異世界召喚その後の日常③
「嘘やろ……ジャージ持っていかれた……」
上半身裸になったシイナは、がっくりとうなだれた。
「お願い事も聞けへんかったし……踏んだり蹴ったりや。あーあ」
シイナは御神体の下駄がまつられている社をむいて、「パンッパンッ」と手を叩いた。
「つーくもちゃん! あーそーぼー?」
「何ですか、その呼び方は」
すると突然、社の中でまつられていた御神体の下駄が喋った。
そして、下駄が白く発光し、光の中から凛とした顔立ちのスーツ姿の美女が現れた。
背丈は少し小柄。スレンダーな体つきに、きっちりと切りそろえられた色素の薄い髪、鋭い目つきと薄い唇の顔に、うっすらと施されたナチュラルメイク。
いかにも仕事ができそうな風貌の女性は、ツキの秘書をしている下駄の付喪神だ。
「つくもちゃんってあだ名可愛くない? 何なら定着させたいんやけど」
「必要ありません。……って、何ですかその格好!」
上半身裸のナギを見た下駄の付喪神が慌てふためく。
「つくもちゃんのところの信者さんに、上着持っていかれてん。でも、裸なんが上半身なんは、せめてもの救いよな。下半身裸とか目も当てられんやん」
「海でもないのに上半身裸っていうのもたいがいですからね。……それで、何の用ですか?」
「そこの商店街で、僕に上着買ってきてくれん? 一番安いんでええから」
「そんな人を使いっぱしりみたいに……」
「だって、僕、この格好やん」
上半身裸のシイナが両手を広げる。下駄の付喪神が嫌そうに目をそらした。
「ご自身で行ってください」
ピシャリと、下駄の付喪神が言ってのけた。シイナが額をペチンとたたいた。
「パジャマでジャージを買いに行った時、白い目で見られたんよなぁ。またあの視線にさらされなあかんのかぁ」
「パジャマで買いにって……もしかして、寝間着のまま下界に降りたんですか!?」
「せやな」
「せやな、じゃないですよ! 出かける前には着替えましょうよ! 常識でしょう!?」
「それは分かっとるんやけど……あの時は、つくもちゃんが僕のことグイグイ押して、現世に追いやったから、余裕なかったんよ」
「…………そういえばそうでしたね」
下駄の付喪神の失態だった。
「買ってきましょうか……服」
「ええよ。僕が行ってくるから。お小遣いだけちょうだい」
「はい、今すぐに。って、……え?」
反射的にサイフを取り出した、下駄の付喪神がとまった。
「渡した5万円はどうしたんですか? まだ下界に降りて3日ですよね」
「もう使った」
「使ったぁ!? 3日で5万をですか!?」
「うん……」
申し訳なさそうにナギが頬をかく。
「いったい何に使ったんですか? あ、いいです。言わなくて。こっちで確認しますので」
呆れた様子でいって、下駄の付喪神が一枚の和紙をとりだした。和紙は人型に切りぬかれていた。下駄の付喪神は、和紙を空中に投げ、つぶやいた。
「おいでなさい。『臨』」
和紙が空中で大きく広がって、巨大なスクリーンになった。スクリーンが発光し、映像が映し出される。そこには、下界に降りたばかりのシイナの姿が映っていた。
「式神か?」
「はい。シイナ様の活動を報告する必要がありましたので、録画用に式神をつけておきました」
そして、映像が動き始めた。
夕暮れ時。シイナが降り立ったのは、活気をなくした商店街のど真ん中だった。夕暮れ時だというのに人通りは少ない。現世に降り立ってすぐに購入した紺色ジャージに着替えたシイナは、商店街脇にあった公園のベンチに腰掛けて、残りのお金を数えていた。
「ひぃ、ふぅ、みぃ、よ……。すごい! 残金、4万9千円もあるで。これだけあったら……僕の社を建てれるんちゃう!? ヒモ卒業も夢やないで!」
過去の映像を見た付喪神が、シイナに非難の目を向けた。
「シイナ様……?」
「いや、本来の目的は忘れていないよ。でも、空いた時間でちょっと副業するぐらいええやん? せっかく現世に降りたんやし」
映像の中のシイナは、さっそく不動産屋へと足を運んだ。
店舗の中のブースに案内され、机をはさんで不動産屋の女性店員と対面で座った。
