日本の女神①
異世界の女神が意識をとりもどした。
視線を動かして、周囲を確認する。場所は、雷と炎によって焼かれた神殿の室内。離れた位置に、日本の男神と、真田海咲がいた。
「意識を失っている間に、討ち取る機会などいくらでもあっただろうに……」
首の下に柔らかいものが敷かれていた。見ると、それは丸められた学ランだった。
「起きたか?」
日本の男神が近づいてきた。不遜にも、横たわる異世界の女神の隣に立ち、見下ろしてくる。その後ろに、真田海咲が少し怯えた様子で隠れていた。日本の男神が着ている半袖の黒いシャツの裾を掴んで、肩越しに異世界の女神をうかがっていた。
異世界の女神は、両腕で顔をおおい隠し、一度深くため息をついた。
「よいではないか……」
つぶやくように口にした。
「一億人もいるのだろう……? ひとりぐらい、よいではないか……。私の世界では、何千という子供が、今日も死んでいるのだぞ……」
声がかすれた。
「イカン」
日本の男神が言った。
「一億人おろうが、一人やろうが変わらん。この子の代わりはおらん」
「……そんなこと、言われなくても分かっているっ……」
異世界の女神声に、わずかにおえつが混じった。逆の立場なら、異世界の女神はきっと平静ではいられない。相手の神を殺してでも、自分の子供を取り返そうとするだろう。
「なんでだ……」
行き場のない怒りが、唇からあふれてくる。
「なんで、私の世界は……平和じゃないんだ……」
恥も外聞もなく、敵の前で、あろうことか、心中の悔しさを口にした。
「……」
二人は静かに異世界の女神の話をきいていた。
「あのなぁ……」
日本の男神が、異世界の女神の枕元で、うんこすわりをした。
「日本人を召喚するのは、見過ごせん。僕が絶対に邪魔するで」
その声は、どこか異世界の女神に同情しているようだった。
「やけど……魔王っていう悪い奴をこらしめたらええんやろ? 僕がちょっと君の世界にいって、魔王ってのやっつけてこようか? それやったら、手を貸してもええで」
女神が目を瞬かせる。
「何を言っている……?」
耳を疑った。
「神が直接手を下すなど……、それこそ神の規約に違反している。そんな真似ができるなら、私だって……」
「……イカンのやっけ? ……じゃあ、君が気づかんかったことにして、僕を異世界に送り込んだらええんとちゃう?」
上半身をおこした異世界の女神が、日本の男神の顔をみる。何度も目を瞬かせた。
そして、我に返ったように、目に力をこめた。
「何を、企んでいる?」
「だって、困っとるんやろ?」
「そんなことをして、お前に何の得があるというのだ?」
異世界の女神が問い詰める。日本の男神に悪意はない。
「……本当に、力を貸してくれるのか?」
「おお、かまへんよ。僕に任せとき」
屈託ない笑顔を浮かべる日本の男神に、異世界の女神が呆気にとられた顔になる。
「ただ、その前にひとつやってもらうことがあるで」
「なに?」
「悪いことしたやろ。海咲に謝って」
「…………」
無言で、異世界の女神が真田海咲に目をむけた。日本の男神の後ろで、小さくなっている。目が合うと、少しだけ怯えるような素振りをみせた。
異世界の女神が、息を吐いた。
「すまなかった……」
「え……?」
真田海咲が目を白黒とさせた。
同情するような目を、日本の男神が真田海咲に向ける。
「許したげる? どうする?」
「え、えええっ……?」
困惑した様子で、真田海咲が日本の男神と異世界の女神を見比べた。
「……」
異世界の女神が行ったことは、謝って許されることではない。
それ以上、真田海咲の反応をみずに、異世界の女神は目をとじた。
らしくないことをした。悪いことをしたとは思う。だが、反省などしていない。
もとより、自分の世界さえ救えれば、ほかはどうなっても良いと切り捨てたのだ。
今さら、許しを得ようなどとは、思っていなかった。
剣呑な目をした日本の男神と、当惑する真田海咲をにらみつける。
「こんなことで、その者の溜飲が下がるものか。私が逆の立場なら、下げた頭を踏みつけにして、なおも許さぬだろうよ」
異世界の女神の言葉に、真田海咲の表情が険しくなった。
だが、否定の言葉は返ってこない。それもそうだろう。
「許せとは言わぬ。提案がある――」
「提案……?」
いぶかしむような顔で、真田海咲がききかえした。異世界の女神が立ちあがった。
