【2】父親役、ジョヴァンニ(29歳)
「……何?」
視線に気づいて訝しげな表情をするクロードに、遠回しに聞く理由はない。
だからジョヴァンニは率直に訊ねた。
「一応、確認させていただきたく。クロード。君はローザのことを、ひとりの女性として愛していますか?」
「なんで、そうなるの?」
クロードは不可解そうに首を傾げた。
これには逆に、ジョヴァンニが問い返したかった。
「だって、君。ローザの絵に一目惚れした、と口にしていたではありませんか。あとは、好きだ、とか」
「絵の話だよ。決して、ラファエラ・モッロの孫娘のことじゃない」
クロードは呆れたように否定すると続ける。
「ねぇ、ジョヴァンニ。ベティのケーキは、好き?」
「ええ。好きですよ。彼女のお菓子作りの腕前は、素晴らしい。実家のシェフに劣りません」
ジョヴァンニは頷きながら、内心首を傾げた。
絵や恋の話をしていたのに、どうして、ケーキの話題になるのだろう。
この弟弟子が脈絡もなく、突拍子もないことを言い出すのはさして珍しいことではなかったので、ジョヴァンニは特にツッコミを入れず、黙って話を聞いた。
「僕、あのケーキ大好きだよ。でも僕は、ベティのこと何とも思っていない。おまえはどう? ケーキに一目惚れしたら、ベティに恋するの?」
「……なるほど?」
ケーキに一目惚れはしない、と思ったが、奇しくもジョヴァンニは、ベティに胃袋を掴まれた青年を知っている。素直に肯定できない、微妙な例えだった。
(しかしまあ、クロードという人間性を知れば、言い分も理解はできますが)
クロードは人間への関心が、異常に薄い。
ローザというよりも、彼女の絵にしか興味がないのだろう。例えに出した、ベティのケーキのように。
ジョヴァンニが色気のない弟弟子の将来を密かに案じていると、当の本人がボソリ、と呟いた。
「……初めて、なんだ」
「何がです?」
「ラファエラ・モッロの孫娘は、僕を、『妖精の騎士』さまみたいだって、言った」
「何ですって? 『妖精の騎士』ぃ?」
ジョヴァンニは耳を疑って、クロードの頭のてっぺんから足のつま先まで、じっくりと値踏みした。
確かに、見栄えはいい。見栄えだけは。
整った美貌の弟弟子は、フラホルク王立騎士団の制服でも着ていれば、さも物語に出てくる騎士様のようだと――夢見がちな田舎娘あたりは、勘違いするかもしれないが。
ボサボサ頭にくたびれたシャツを身に纏った、残念な『妖精の騎士』様は言った。
「妖精のようだと面と向かって言ったのは、彼女が、初めて」
「……ふぅん?」
クロードという男の子の不幸な生い立ちを知ればこそ、口を出る言葉ではないだろう。
クロードは妖精ではない。……妖精に愛された、人間の男の子なのだから。
その男の子が。モジモジと居心地が悪そうに口にするのだ。
「……あの子、変だよ」
君も十分変な子だよ、と口に出そうなのをグッと我慢して。ジョヴァンニは前傾姿勢になりながら、努めて穏やかな口調で訊ねた。
予感がする。
「ほう。ほうほう……。どういうところが、変わっていると?」
自分の感情に素直なクロードだが、珍しく言い淀む。
「よく、分かんない……。でも、不思議と彼女のことが、知りたくなる……」
おや。
ジョヴァンニは片方の眉を上げて、追及する。
「それは……ローザがラファエラ・モッロの孫娘だからでしょうか?」
「それもある、けど……。たぶん、それだけじゃないような、気がする……?」
おやおやおや。
戸惑った顔でモゴモゴと口にする弟弟子の頭を、ジョヴァンニは優しく撫でた。感無量だった。
ジョヴァンニは自分がなかなか見ない、結構な美形だと自覚がある。
しかしこの可愛い弟弟子は。飛びぬけた美貌の、ある種魔性ともいえる美しさがあると、ジョヴァンニは感じていた。
光輝くような美貌のクロードは、昔から羽虫に群がられるように、多くのご令嬢に付きまとわれていたのだ。
クロードは精神的に幼く、純粋な子。彼の貞操を守るよう、こっそりと厄介な羽虫を追い払うのは兄弟子の役目であった。
さすがにいささか過保護であったかもしれない……と、十八歳にもなって恋人のひとりもいないクロードを見て後悔することもあったが、弟弟子は弟弟子なりに、少しずつ成長しているらしい。
ジョヴァンニは熱い目頭を左手で覆い隠しながら、感慨深く呟く。
「私も年を取りましたね……」
「うん。来年で三十歳だっけ。すっかりオジサンだね」
弟弟子の失礼な指摘はサラリと聞き流した。それだけ気分が良かったのである。
ジョヴァンニはとある事情から、生涯未婚を誓った身だ。
当然子を持つことはないだろうな、と諦めていた。
しかしながら、歳の離れた弟弟子には、弟というよりも、手の焼ける息子に近い感情を抱いていたのは事実。
「……なるほど、なるほど。それなら、仲良くしてあげてくださいね。『先生』として、彼女を正しく導いてあげるのですよ」
「うん」
クロードは素直に頷いた。
「それと、彼女のことは、ラファエラ・モッロの孫娘ではなく、ローザと。きちんと名前を呼んであげてくださいね?」
「うん。……ローザ。ローザ……」
慣れない様子で少女の名を舌の上で転がすクロードが微笑ましく、ジョヴァンニは笑顔の下で、密かに悶え転がっていた。
***
(春が、来た!)