「こちらにお名前とご来店の目的をご記入下さい」
シイナが不動産屋の女性店員にうながされ、来店アンケートを記入する。
「名前? シイナ……やと、アカンか。姓と名前……そやな。シイナ偽名シイナ偽名シイナめい……椎名 ナギでええか」
さらさらと、シイナがアンケート用紙にペンを走らせる。
『(お名前) 椎名 ナギ (ご職業) 神 (ご用件) じぶんの神社を作りたい
(ご予算) 4万9千円』
自信満々な顔で、アンケート用紙を向かいにすわる不動産屋の女性店員にわたした。
「4万9千円……?」
「僕の全財産や」
アンケート用紙を受け取った不動産屋の女性店員は、実に面倒くさそうな顔をした。
「そんなに大きい土地やなくてええねん。社もちっちゃくていい。ああ、でも賽銭箱は置きたいんや。あと、鳥居も! 何とかなれへん?」
「冷やかしなら帰れ」
シイナは不動産屋をおいだされた。
「……金が、足りんのか……?」
悔しそうにシイナが唇をかんだ。諦めて、もと来た道をトボトボと歩きはじめた。
すると、視界にパチンコ店の看板がみえた。
「………………」
吸い込まれるように、シイナはパチンコ店の中に入っていった。
映像を見ていた下駄の付喪神がさげすむような目を向けてきた。
「いや、ゴメンて。でも、どうしても社が欲しかったんや」
「渡したお金ですから、どう使おうが文句はありません。ですが、生活費まで使ってしまうのは、どうなんですかねぇ?」
「違う。違う。パチンコには入ったけど、1万円までにしとこうって思ったもん!」
「じゃあ、何で今、無一文なんですかねぇ!」
「パチンコが原因じゃないねん! 続き観て!」
映像は続く。1時間ぐらいして、シイナがパチンコ店から出てきた。
「勝負の世界は、勝つか負けるか。そして僕は戦神……戦いに勝利をもたらす神様や」
そうつぶやいたシイナの手には、折り目ひとつないピッカピカの万札が、30枚握られていた。昔からシイナは、妙な勝負強さを持っていた。
「お兄さん、景気いいね。あやかりたいなぁ」
パチンコでボロ勝ちしたシイナに、通行人が話しかけてきた。
「僕の信者になるなら、お手々合わせて祈っていいで」
通行人は笑いながら去っていった。シイナは札束をジャージのポケットにつっこんだ。
「これなら社も建てれるんちゃう? いけるんちゃう?」
上機嫌な足取りで、再び不動産屋へと向かう。
すると、その道中。シイナの進む先に、大きな募金箱を抱えた女学生の集団がいた。
「盲導犬の育成は、皆様の募金によって支えられていまーす」
女学生たちは声を張り上げて、盲導犬の育成に関するあれやこれやを、叫んでいた。
シイナは特にその声を気にすることなく、女学生の前を通り過ぎようとするのだが。
「募金へのご協力を、よろしくお願いしまーす!」
はたと、ナギが女学生たちの前で足を止めた。
「お願い……今、お願いって言うた?」
「……はい。よろしければ、募金へのご協力をお願いします」
「お願い……」
うわ言のようにシイナがつぶやく。
「それ、僕に願ってるんよね?」
「はい。よろしければご協力を……お願いします」
シイナの妙な雰囲気に、女学生は少し困った顔をしていた。
かたやシイナは、パッと咲いたような笑顔になった。
「そっかそっか。そんなに願われたら、叶えんわけにいかんなぁ」
そういって、ポケットに手を突っ込んだ。ポケットに押し込んでいたお札を掴んだ。
そして、クシャッと握りしめたお札の塊を、募金箱の中に押し込んだ。
「そんなにっ……? い、いいんですか……?」
女学生が目を白黒とさせた。彼女が驚いている間にも、シイナはどんどんポケットから万札を取り出しては、募金箱に押し込んでいった。
「かまんかまん」
そしてナギはポケットの中の万札を最後の一枚まで、募金箱の中に放り込んだ。
「こんなんで足りるやろか?」
「じゅ、十分です……」
女学生は嬉しさを通り越して、少し引いていた。
「お願い叶った?」
「はい……?」
「そっかそっか。叶ったか。なら、よかった。僕も満足やわ。ありがとー」