「おい――。私の世界を救うと言ったな。その言葉に、嘘偽りはないか?」
「なんや、いきなり……」
「なら、私の世界を救ってみろ。それが成されたその暁には――」
異世界の女神が、真田海咲に向きなおった。
「お前に、私の命をくれてやろう」
「……どういう意味?」
「言葉通りの意味だ。お前の気がすむよう、お前の好きなようにされてやるといっている。ひとおもいに首をはねようと、じわじわといたぶり殺されようと、私は一切、抵抗しない」
真田海咲は目をまたたかせる。異世界の女神が口にする言葉の意味を、何度も反すうし、頭で理解しようとしている様子だった。
「なんやそれ。海咲にメリットないやんか。そんなん却下に……」
「待って、ナギ」
口を挟んだ日本の男神を、真田海咲がとめた。
「それで、チャラにしろってこと……?」
「それ以上に、私が差し出せるものなどない」
「……」
真田海咲の視線が、ジッと異世界の女神をにらんだ。
異世界の女神は、不遜な笑みを浮かべる。
背中に隠れていた真田海咲が、ぐっと日本の男神のシャツを掴んだ。
「あなたはわたしの人生を滅茶苦茶にした……。損とか得をぬきにして、わたしの痛みの一片でも、思い知らせてやれるなら……思い知らせてやりたいとおもう……」
静かに。しかし、確かな意志をもって、真田海咲がつげた。
「いや、アカンで。だって、自分、唯一神なんやろ? 海咲は知らんかもしれんけどな。唯一神が死ぬってことは、そいつが信仰されとる世界が滅ぶってことやねん」
「……」
日本の男神の言葉に、真田海咲の瞳にまよいが生じた。この期におよんで、真田海咲は、異世界が滅ぶことを良しとしていないらしい。なんと、日本人の甘いことか……。
「それは、約束が違うではないか」
異世界の女神が、日本の男神にいった。
「私の世界を救うというのが、前提条件であったはずだ。私が真田海咲に殺されるようなことがあるなら、お前が私にとってかわり、世界の唯一神となるべきだ」
「僕が? 待て。話が飛躍しすぎとってついていけん。ちょっと二人とも落ち着こう?」
日本の男神の仲裁をききいれず、真田海咲は聖剣を召喚した。
抜き身の刃を、異世界の女神につきつける。
異世界の女神は首筋に刃を押し当てられながら、一切たじろぎもしなかった。
「今ではないぞ。私の世界は、まだ救われていない……」
「海咲!? ちょっと落ち着けって……」
「……」
日本の男神の制止に、真田海咲が困惑の色を瞳にうかべた。まるで自分でも何をしているのか、わかっていないような顔だった。ぽろぽろと、真田海咲の目から涙がこぼれる。
「怖すぎて、なんか泣けてきた……わけわかんない……」
女神の首に押し当てられた聖剣がふるえていた。勢いに任せて、首を斬られてはかなわない。異世界の女神が、手で聖剣の刃をおさえた。細い指が切れて、血がしたたる。
「どうしよう……ナギ……?」
助けを求めるような目で、真田海咲が日本の男神をみた。
「とりあえず、剣を下ろせって……」
真田海咲が、剣をかまえたまま涙をぬぐう。それでも、涙は止まらなかった。
「こんなことしても、わたしが奪われたものは、何ひとつかえってきやしないんだ……。さんざん怖い目にあったし……今だってすごく怖い……。わたしのこと滅茶苦茶にしておいて、ただやり返せだなんて、無責任だと思う……でもっ」
真田海咲の声におえつがまじった。聖剣を持つ手がふるえた。そして、いった。
「やり返したいって、思っちゃった……! ねえ、わたし……、間違ってるかな……?」
ふるえながらも、真田海咲は刃に力をこめた。
刃の切っ先が、異世界の女神の首筋を浅く切り裂いた。
「ははっ。凄まじい……このまま殺されてしまいそうだ」
異世界の女神は、刃を手でおさえながら、オロオロとしている日本の男神にいった。
「おい、お前。ここで私が殺されたら、分かっているな? 順番が前後するが、私の世界は救ってもらうぞ。我が世界の唯一神となり、私の子供たちを守ってもらう――!」
「――それはいけません。シイナ様には、まだ日本の子供たちを守ってもらわねばならないのですから」
不意に。
神殿の中に女性の声が響いた。
涼やかな美しい声だった。
「っ――――」
真田海咲が表情をこわばらせた。いつの間にか、真田海咲と異世界の女神の間に、長くつやのある黒髪が印象的な、単衣をきた女性が立っていた。
「主ちゃん……?」
日本の男神が、単衣の女性を呼ぶ。
