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星葬画家と妖精の愛し子  作者: 藤宮晴
一章 異端の画家と妖精の愛し子
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【幕間】〈悪しき獣〉ライマズルニカ

 画家組合〈ミュトス〉の休憩室には、六人掛けの、丸くて大きな机が六つある。合わせて三十六人が座れるように設計された部屋だが、画家の数に比例して、利用者は限られていた。

 休憩室の椅子に座る、人間の姿はふたつ。

 一人は明るいブラウンの短髪の青年だった。気さくに糸目で笑う男は、一癖も二癖もある〈ミュトス〉では比較的とっつきやすい、社交的な人物にあたる。

 名はティム。現在二十二歳で、ジョヴァンニに弟子入りして四年が経つ。

 ティムは〈ミュトス〉から支給された制服を身に纏っていた。

 〈ミュトス〉は仕事柄、貴族と相手にすることが多い。

 

『高貴で恐れ多い方々を相手に、下級労働者ですとでも示すような作業着で前に出ては、〈ミュトス〉の品格が疑われますから』


 と、高貴な貴族の出で、そういった面々を相手に苦労した経験があるのだろうジョヴァンニが、必死に説くからである。

 しかし今は休憩中なので、ティムは制服を軽く着崩していた。

 そんなティムの向かいに座るのは、若い女だ。

 名はセシリア。現在二十三歳で、ジョヴァンニに弟子入りして、六年が経つ。

 座っていると分かりづらいが、背が高く、長い金髪をきっちりとしたシニヨンで結い上げた女だ。街ですれ違えば大抵が振り向くような、一際美しい顔立ちをしていたが、ニコリとも笑おうとしない、愛想のない性格をしている。

 今も彼女はティムの雑談のほとんどを、興味がないと言わんばかりに聞き流し、優雅な手つきで紅茶を啜っていた。


「しかし、信じられないぜ。あのクロードが弟子を取るなんて」


「ジョヴァンニ様があれだけ仰るのだもの、疑う余地はないでしょう?」


 セシリアはこれにはわずかな呆れを滲ませて返す。彼女もまた、被害者なのだ。

 先生、それ昨日も聞きましたよ? と、雑談好きなティムが苦言を口にするほど、ジョヴァンニはクロードが弟子を取る話を、何度も何度も繰り返し語るのである。

 ティムの生まれた村にいた、半分ボケたじいちゃんのようである。

 内心、ちょっとウザいなぁ……と思うが、彼にとっては、それだけ嬉しくてたまらないということなのだろう。


「まあなー。でもさ、まだ早いと思うぞ? ジョヴァンニ先生はそこのところ、どうお考えなのかなぁ」


 クロードは十八歳。未だ弟子の身であるティムより四つも年下で、ティムがジョヴァンニに師事した年齢と同じである。

 彼が〈ミュトス〉の先代トラヴィス・ブルーの弟子であり、今では『国一番の画家』と評される腕前を鑑みれば、おかしな話ではないのかもしれないが。

 それにしたって、いささか若すぎるのではないか。彼の精神的な未熟さも考慮すれば。

 ティムが素直に疑問を口にすれば、「箔をつけさせるためではないかしら?」とセシリアが教えてくれる。


「『国一番の画家』に箔かぁ。うん。〈異端画〉を描いた女の子って、だいぶインパクトが強すぎないか?」


「いいのではなくて? 唯一無二の、面白味があって」


 面白味がある、と心にもないようなことを口にしながら、セシリアの美しい顔はすんとも笑っていない。


(面白い、ねぇ……)


 同じ貴族の出だと言うのに、お堅いマークとは異なり、セシリアの口から出たのは否定ではない。むしろ受け入れるように思える。

 ツン、と澄ました表情でクッキーに手を伸ばすセシリアに、ティムはちょっと驚いたように訊ねた。


「なんか意外だな。セシリアは〈異端画〉を描いた子を〈ミュトス〉に入れることに、反対しないのか?」


「する理由がないもの。ジョヴァンニ様の決定なら」


 さっぱりと潔く言い切る彼女は、ジョヴァンニを盲信するきらいがある。

 ティムもセシリアも、若くから画家を志している。だから当然、〈異端画〉がどれだけ罪深いか知ってはいた。

 田舎の漁村バゼットの村を訪れた弟子、特にマークはそれを目にしてしまったからか、〈異端画〉を描いた少女の排斥に強く声をあげているようだ。

 ティムは上品にクッキーを齧るセシリアをまじまじと眺めた。


(『異端』や〈悪しき獣〉を相手に、平然としそうだなぁ、セシリアは)


 彼女は随分と肝が据わっていて、恐れなど何もないように思えた。

 先代からの代替わりの際に揉めに揉めて、今や〈ミュトス〉に所属するのは、若い画家ばかり。

 むさくるしい男どもに混じって、女の子も所属しているが、これがまあなんというか、セシリアを筆頭に可愛げのない女の子ばかりなのである。顔が良くとも、言動やふるまいが、非常に可愛くないのだ。

