな……おぬしは二人の最初の人生のその先を見ておらんのだったな。……盲点じゃった。知った上でここに居座っているのかと思っておったわ」
どいうことだ爺……と思う間もなく、「言うの面倒くさいのう、ほれ、見てこい」という爺の声と同時に、僕は何かに引っ張られて細く千切れて霧散した。
「心配せんでもいい。魂が戻ってくる時にちゃんとまたくっつくんでな」
燃えさかる炎。
燃える身体。
燃える城。
燃える国。
ああ、そうだった。
堅固な城も、中から手引きされればひとたまりも無かった。
手引きしたのは王太子妃。
城を落としたのは隣国の将軍。
翌週の僕の戴冠式の参列のために来ていた友は妻と通じ、この国を落とした。
幼い頃からの許嫁だった妻は、僕を裏切り国を売り渡した。
ずっとふよふよと漂うだけだった僕は、本当に久しぶりに僕の形になってここに立っていた。
実体はないようだが、恐る恐る右足を出すと歩くことができた。
しばらく歩いてあたりを見渡す。
人の気配がない。
生まれ育った城の回廊。
四季折々の植物で彩られていた中庭。
ああ、そうだった……。
今は無残に破壊されているけれど、ここは確かに僕の生きた場所。
王の長子として生まれた僕には、この国を継いで守り抜くことが人生に課せられていた。
それはとても重たいものだったけれど、僕が膝をつきそうになった時には彼女が手を握ってくれていたから、僕は立っていられたんだ。
ガシャン。ガシャン。
何かが割れる音。自然と足をそちらに向ける。
もう拍動する心臓もないのに、胸がざわついた。
この先にあるのは玉座のある謁見の間。
僕が死んだ場所だ。
「なぜ殺した!? 話が違うではないか!! なぜだ!? なぜ!!!」
かつて友だった将軍が自軍に向かって剣を向けていた。
「お、落ち着いてください閣下! 王太子は自ら命を絶たれ……」
「信じるものか!!!!!」
将軍が剣を振るうと「ひぃぃぃ!!」と兵士が腰を抜かした。
そうだ。
僕は、もう逃げられないとは分かっていても自刃などしていない。この首は民のために落とされるのだから。
ここで、後ろから刺されて動けないところに火をつけられたのだ。
「腐りきった国王と王妃の首だけで済ませる手筈を……!! 誰が、誰の命令で殺した!? 我が友を!!!!」
その慟哭に、兵士たちは立ち竦んだ。
見ているもの聞いているもの。このすべては爺が見せている過去だ。
人とは違う存在は嘘など吐かない。吐く必要がない。
長い間、漂って見ていた僕にはそれが分かる。
だからこの光景は実際に起こったこと、事実だ。
将軍の向こうには焼け煤けた部屋にそぐわない真新しい白い布に包まれた何かに縋り付いて「あ」とも「う」とも言えない声を洩らす妻の姿があった。
「ぐあっ!? 貴様ら!!!」
視線を将軍に戻すと、数人がかりで自軍の兵士に切りつけられていた。
やめろっ!!
止めようと手を伸ばそうとした時、視界に入ったのは妻に斬りかかる兵士の姿。
やめてくれっ!!!!!
絶叫したところで何もかもが止まらない。止まるはずがない。
もう過ぎてしまった、起こってしまった過去なのだから。
「将軍様もあっけなかったな。うちの陛下が本当に王と王妃の首だけで済ますはずがないのに」
「本当に。ある意味盲目的で、こちらとしては助かったな。この女も、民を食い物にして腐りきった王家の一員なのに、国よりも民よりも夫を助けてくれるならとせっかく手引きしたのにな」
「まあ、恨むならこの国とうちの国の陛下にしてくれよな。高貴な方々の巻き添えなんてごめんだ」
「違いない」
兵士たちの厭らしい笑い声があたりを包む。
絶叫した僕は、また何かに引っ張られて千切れていった。
「どうじゃ? 知らんかったか?」
能天気な爺が聞いてくるが、知るはずがない。
妻も友も、僕に何も言ってくれなかった。
言うはずがない。言えるはずがない。
王太子たる僕に、保身のために国を捨てろなどと。
父である王の圧政に喘ぐ民が暴動を起こす前にと、父の退位と僕の戴冠が進められていたというのに。
何もかも間に合っていなかったのだな。
何も、見えていなかったんだ。
守るべき僕が、守られるだけだったということを。
裏切らせたのは、他でもない僕だ。
「コラコラ。それ以上自分を責めると魔王化してしまうからよしなさい。これで分かったじゃろ? あの二人がおぬしを探す理由を。あの二人が添い遂げるはずがないことを」
僕を探す理由?
理由……、理由は……。
身体が地上に向かって引っ張られる。
同じく僕も願ってしまったから、因果が僕にも巡ってしまった。
また会いたい、と。
ただ、それだけなんだと。
「やれやれ……ようやっと片付いたわい。よもや、何千年たっても妻と友が通じていると思ったままだとは。人に限らず、言った『つもり』とか、知っている『だろう』には気を付けなきゃならんちゅーことだのう。神とか呼ばれちゃっててもまだまだ学ぶことはあるもんじゃわい。……ああ、生まれ変わって、うむうむ、出会ったか。これで長きに渡り絡まっていた因果もほどけたじゃろうて。……いい顔しとるのう。二人のその後をもっと早く見せてやれば良かったのう。まあ、赦しておくれよ、我が子よ。しかし、世の理とはいえ、また生まれるというのは、ある意味冒険よな。……ようやく踏み出した人生に幸多からんことを」
読んでくださり、ありがとうございました。
今回の冬童話のテーマを見て、人生そのものが冒険みたいなもんだよなぁ……と思って書いたものです。しかしながら、暗い、重い、子ども向けか……というお話になっちゃいました。
子どもたちに伝えたかったことは、人生、生まれて生きてるだけで大冒険中なんだ! ということだと、ここでもう一回叫んでおきます!( ̄□ ̄)
主人公は、もう生まれる気力もないくらいに傷付いても、一歩踏み出しました。どんな形になっても、きっと笑って冒険するでしょう。
それでは、また別の作品でお会いできますことを願いまして。お付き合いくださり、ありがとうございました。
m(_ _)m