募金をしたナギが、お礼を言い残して、去っていった。
「…………」
下駄の付喪神は、その映像を見て頭を抱えていた。
「ごめんて……」
沈黙に耐えられなくなったナギが謝った。
「人間に『お願い』って言われたら、ついつい叶えてあげたくなる。……同じ神として、気持ちは分かります……」
「やろ? 僕らの職業病やんな」
「ですが、それで自分が着るものもなくしてたんじゃ、問題ではありませんか?」
「それは分かってんねん……」
再びシイナがシュンとした。
「というか、これ初日の映像ですよね? この時点で無一文になって、今日までどうやって生活してたんですか? お腹もすきますよね」
「空腹は公園の水でしのいだ」
「ホームレスじゃないですか!」
「いやいや。家はあったんで。つくもちゃんの社を借りててん」
ナギの言葉に、ピクリと下駄の付喪神が肩を震わせて、固まった。
「…………今、なんて言いました……?」
「やけん、この社を借りとったんよ」
「はぁぁぁ!?」
平然と答えるナギに対して、付喪神は悲鳴を上げた。
「うそうそうそ! 嘘ですよね!? だってココ、ワンルームの社ですよ。私の御神体と二晩も一緒に寝てたって言うんですか!?」
「うん」
「セクハラだぁ!」
下駄の付喪神が悲鳴を上げた。
「セクハラって……ちょっと借りただけやん」
「御神体があったでしょうが! 分かってますか? 本体ですからね。御神体って私の本体ですからね? 体の一部どころの騒ぎじゃないですからね!」
「御神体の下駄、枕にちょうどよかったで」
「私を枕にしたんですか?」
「そんでごめん。ちょっとヨダレつけてもうた」
「もう何も言わないで下さい! ありえないんで。ありえないんでぇ!」
みるみる下駄の付喪神は涙目になっていく。
「寒っ。六月でも雨が降ると冷えるなぁ……そろそろ服買いに行くお金くれん?」
「この状況でよくお金をせびれますね!」
「だって寒いんやもん」
「寄るな! 私に寄るなセクハラ神ぃ!」
拳をブンブン振るって、下駄の付喪神がナギをおいはらった。
閑話休題。
落ち着きを取り戻した下駄の付喪神から、追加融資を5万円もらって、ナギは近くの商店街で黒のTシャツを買ってきた。
「そんでな。本題なんやけど、ちょっと頼みたいことあるんよ」
「私を枕にしたくせにお願いですって……ははっ」
ジトッと、下駄の付喪神がにらんできた。
「僕を高校生にして欲しいねん。どこでもええから、高校に通えるようにしてくれん?」
「それぐらいはかまいませんが……何故です?」
「高校に通っとる氏子が異世界召喚のターゲットにされる可能性が高いことは、わかっとるけんね。僕もそこに紛れたい」
シイナの提案に、付喪神は真剣な顔をしてうなずいた。
「承りました。明日にでも最寄りの高等学校へ通えるようにしておきます」
「ありがとー」
「あと、アパートをこちらで手配しておきますので、本日からはそこで宿泊して下さい」
「え? お金かかるやろ。僕は別にこの狭い社でも気にせんよ」
「私が気にするんですよ。ていうか、私の社を狭いって言いました?」
青筋を浮かべる下駄の付喪神に、ナギはだまった。
「用件は以上ですか? では、予想外に時間を食ってしまったので、私も神界に戻ります」
踵を返した下駄の付喪神が、自分の社の中に入っていく。
「ああ、そうや」
そこをナギが呼び止めた。
「まだ何か?」
「さっき、この社に金髪ポニテの女の子が来とったやろ。あの子、何をお願いしたん?」
「金髪の……ああ、真田海咲という少女ですね」
下駄の付喪神がうなずいた。
「大した願いではありませんよ。ただ――友達が欲しいと。そう願っていました」
「へぇ」
それをきいたシイナがにんまりと笑う。
そして追加で、付喪神に要求をした。
「なぁ、つくもちゃん。もしできたらでええんやけどさ。これから僕が入る学校を――……に、してもらえんかな? あの子に、友達つくってあげたいねん」
「――それぐらいなら、お安いご用です」
ナギの要求を、付喪神は快諾した。