誕生日プレゼントに赤ちゃんが遊ぶガラガラを貰った
赤ちゃん用のベッドにつけるガラガラとなるオモチャ。あれを誕生日プレゼントとして貰ったので、意気込んで自分のベッドに取り付けてみた。
天井からぶら下がる形でガラガラと愉快な音を立てる誕生日プレゼント。正直要らない以上の感情は湧いてこないが、どうやら軽く調べたところ一諭吉程度のお値段らしい。
一介の高校生が、友人の誕生日のために諭吉をドブに捨ててくれたのだから、それを使わないのはもったいないという精神が発揮されたのだ。
童心に帰るという言葉を体現するかのようにキャッキャと遊ぼうとしているが、案外楽しいものである。
触れば音が出る上に、赤子が触って不快にならないように柔らかさが確保されている。気づけばこれは一種のアイマスクのようなものではないか、と一万円のプレゼントに対して思い始めていた。
引き続き目の前のガラガラと戯れていると、ふと思い出す。ガラガラの遊び方は何も触るだけじゃない、と。
私は目の前の諭吉を骨の髄までしゃぶりつくす勢いで、ガラガラを口の中に含もうとする。
何も奇行に走ろうとしているわけじゃない。赤ちゃんもガラガラを口に含んで遊ぶことがあるのだから、正規の対象年齢に精神を合わせてあげているだけだ。
どこに向けたわけでもない自己正当化と、一抹の安堵を覚えながら口に含もうとしたその時。
どこからともなく視線を感じた。
その正体は母親であった。
「だ、大丈夫……?」
我が子が何か精神的にとても不味い状態にあるのではないかという疑念が浮かんだのか、それとも我が子の衛生観念を心配するものだったのか。どちらとも取れる渾身の感情がこもった声であった。
私はこれは誕生日プレゼントに貰ったもので、安くはないものである以上活用するべきだった。だからこうして精一杯遊び倒しているのである、と説明しようとする。
「あがあっ、うええんと」
しかし私の口の中には、ガラガラが詰まっている。まさに言葉が上手く喋れぬ赤子の気分である。
対する母親の顔は最早蒼白であった。顔面蒼白という四字熟語はこのために生み出されたといっても過言ではない。そんな表情を浮かべていた。
私と顔面蒼白の誕生日を繋ぐガラガラが名前の通りガラガラと音を立てる。
それだけが私と母親の間に横たわっていたか細い繋がりだった。
一度完全な静寂が場を支配してしまえば、今よりも気まずい空気が広がると確信した私は、必死に音を途絶えさせぬようガラガラを動かす。
ガラ、ガラ、ガラとメトロノームのように一定間隔で音が響く。同時に必死の形相でガラガラを回している高校生もハッピーセットとしてついてくる。
我が子の醜態をこれ以上見たくないという母親なりの愛情が心配に打ち克ってしまったのか、母親は無言のまま部屋の前から立ち去っていく。
勝った。
私は童心に帰ったような気持ちで腕を動かし、勝利を噛み締める。それに呼応するように目の前の諭吉はガラガラと鳴く。まるで夏の到来を知らせる蝉時雨である。
数分の後、母親が部屋の前へと戻ってくる。
恐る恐るといった様子で差し出されたのは、私が赤子の頃に使っていたであろうガラガラであった。
別に二個もいらない。