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星葬画家と妖精の愛し子  作者: 藤宮晴
一章 異端の画家と妖精の愛し子
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【8】『妖精の騎士』

 画家組合〈ミュトス〉の建物を出たその足で、クロードは神殿に向かっていた。

 目的は当然、ラファエラ・モッロの孫娘。ローザとやらに会うためだ。


(ラファエラ・モッロの孫娘……。いったい、どんな娘なんだろう?)


 クロードは今すぐにでも、彼女に会いたかった。

 察しのいいジョヴァンニに、「今夜はおとなしく帰ってくださいね?」としつこいくらいに言い含められたが、素直に従うつもりはない。

 のちにバレたところで、クロードは開き直るつもりでいる。

 クロードがその手の頼みで、一度も従った試しがないのは、ジョヴァンニも身に染みて知っているだろうに。


(ラファエラ・モッロの孫娘は聖レイノルズ教壇の神殿に捕らえられているんだったか……)


 クロードは聖レイノルズ教とか、神の類を信仰していない。神殿や教会に行ったことはないが、なんとなく場所は把握している。

 街から遠のいて、郊外の神殿へと向かうと、そこは不思議なほど、静まり返っていた。

 その理由を、クロードはすぐに理解する。

 神殿の入口には武装した見張りの男が二人。


(彼ら、気持ちよさそうに、眠ってる……)


 見張りのはずだが。どちらもスヤスヤと、間抜けな顔で眠りこけている。

 深い眠りについているようだ。クロードが近づいて軽く肩を叩いても、一向に目覚める気配はない。

 見張りが眠るとは、ひどく不用心である。悪いやつに侵入されたら大変だな、と心配しながら、クロードは遠慮なくズカズカと神殿の中に足を踏み入れる。

 それから少しも経たないうちに、クロードは神殿の中で何か異常が起きているのでは、と疑い始めた。


(神殿中の人間が、眠っている……?)


 これはとても、困ったことになった。まったくもって計画通りではない。

 当然ながらクロードはラファエラ・モッロの孫娘の居場所を知らない。だから、道中誰かに聞こうと考えていたのだ。まさか、部屋のひとつひとつを開けて確認するわけにもいくまい。

 それに、神官たちも一斉に眠っている理由。薬でも盛られたのだろうか。

 囚われている、ラファエラ・モッロの孫娘も?

 何のために?

 静かな神殿の中、考え込むクロードの脳裏を、幼い頃の記憶が掠める。


(神殿から何か物か、あるいは人物を、盗み出そうとしている?)


 そんな状況で悪党に見つかったら、どうなることか。想像に容易い。

 悪しき人物を警戒して、クロードは密かに緊張感を高めた。


 ――その時。


 鼻先に、金色の光が舞う。


(……妖精?)


 桃色の豊かな髪を花弁のように広げた、美しい妖精の少女だった。

 クロードは思わず手を伸ばすが、彼女はひらり、と華麗に避けて。

 妖精の少女は着いてこい、と言わんばかりにクロードの先を進んでは、時々、チラチラと振り返っている。

 その誘うような仕草に、クロードの胸は、えも言われぬ感情がざわめいた。


(『あの時』、のように……)


 再びクロードを、〈妖精國〉に連れ去ろうとするのだろうか。

 だったら――望むところではあるのだが。

 妖精の導く先には、ラファエラ・モッロの孫娘がいる。クロードには不思議と、予感があった。

 けれど、彼女をクロードと同じ目に合わせてはいけない。

 それに、神殿中の人間を眠らせた、悪しき侵入者から守らなければならない。


(今はまだ、〈妖精國〉に踏み入れる、時期ではない)


 ――ラファエラ・モッロの孫娘を攫うのは、僕だよ。


 クロードは揚々と意気込み、妖精の跡をつけた。


 ***


 ローザが神殿に軟禁されて、何日が経過したのだろう。

 高熱を出し寝込んでいたローザにとって、過ぎ去った時間ほど不確かなものはない。

 ベッドから起き上がれる程度には、体調が回復して。ジョヴァンニは花が咲きほころぶような笑顔を見せてくれた。

 それでも本調子ではない。ローザはジョヴァンニから、しっかり休むよう言い含められて日中も眠りについていたためか。夜が更けても、ローザはなかなか寝つけずにいた。


(王都……都会って、すごく静かだ……)


