日本の女神③
海咲には目の前の光景が信じられない。まるで夢でも見ているような気分だった。
ことの経緯はよくわからない。異世界の女神を殺そうとした単衣の女性に、ナギが応戦した。異世界の女神は逃げだし、単衣の女性は笑顔をくずさなかったが、その目が不快の色をおびた。単衣の女性は、ナギと日本刀で切り結びながら、視線を外し、異世界の女神の背中を目でおった。
「まさか日本に逃げるとは……いい判断ですね」
異世界の女神をおいかけようとしているのだろう。
単衣の女性が、片手で宙に円を描いた。人が通れるぐらいの楕円形の穴が、なにもない空間に発生する。穴のむこうは、こことは違うどこかにつながっていた。魔力の流動は感じなかったが、魔法に似た技だった。
穴の向こうに、日本家屋のような畳敷きの広い部屋が見えた。
「行かさへんよ?」
つばぜり合いながら、ナギがいった。
単衣の女性が横目にナギをみる。
「シイナ様のせいで、逃げられてしまいましたね……」
「っ――!?」
海咲はたっているのもままならないほどのプレッシャーを感じた。
単衣の女性が、空いた右手に呪符をとりだした。呪符をナギの頬にあてる。
とっさにナギは身を引こうとするが、間に合わない――。
「――――」
ごうごうと。目の前がはげしく燃えあがった。
「ナギ……!?」
海咲が悲鳴をあげた。炎の中で、うずくまり、体の表面積を小さくして炎をやり過ごそうとしているナギの姿が見えた。信じられない光景だった。
海咲を圧倒し、あの異世界の女神すら打倒したナギが、膝をついている。
得体のしれない恐怖心がわきあがる。頭ではナギを助けなければと思った。しかし、単衣の女性に立ち向かうことができなかった。
圧倒的な力を前に、どうやってもナギを助けられないことが分かってしまった。
単衣の女性は、炎の中でうずくまるナギに追い打ちをかけるべく、ゆっくりとした所作で日本刀をもちあげた。
刃が、ナギに振り下ろされる――。
「お待ちください!」
声をあげたのは、スーツ姿の女性だった。刃が、ナギに触れる直前でとまった。
スーツ姿の女性は、単衣の女性の前にたち、はりつめた声でうったえた。
「異世界の女神は、取り逃がしただけにすぎません。ここで、主様とシイナ様が争うことには、なんの益もありません。どうか、冷静なご判断を」
「別に……感情的になっているつもりはないのですが……いえ」
つぶやいた単衣の女性が、そっと自分の唇に触れた。
そして、ふと気づいたようにつぶやく。
「なるほど。確かに、私は怒りに我を忘れ、冷静さを欠いていたようです」
単衣の女性が、手を横にふるった。術が解除され、炎が消失する。
「はっ――」
炎から開放されたナギが、大きく息をすいこんだ。
「失礼いたしました。シイナ様……。たしかに、この場で異世界の女神を殺すことは、得策ではありませんでしたね……」
剣呑な声で、単衣の女性がささやく。
「どうせ異世界を滅ぼすなら、多くの神々が注目する最中、処刑をしなければ。そうでなければ、見せしめとしての意味も薄れてしまいますものね」
異世界をほろぼす。確かに、単衣の女性はそういった。楽しそうな、はずむ声だった。
スーツ姿の女性が、緊張した面持ちで返答した。
「かしこまりました。手配いたします。少し、お時間をいただくことになりますが……」
「かまいませんよ。どうせ、あの女神に逃げ場などありません」
「アカン……」
床に膝をつき、肩で息をしながら、ナギがいった。
単衣の女性が、うろんげな瞳をナギにむける。
「邪魔をされてはかないませんね。事がすむまで、シイナ様を座敷牢に閉じこめておいていただけますか?」
「っ……かしこまりました」
スーツ姿の女性が、緊張した表情でうなずいた。
「主ちゃん!」
ナギが立ち上がる。その動きを、単衣の女性が日本刀をふりかざし、けんせいした。
そして、ぐっとナギに顔をよせた。
「異世界召喚から氏子を守る。これは私の最優先事項です。私よりも弱いシイナ様が、どんな邪魔をされようと、必ず決行します」
ささやくような声で、静かにつげた。
「何とおっしゃっていただいても結構です。何を思っていただいても結構です。私より弱いシイナ様では、私を止めることはかないません。……どうか、命を粗末にされぬよう」
そうつぶやいて、単衣の女性の指先が、そっとナギの頬をなでた。先刻の炎ですでに体力のほとんどを削り取られていたのだろう。ナギは立っていられなくなり、倒れた。
「ナギ!?」
「ご心配なく。気を失っただけです」
ナギにかけよろうとした海咲に、単衣の女性がいった。ひどく優しい、子供をあやすような声だった。単衣の女性と目が合う。見透かしたように、単衣の女性が目を細めた。
「さあ、怖い時間は終わりです。そろそろお家に帰りましょう」
そう言って、単衣の女性が、二回手を叩いた。
「もう異世界召喚を恐れる必要はありません。あなた達のことは、私が……絶対に守ってあげますからね」




