来て
お茶会とは、淑女の戦場である。
と、どこかのご婦人がそう言っていたのを聞いたことがある。
それならば、私が今朝早くから叩き起こされ色々と着飾られているのは戦支度といったところだろうか。
「ユニベル様、こちらのドレスは最高級のレースをふんだんにあしらったもので……」
「こちらのドレスは華やかですが上品さも忘れておらず、まさにユニベル様にぴったりかと」
「こちらのドレスも……」
「そうなんですね……」
風呂でぴっかぴかにされた後はあっちのドレス、次はあっちのドレスとモデル一人のファッションショーを開催し、お茶会の前に私の体力は限界だった。
「あの、そんな華やかじゃなくても」
「何をおっしゃいますか! せっかくのアイゼア第二王子殿下からのご招待、気合を入れていかなくては!」
モードリンがそう言うと、周りの若いメイドも深く頷いた。
「そういうもんですか……」
「ええ、そういうものです! さあイリゼ、次のドレスを持ってきて!」
「すでにこちらに」
イリゼが手に持つドレスを見た途端、私は思わず悲鳴をあげてしまった。彼女が持っていたのはゲームでの過去回想でユニベルが来ていた真っ赤なドレスだったからだ。幼い攻略対象者と一緒にスチルに写っていたユニベルの真っ赤なドレス。瞳の色と同じ真紅は、私が最も避けなければならない色だった。
「赤は駄目!」
「え!?」
「赤は駄目、絶対駄目です! 赤なんて一番駄目です!」
「お嬢様、今まで一番駄目なのは桃色だと伺っていたのですが」
「桃色も嫌ですけど、赤は……赤はもっと駄目!」
唐突に叫び出した私にメイド達はポカンと口を開けていた。それを見てはっと我に帰ったがもう遅い。メイド達の反応は正常で、普段静かな子がいきなり大声を上げたらそりゃ誰だってびっくりする。場合によっては引いたりもする。
「……とにかく、赤以外で……お願いしたくてぇ……」
「しょ、承知いたいしました」
気まずい空気のまま準備は終わり、メイドに連れられて部屋を出る。
結局ドレスは用意されたものの中で一番大人しいデザインだったミントカラーのものにした。今回は暗い色のドレスを用意してもらえなかったので、まぁ仕方ない。
「前回のお茶会で着た藍色のドレスで良かったのに」
「同じドレスを二回着るなんてありえません! 他のご令嬢に馬鹿にされてしまいますわ、お嬢様はただでさえお茶気に参加しないのにさらに前回と同じドレスなんて、」
……迂闊な発言でモードリンのお説教が始まってしまった。黙っておけば良かったなんて思いながら長い廊下を進むと、突然誰かの悲鳴が聞こえてきた。普段死んだように静かなこの屋敷で響く悲鳴は明らかな異常を伝えていた。
「お母様の部屋の方です!」
「あぁっ! お嬢様!」
とてつもなく嫌な予感がしてしまい、モードリンの静止も聞かずほぼ反射的に悲鳴の聞こえた方に走っていくと、扉の前でメイドがへたり込んでいた。可哀想なほどにがたがたと震えている。
「……ここは」
見覚えのある扉。屋敷の奥の方にあるこの部屋には普段から近付かないようにしていたが、よく知っている。ここはお母様の部屋だ。
「ちょっとあなた、どうしたの!?」
「モ、モードリンさん、突然奥様が……!」
部屋を覗くと、ゆらりと立つ幽霊のような人がいた。私のお母様だ。綺麗な長い髪はボサボサで、寝巻きから除く首や手足は掻きむしったかのような跡がある。
メイドの方を振り返ると、メイドの頬にも引っ掻いたかのような傷があった。おそらくお母様が暴れてつけられたのだろう。
「可愛いドレスね」
お母様がそう言った。いつも抑揚のない声で喋る人のはずなのに、少女のような幼さを滲ませた優しい声で。一度も聞いたことのない声色に思わず体が硬直する。
「こっちへ来てちょうだい」
瞳は柔らかく細められ、口角は上がっている。けれど、それはどう見ても笑顔じゃなかった。
「こっちへ来て」
「……あの」
「来て……」
気付いたら私は一歩を踏み出してしまっていた。私の頭は行ってはいけないと警鐘を鳴らしているのに、体が言うことを聞かない。私が、ユニベルがお母様を求めてしまっている。
「そう、こっちよ」
私にかけるはずのない優しい声に導かれるように一歩、また一歩と足が進んでしまう。椅子に座って手を広げるお母様に吸い込まれるかのようにして。
「……おかあさ」
そして、その手に触れようとした途端。
お母様はテーブルの上に置いてあったティーカップを振りかぶった。笑顔で。
ティーカップには先ほどお母様が発狂する前にメイドが紅茶を注いだばかりらしく、頭からかぶればもちろん熱い。火傷だってするかもしれない。
けど、
「イリゼ……?」
見慣れたグレーの髪の少女が、私を庇っていた。