 暖かくなる頃、バセットでは鳥や虫の声が、煩いくらいに聞こえていたのに。神殿の夜はひどく静かだった。

 唯一の窓は脱走防止だろう、天井高くから差し込む月明かりは、やけに眩しく思えた。

 しんとした静寂と、月の異様な明るさを目にして、ローザは無性に、心細くなる。

 ジョヴァンニはまめに、ローザの元へ顔を見せてくれた。

 どうやら彼は、『異端者』の処遇が、無罪となるように動いてくれたらしい。

 極刑どころか、罪にも問われない。それは素直に嬉しかった。ローザだって罰を受けたくない。

 しかし、正直にその結果を受け入れてもいいのだろうか。


(〈異端画〉を描いたあたしに、一切の罪がないとは思えない……)


 仮に人間が許したとして、例えば〈悪しき獣〉は、ローザを許すだろうか。


(そんな。許してくれるはず、ないよ……)


 オネスドク古王国には「魔物」が存在しない。だからローザは魔物の類を見たことはない。

 きっとものすごく怖い。ローザなんて、きっと頭からペロリと食べられてしまう。

 ローザが呻きながらベッドの上で悶々と悩んでいると、静かな神殿に、カツンカツン、と足音が響く。

 見回りの時間は、とっくに過ぎている。神殿の職員は皆職務に忠実だけれど、こんな時間まで神官が仕事をしているとは考えづらい。


(……まさか、まさか。まさか、だけど……)


 ローザが〈異端画〉を描いたから。〈悪しき獣〉が、寄ってきたのだろうか。

 何のために。決まっている。ローザに罰を与えるためだ。

 ごく身近な妖精とは違い、しょせんはお伽噺だと思っていた存在を、これほど近くに感じた経験は、ローザにはない。

 ローザはブルブル、と躰を震え上がらせた。


(いっ、急いで、逃げないとっ……!?)


 ローザは軟禁されている身の上だが、神殿の規則から内鍵をかけてはいない。

 だが、部屋を出て鉢合わせる可能性は、十分に考えられる。


(えっと、逃げる場所は……)


 ローザは散々考えた末に、クローゼットの中に隠れることにした。

 その間にも、迷いのない足音はどんどんと近づいてくる。

 ローザの心拍は破裂しそうなほどに高まっていた。今にも気絶しそうだ。息が苦しい。ローザは浅い呼吸を繰り返し、爪を立てて拳を握る。なんとか、意識だけは手放してはいけない。

 細い扉の隙間から、ローザは目を凝らしてじっと部屋の様子を窺う。

 最悪の想像は当たって――足音はローザの部屋の前で、ピタリとやんだ。

 それから、ガチャリ、とドアノブを回す音がする。

 部屋の扉が開けられると、暗がりから、ひとつの『影』が躍り出た。

 意外にも、『影』は異形ではなく、人間のかたちをしている。

 存外、細身な体躯だ。しかし、ローザよりもだいぶ、背が高い。

 『影』がズズズと、部屋の中を進むたびに、月明かりが少しずつその正体を暴いていく。

 ローザは目を大きく見開いた。

 やがて月の、金色の光に照らし出されたのは。


 ――思わず息を呑むほどに美しい、『妖精』だった。


(よよよよ、妖精の、騎士さまっ……!?)


 闖入者の姿は、昔ラファエラに聞いたような、『妖精の騎士』を彷彿とさせた。

 背の中ほどもある銀色の髪は、無造作に結われている。月光に照らされ、それ自身がきらきらと輝きを放っているようにも思えた。細い体躯が纏うのは、くたびれたシャツとズボン。飾らない自然な姿だからこそ、彼の類まれな美貌をいっそう引きださせている。

 血色こそ悪いが、瑞々しい肌は白く透き通るようだ。

 秀でた額や、すっと整った鼻筋。ほっそりとした輪郭に、鮮やかに赤く濡れたくちびる。かたちの整った眉は凛々しく、金色の瞳はやや吊り上がり気味で、意志の強さを感じさせた。

 これで耳が尖って、七色の羽が生えていれば、『妖精の騎士』まさにそのものだろう。

 ただし、彼は人間のように見える。

 中性的ではあるが、男性だろう。ローザよりも二つ三つほど年上か。

 男は同じ人間とは思えない美貌の持ち主ではあるが、かといって〈悪しき獣〉だとは、ローザには思えなかった。

 深夜に不当に部屋に押し入る人物だ。善良であるはずがない。

 しかし、遠目にも、美しいのだ。恐怖よりも好奇心が打ち勝つほどに。


(すごく、綺麗。もっと、近くで、見たい……)


 ローザが思わず前のめりになると、額をゴン、とクローゼットの扉にぶつけた。


「ふぎゃっ」


 痛みで情けない悲鳴と涙が、ポロリ、とこぼれた。


(…………………あっ)


 ローザは両手で額を押さえながら、石のように固まる。

 ギギギ、と軋む音を立てて、わずかに扉が動く。

 彼の視点が、一転に留まるのが、分かった。

 それは奇しくも、ローザが隠れている、クローゼットの方向である。


(どうしよう、どうしよう……!? このままだと、見つかっちゃう……!)


