神様のいない日常
その日、学校中を走り回り、街の中を探し回ったけれど、結局ナギは見つからなかった。
そして、海咲の前からナギは消えた。海咲は、元の生活に戻った。
朝起きて、学校に行き、クラスメイトと他愛もない雑談に花を咲かせつつ、一日を過ごし、時々放課後に寄り道をして家にかえる。学生生活を繰り返していれば、そのうちひょっこりと、ナギが帰ってくるような気がしていた。
クラスメイトは全員、ナギのことを忘れていた。
クラスのメッセージグループには、確かに『椎名ナギ』という名前が登録された。ナギの存在は夢幻であったわけでも、海咲の妄想だったわけでもない。
しかし、『椎名ナギ』という名前について、誰も覚えていなかった。
「なんか、最近元気ないね」
表情に出てしまっていたのだろう。不意に、アカッシーからそんなことを言われた。
「そんなことないよ」
空気を壊すまいと、気丈にふるまう。
孤独だった学校生活に、沢山の仲の良いクラスメイトができた。
海咲に日常は、好転しているはずだった。
ナギはどうしているのだろうか。考えたところで仕方がない。気にかけたところでどうしようもない。目に見えない場所で起きていることに、海咲は関与できないのだから。
どうしても、心のわだかまりのようなものが消えなかった。
そして、期末試験が終わり、明日からは夏休みだ。
今日は終業式のため、半日だけ学校に出る。
朝の身支度を調えていると、不意に海咲のスマートフォンが震えた。
画面を見ると、フランスにいる両親からの電話だった。
「もしもし」
『何してた?』
久しぶりに母の声を聞いた。
久しぶりに話をする娘への第一声が、これとは……我が親ながら、かわっていると思う。
「何してたって……これから学校行くところだよ。こっちは朝の七時」
電話のむこうは、これから眠るところだという。
『夏休みの間はどうする? こっちで一緒に過ごす?』
「そうだね。あー……待って」
海咲はスマートフォンのカレンダーアプリを開いて、夏休みの予定を確認した。
受験を控えた高校三年生の夏休みなど、あってないようなものである。海咲の夏休みの予定は、予想以上にスカスカだった。
そんな中、七月二十二日に入った予定に目がとまる。
『海水浴』
そう書かれていた。
「……」
ナギがとても楽しみにしていた夏休みの予定だった。
思わず、言葉をうしなった。
『海咲?』
電話口から、不思議そうな母の声がする。
はっと我に返った海咲は、取りつくろうように返事をした。
「予定も少ないし、行けると思う。……学校行かなきゃだから、また電話する」
そう答えて、慌てて電話を切った。
声が、泣きそうになってしまった。
無用な心配はかけたくない。母に悟られていなければいいのだが。
そう思いながら、海咲は家をでた。
鍵を閉めて家を出るとき――海咲は毎日、肩を落としていた。
いつも家まで迎えに来てくれていたナギの姿は、今日もなかった。
ひとりで学校へ向かう。ずいぶん早く家を出てしまった。
学校に着くと、用務員さんが校門を開けたところだった。
まだ朝練をする学生すら学校に来ていないような時間だ。
誰もいない校舎を歩き、まだ誰もいない教室に入る。
ひとり、自分の席に座った。とても静かだった。
今に、この教室は騒がしいクラスメイト達であふれかえるのだろう。
きっとそこに、ナギの姿はない。
夏休みが始まって、七月二十二日に海に行ったとしても、きっとそこにナギはいない。
ナギがいなくても、海咲の日常は続いていく。
コンッ――、と。海咲が額を机にうちつけた。
冷たい木の感触がおでこに広がっていく。
「助けてほしいときは、助けてって言えばいい。もし、自分の周りに、助けてくれる人がいない時は――」
席を立ち、教室を出る。
「っ――」
気がつくと、海咲は走り出していた。
校舎を飛び出し、一心不乱に通学路をかけぬける。途中、学校に向かう生徒たちの何人かとすれ違った。
海咲は、彼らと真逆の方角へ走っていく。
海咲がたどりついたのは、小さな神社の境内だった。海咲の通学路の途中にある、下駄の御神体が小さな社に祀られた神社だ。
海咲は賽銭箱の前まで駆け寄ると、サイフから五円玉をだして、賽銭箱になげこんだ。
(確か、お願いの作法は、二礼、二拍手……)
二回おじぎをして、二回手をたたく。まぶたを閉じて、願いをねんじた。
「お願い……助けて」
思わず声に出た。
(ナギ――)
心のなかで、ナギのことを呼ぶ。
小さな社の戸が、「キィ」と開く音がした。
音に反応した海咲が、まぶたを開いた。狭い社の中に、ナギがいるような気がした。
しかし、そこには誰もいなかった。
代わりに、いつの間にか神社の境内に、スーツ姿の女性が立っていた。
りんとした顔立ちをしたきれいな人だった。彼女とは、以前この神社で出会った記憶があった。あの後、どこかで会ったような気もするが、思い出せない。
「辛そうなお顔ですね……」
そうつぶやいたスーツ姿の女性が、ひどく辛そうな顔をした。
「あなたの記憶もすべて消すべきでした。シイナ様との記憶が、あなたにとって重要な意味をもっていたので、記憶の一部を残したのですが……、私の判断ミスだったようです。申し訳ありません……」
そういって、スーツ姿の女性が、ポケットから一枚の和紙を取り出した。和紙を持つ手を、海咲に向けてかかげる。その行動が何を意味するのかは、海咲にはわからない。
「ナギを、知っているんですか?」
「もちろんです」
ナギを覚えていてくれた人がいた。少しだけ、心のかげりが消えた。
「ナギはどこにいるんですか? ナギは、無事なんでしょうか?」
頭に思い浮かぶままに、質問を口にした。真剣な海咲の眼差しに、スーツ姿の女性が動きを止めた。そして、手にした和紙を、ポケットに戻した。
「……椎名ナギを、助けたいですか?」
「……」
スーツ姿の女性が、少しだけ困ったような顔で、質問してきた。
「ナギは、今……助けがいるような状況なんですか?」
「……そうですね」
すこしだけ、スーツ姿の女性は回答をためらうような素振りをみせた。
食い入るように、海咲がこたえる。
「助けたいです。お願いします。ナギを助けてください」
「…………」
海咲の言葉に、スーツ姿の女性は、困ったように眉をよせた。
そして、ふうと深呼吸して、優しい笑顔を浮かべる。
「お願いされたら、叶えないわけにいきませんね」
全然似ていないはずなのに。
何故か、スーツ姿の女性が、ナギと重なってみえた。




