滅ぶ異世界と日本の神様③
一陣の風が吹き抜ける。揺れる髪がツキの頬をくすぐる。
ツキは、空を見上げた。自分を取り巻く空気感が、わずかに変わったことに気がついた。
「これは……?」
眼前で地に伏した戦神――シイナに目を落とす。万が一の敗北さえ予感させなかった戦いに――わずかなゆらぎが生じたことに気がついた。
「信仰の力が……シイナ様に集まっている?」
いったい何が……? ツキは表情ひとつ変えずに、横目に海咲の方を顧みた。
海咲と、下駄の付喪神と、異世界の女神……、その背後に数万という氏子が召喚され、戦いを、固唾を飲んでみていた。
彼女たちが、何かをしたのだ。
(できれば、命までは奪いたくなかったのですが――仕方ありませんね)
ツキが日本刀をふりかざした。
刃の切っ先が、まっすぐにシイナの左胸を示していた。そして――。
「ふっ」
一息に、日本刀をナギの左胸に突き刺した。刃は深くめり込んでいく。
シイナはすでに意識を失っていたのか、うめき声ひとつあげなかった。
海咲たちに動揺が広がるのが、音になってきこえた。
仕方がないことだ。この戦いは、かわいい氏子たちを守るために。万が一にも、負けられない戦いなのだから――。
「終わりです」
日本刀から手を離し、ツキが踵をかえした。そして、一歩を踏み出した。
ツキの視線の先には、神界と神界を繋げる術の楕円形の門がある。その奥に、異世界の女神がいた。新たな日本刀を召喚し、手に携える。
自身に向けられた殺気に、異世界の女神が肩を震わせた。
聖剣を召喚した海咲が、異世界の女神をかばうように、ツキの前に立った。
「させない……!」
立ちふさがった海咲の声が震えた。ツキは無機質で優しげな瞳で、海咲を見ていた。
「そこをどいて頂けますか?」
優しい声で、うながす。
旧知の友を殺したというのに、その表情には一切の陰りがない。
「異世界は恐ろしかったのでしょう? もう二度と、私のかわいいあなた達が、怖い思いをすることがないように。異世界にさらわれることのないように。私が、守って差し上げます。何も心配はいりません。……そこを、どいて頂けますか?」
そう言って、海咲に手でどくようにうながした。
ツキの力を前に、海咲の力はあまりにも小さい。海咲が武力をもって反抗したとしても、海咲を一切傷つけずに鎮圧しうるだけの力が、ツキにはあった。
だから、自分の意志でどいてくれなくても良かったのだけれど。
ただ、目の前に立った海咲がわずかに震えていることが、少しだけ気がかりだった。
また、こわいおもいをさせてしまった……。
「あなたの言うとおりだよ……。わたしは、異世界が怖かった。あんな場所、もう二度と行きたくないって思う。異世界に行ったのは、今でも間違いだったと思うよ……」
海咲の声が震えている。
「だからって、自分が救った異世界が、滅んでしまえだなんて思わない……」
その語気が、自身を奮起させるように、徐々に力強さを増していく。
「わたしが、命がけで異世界を救った異世界を、今さら自分の命欲しさに、滅ぼしてしまおうなんて思わない! そんなこと、望んでない!」
望んでいない。
願われていない。
ツキは、少しだけ寂しそうに眉を寄せた。だが、それだけだった。
救うべき氏子は、海咲だけではない。このまま異世界召喚の問題を放置すれば、これから先、何千何万という氏子たちが、怖い思いをすることになるのだ。
そんなこと、見過ごすわけにはいかない。
救うべき氏子の意に反したとしても、すべての氏子を救える道を選ぶ。
そのためには、まず、目の前にいる異世界の女神を、見せしめに殺さなければならない。
異世界をひとつ、滅ぼしてみせつけなければならない。
そう考えたツキに対して、海咲は聖剣を構えながら、消え入りそうな声でつぶやいた。
「お願いナギ………………負けないで」
かん、と。ツキの背後で、金属音がきこえた。
ツキが振り返る。
そこに立つ戦神の姿を見て、わずかにツキの目に困惑の色が広がった。
「確かに、手ごたえはあったはずですが……?」
念を押すように問いかけた。
姫鶴の刃を地面に突き立てて、力なく立つシイナが、ゆっくりと手をあげた。先刻、彼の左胸にツキが突き刺した日本刀に触れる。刃が抜けて、「からん」と音を立てて地面に落ちる。そして、裂けた学ランの内ポケットから、一冊のスケジュール帳が滑り落ちた。
ネイビーの表紙が鮮やかな、スケジュール帳だった。
「すまん……。海咲がくれた手帳、壊してもうた……」
かすれた声でつぶやいて、シイナが笑う。
そして、シイナが姫鶴を振り上げた。
バチン、と。雷がはじける音。先刻とは比較にならないほどの雷がほとばしり、凄まじい熱量をもって目の前に立ちふさがった。
シイナの体が既に限界を超えていることは、誰の目にも明らかだった。
いくばくかの信仰を手に入れて、力を増した。そして、ツキが放ったとどめの一撃を、奇跡的に回避した。――だから、どうしたというのか。
未だに力の差は圧倒的だった。万が一にもなかった勝利が、幾重にも奇跡を重ねた先に、万に一つ勝てるかもしれない可能性に変わっただけ。
それでもシイナは、勝利を確信した瞳で、姫鶴を握り、ツキの前に立った。
「――――――――ふふっ」
喉が、震えた。
遅れて、自分が笑っているのだと気が付いた。
「さすがです! シイナ様!」
声を弾ませて、日本刀を構える。
姫鶴が内包する雷は、さらに熱量を増し、耳障りな電気音を鳴らしている。
そのすべてを、シイナごとかき消してしまうつもりで。
ツキは、術を発動させるために、取り出した呪符に力をこめた。
負ける可能性など、万に一つしかない。
ただひとつ、胸中にひっかかるものがあった。
シイナは、氏子の願いを叶えるために、戦っている。
対して、自分の暴力は、誰にも望まれていなかった。
そのことが、少しだけ心にひっかかっていた。