 ローザがオロオロとする間にも、美貌の『妖精の騎士』はズンズンと距離を詰めてくる。

 何か、何か。抵抗する術はないか。ローザは暗がりの中、手探りで布を手繰り寄せる。神官のローブだろうか、サラリとした布地を頭から被り、身を縮こませる。


(布の塊だと思って、見過ごして、くれるかもっ……!)


 絶対に無理がある……そう自覚しながらも、ローザは息を殺す。

 『妖精の騎士』がクローゼットの前に立つ。

 だからローザは、いよいよ覚悟を決めた。

 両の扉が無慈悲にも完全に開かれたとき。

 ローザは、悲鳴をあげるのではなく、絶句した。


 ――なんて、美しいひとなの!


 遠目でもその美貌に気づいてはいた。

 だが、近くに来て初めて、ローザはその美しさに目を奪われてしまった。

 とてもではないが、同じ人間の身であるとは思えない。

 これは魔性だと、ローザは本能で感じ取る。

 暗がりでやや瞳孔の広がった金色の瞳が、ローザを静かに、じっと見下ろしていた。

 冷たいようで、熱を持っている。その視線に射すくめられて、恐怖に凍えていたローザの躰は、奇妙にも熱を取り戻し始める。


「えっ、ひぃぃっ……!?」


 『妖精の騎士』はおもむろに、へたりこんだローザの両脇に手を添えると、まるで猫かのように持ち上げた。華奢に見えて、意外と力があるようだ。

 今度はローザが彼を見下ろす形になる。顔がとても、ものすごくとても、近い。

 男は何を考えているのか。

 わずかに不機嫌そうに、くちびるを引き結んで。しかし何も発しない。

 長い沈黙ののちに、『妖精の騎士』は口を開いた。


「おまえが。〈妖精國の宮廷画家〉ラファエラ・モッロの孫。『異端』の娘、ローザなの?」


 男の声は、低く落ち着いて。感情の色が薄い。

 ローザが『異端』であると糾弾するのではなく。そこに悪意はなく、ただ事実を確認するだけの行いに思えた。


「ふっ……」


 鼻と鼻が触れ合うほどの距離で、熱い吐息にローザのくちびるが震えた。

 喉がカラカラに渇いていた。声が出ない。

 だからローザはコクンと、小さく頷く。


「そう……。ようやく、見つけた」


 『妖精の騎士』はくちびるをわななかせる。

 星月を思わせる金色の瞳が潤む。その瞳の奥に、ローザの姿がある。

 ローザは彼の綺麗な顔を夢心地に眺めながら、思わず、訊ねた。


「あなたは、『妖精の騎士』さま、なの?」


 すると男が、わずかに目を見開いた。


「おばあちゃんが、教えてくれた、昔話に出てくるの……。悪者に攫われ、魔物が蔓延る城に閉じ込められた『妖精の王女』を果敢にも救い出す、勇気ある騎士。あなたが、そうなの?」


 自分でも何を言っているのだろう、と思いながら、ローザの口は興奮で止まらなかった。

 顔を真っ赤にするローザに、男はくしゃり、と美貌を歪ませて答えた。


「そうだよ。僕は……『妖精の騎士』」


 驚きに目を丸くするローザに、彼はとんでもないことを言い出した。


「ラファエラ・モッロの孫娘。おまえは今日から、この僕の――クロードの弟子を、名乗るといい」


「…………えっ、えっ?」


「だから、おまえを、攫っても、かまわない?」


 『妖精の騎士』か。はたまた〈悪しき獣〉か。

 その人外の美貌の持ち主は、傲慢にも訊ねる。

 しかし、それは口だけで、ローザの意思をちっとも問わないようにも思えた。

 だから、って何だ。


(弟子……攫う? ……あたしを?)


 どこか達成感のある彼を前にして。しかしローザは、ちっとも状況が理解できなかった。

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