 だから、優しくて、思いやりがあって、砂糖菓子のように甘い、ふわふわした可愛い女の子だといいなぁ……とティムは密かに思う。その方が、やる気や活力が生まれる。


「クロードの弟子って、どんな子だろ。〈異端画〉を描くような子だし、やっぱり、クロードに負けず劣らずの変人なのかな?」


 ティムが勝手な妄想を膨らませていると、セシリアは咀嚼するのをやめて、ぼやいた。


「わたくしに言わせれば、貴方も大概なのだけれど」


「おいおい、突然の悪口、ひどすぎないか?」


「貴方って、女の子と聞けば目の色を変えるのだから、いやらしいわね……」


「ちょっと待て誤解だ。俺は婚約者一筋だぜ?」


 セシリアは、どうだか、と冷ややかな視線を向けるが、本当に事実なのだ。ティムは女の子は皆好きだが、その一番は幼馴染の女の子なのである。

 だがどう言い繕っても理解は得られないだろう。

 話の流れを変えるよう、ティムはずばり切り込んだ質問を試みた。


「なあ、セシリアは〈異端画〉を描くことを、否定しないのか?」


「……悪いことだと思うわ。でも、わたくしには関係のないことだもの」


「新入りに対して冷たいねぇ、先輩は」


 わずかな逡巡が見えたが、彼女の本心だろう。読み解くのであれば、「わたくしは悪事に加担しないが、他人がする分には看過する」と言ったところか。

 ティムも実際のところ、それほど、悪いことではないと思っている。

 昔、王家を筆頭に、〈異端画〉は排除の流れにあった。

 特に、四十年前に描かれた〈異端画〉は、画家業界を震撼させたのだ。

 当時、何か都合の悪い出来事があったのだろう。だが、ティムは事情を知らない。

 結局のところ、〈悪しき獣〉がいるというのも、それらしいこじつけだろうと考えていた。


「まあ、〈悪しき獣:なんているかもわかんないしなぁ」


 そう持論を述べれば、セシリアはハンカチで口元を拭いながら、ポツリと呟く。


「〈悪しき獣〉は、いるのよ」


 彼女らしくない、冗談を口にしているのだと思い、ティムは苦笑する。

 けれど、普段冗談を言わない人間が言えば、やけに真実味を帯びて聞こえるものだ。


 ***


 夜も深まるバセットの村は、虫の声も聞こえぬほどの静寂に満ちていた。

 月明かりは薄く、深い闇が村を飲み込んでしまいそうな昏さである。

 今は家主のいない、強風が吹けば倒壊してしまいそうな、頼りのない、小さな家屋。

 その戸の前に、影の狭間から音もなく躍り出たのは、『黒い生き物』だった。

 それは、人間のようで、ヒトではない。人間に擬態している、魔物だ。

 一見すると、若い男のように見える。二十代中頃か。

 腰まで伸ばした髪は、黒く艶やかだ。黒曜石のように深みのある瞳は鋭く、目元は涼やかであった。

 陶磁器のように、白く滑らかな肌に、彫りの深い中性的な面立ちは、恐ろしいほどに整っている。

 長身痩躯を包むのは、黒で統一された衣装で、今にも闇の中に融けそうだ。

 男は、軋むドアを慎重に開くと、家に足を踏み入れた。

 男が歌うように言葉を紡げば、青い炎が、薄く埃の被った床を照らす。

 男は無言で、床の目立たない取っ手を掴むと、引き上げる。

 続くのは、深く、暗い闇。地下室への道だった。

 その道は、かつてこの家に暮らしていた老婆のみが知る、秘密の部屋へと続く。

 男は恐れなく、その道に踏み込んだ。

 男が再び歌うと、地下室は明るい光で満ちた。

 長い間、誰も足を踏み入れていたのだろう。狭い地下室には、キャンバスがいくつも収められていた。

 そのいずれもラファエラ・モッロが描いたそれである。

 男はおもむろに一枚を手に取った――初めからその一枚に狙いを定めていたように。


「これが、ラファエラ・モッロの、特別な〈星葬画〉」


 男の声は低く、艶然とした色気があり、しかし感情の色が読み取れない。

 わずかに色褪せた〈星葬画〉を前に、男は、深い感慨を抱いていた。


 ――それはかつて、〈異端画〉と呼ばれた。


 ラファエラ・モッロが表立って活動をできなくなった、理由でもある。

 孫娘が異端審判にかけられた。余罪の調査を名目に、この地下室はいずれ近いうちに暴かれるだろう。

 その時、ラファエラ・モッロが最も愛したこの絵が、再び世に出ることがないようにしようと、男は決めていた。

 ラファエラ・モッロが男に語った、最期の願いは二つ。

 一つは、血の繋がらない孫娘の健やかな成長。その願いを叶えるために、男は特別な〈星葬画〉をしばらくの間、誰にも見つからない場所に隠す必要があったのだ。

 そして、もう一つ。


 ――どうか、愛するひと。わたしの魂を食べてね? ライマズルニカ。


 可愛らしく強請った、いつかの契約を破棄してほしいと請われ、男もすんなりと同意した。

 かつて生涯孤独だった少女は年老いて、今、彼女の魂は、孫娘ローザのためにある。

 そして、ラファエラ・モッロの魂は、『永遠』に囚われるのだ。

 それは男にとっても、喜ばしいことではあるのだけれど。


(もし、私が愛した弟子の魂に、歯を突き立てたのなら。どのような味がするのだろう?)


 男の瞳が赤く輝く。

 馬鹿で可愛くない、かつての弟子を想い、男は密かにくちびるを緩めたのだった。

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