季節はようやく、初夏に差し掛かった頃である。
ジョヴァンニの額には、薄っすらと珠の汗が浮かんでいた。
それが暑さによるものか、迸る感情によるものか、すっかりと上機嫌なジョヴァンニには判断がつかない。
(私の可愛い王子様に、遅い春が来た!)
人間嫌いを拗らせたクロードは、他人に露とも興味を示さなかった。
同僚で、比較的仲がいいはずのベティですら、あっさり興味がないと言い放つ始末だ。
さすがに師トラヴィスやジョヴァンニには何らかの感情を持ち合わせてはいるとは思う。思いたい。
そんな彼が興味を示す女性がついぞ現れた。きっかけはどうあれ、大きな一歩である。
正直なところ、クロードとローザが暮らすことに不安を抱きつつも、ジョヴァンニは肯定的な立場でいた。
ローザがいることで、彼の乱れた生活態度も改善されるだろう。弟子を持つことで、精神的に未熟な彼も責任感を抱き、人間としての成長が見込めるかもしれない。
ローザの方も、人見知りの気がありそうだったが、強引だが率直なクロードに、心を開きかけているように思える。
(それも当然か)
やり方を間違えてしまえば躰よりも先に心を殺してしまっただろう。そんなローザを本当の意味で救ったのは、クロードなのだ。
惚れこそはしないが、彼女の描いた〈星葬画〉は素晴らしい出来だった。
しかし立場上、ジョヴァンニはローザの絵を肯定することができない。本来であれば、クロードも口にしてはならないのだ。
諫めるべきだったが、できなかった。感涙でこどものように泣きじゃくるローザの、それを優しいまなざしで見つめるクロードの、若く柔らかな感性を否定してはいけない。彼らの将来を思えばこそ。
クロードの言葉通り、ローザの師匠にふさわしい人物は、彼をおいて他にはいないだろう。
きっと二人は、よい関係を築ける。
そして、いずれは……。
リーンゴーン、とジョヴァンニの脳裏に、高らかに祝福の鐘が鳴る。
「モロー様、これで必要な物は揃いましたでしょうか?」
ジョヴァンニの薔薇色の妄想を遮ったのは、行きつけの仕立て屋の店長の声だった。
机の上にはローザのために用意した、既製品のワンピースやドレスが数十着。それに合わせた装飾品や靴もある。
山と積まれた衣装を前に、しかしジョヴァンニは首を横に振る。
「いいえ、足りません」
まさかきっぱりと否定されるとは思わなかったのだろう。
オロオロとした様子で店長は手を揉みつつ、困惑した表情で訊ねた。
「ええと、ご注文の品を揃えましたが、当方に、何か不備がありましたでしょうか?」
「いえ。追加でいただきたく。花嫁衣装が、欲しいのです」
「…………はい?」
「花婿の衣装も仕立てていただけますか? 金に糸目はつけないので、豪勢に、頼みます」
「はぁ……」
困り顔の店長に、ジョヴァンニはキリリとした顔で、鷹揚に頷く。
気分はすっかり、二人の父親役であった。