単衣の女性はその細くしなやかな指先で、そっと真田海咲の目元をぬぐった。
「かわいそうに。こんなに泣きはらして。怖いことがあったのですね。恐ろしいことがあったのですね」
単衣の女性は、優しく、つつみこむような声で、真田海咲にかたりかけた。
そして、震える海咲の肩に手をそえて、そっと刃を下げさせた。
異世界の女神の首筋から、刃が離れていく。
「悔しい気持ちは分かります。でも、あなたが手を汚すことはありません。そんなことをしなくてもいいのです。怖いものも、恐ろしいものも、みんな――」
単衣の女性が流し目に異世界の女神の方をみた。長いまつげを瞬かせる。いつの間にか、単衣の女性の左手には一本の日本刀が携えられていた。
異世界の女神の眼前で、日本刀は振り上げられた。
「――私が、滅ぼして差し上げますから」
その所作があまりにも自然で、異世界の女神は刃をかわすことを忘れた。
「――――――――――ッ――!」
すさまじい金属音がなりひびいた。
とっさに日本の男神が、異世界の女神をつきとばし、単衣の女性がふりおろした日本刀の刃をうけとめた。先刻、異世界の女神と戦いの最中に、雷をまとい、姫鶴と呼ばれていた日本刀と、単衣の女性が持つ日本刀がつばぜり合い、拮抗する。
「主ちゃん! いきなり、何するねん!?」
「戦争をしに参りました」
花が咲くようににっこりと笑って、単衣の女性がこたえた。
「邪魔だては無用ですよ。私の可愛い氏子をさらい、あまつさえ傷つけたその女神を許してはおけません。――この場で殺します」
言葉とは裏腹に、その声はどこまでもおだやかだった。
「ああ、そうです。シイナ様。ひとつ、お願いしたいことがあるのですか」
「なんや?」
余裕のない声で、日本の男神がこたえた。
拮抗しているかに思えたつばぜり合い。しかし、徐々に日本の男神がおされていた。
「少しばかり、火だるまになっていただけますか?」
単衣の女性が、あいた右手で一枚の呪符を取り出す。
次の瞬間、呪符から炎がほとばしった。
「があっ!」
炎に焼かれた日本の男神が、とっさに後ろに飛んだ。床を転がり、炎をかき消す。異世界の女神の魔法に焼かれても、平然としていた日本の男神の肌に、やけどの痕が生じた。
すると――、
「何をなさっているんですか!?」
突然、二人の間にスーツ姿の女性がとびだしてきた。
凛とした風貌の女性だった。どこからともなく現れたスーツ姿の女性は、床にひざをつく日本の男神に肩をかし、立ち上がる彼をささえた。
「つくもちゃん……? いったい、どういうことや?」
「いいですよ。シイナ様にも、見せてさしあげてください?」
単衣の女性が、スーツ姿の女性にいった。
スーツ姿の女性は、一瞬迷うようなそぶりを見せた後、日本の男神から離れた。そして、ポケットから一枚の和紙を取り出した。人型に切り抜かれた和紙を、宙になげる。
「おいでなさい。『臨』」
投げた和紙が大きく広がって、映画のスクリーンのような形になった。そして、映像を投影し始めた。
そこに映っていたのは、異世界召喚の魔法陣に半身を沈めた日本の男神だった。
「式神で録画した映像になります」
単衣の女性がいった。
シーンが切り替わる。先刻、この場でおきた、異世界の女神と日本の男神の戦いが映し出された。戦いの最中、日本の男神が異世界の女神の魔法に焼かれた。彼が炎に包まれたところで、映像が止まった。
「ここに、今のやけどをされたシイナ様の姿を繋ぎましょう。より説得力が増します」
単衣の女性が、楽しそうにスーツ姿の女性に指示する。
「何の話をしとるんや?」
「分かりませんか? これは――異世界召喚が我が国の神を傷つけた映像なのです」
「は……?」
日本の男神が目を丸くした。意味が分かっていない様子だった。異世界の女神にも、これがどういう状況なのか、理解が及ばない。補足するように、単衣の女性がいった。
「異世界召喚が、我が国の神のひとりを殺しかけました。この事実をもって、他の神界にも干渉します。異世界召喚を全力でたたく大義名分をえたのです」
「干渉って、主ちゃん。異世界と全面戦争でもするつもりかいな?」
「そのとおりですよ」
二人にやり取りに、合点がいった。この単衣の女性は、日本の女神なのだろう。
「何かいけませんか? 発展途上の異世界の神々が相手なら、我々が負けることなどありえませんが」
日本の男神が、頬のやけどにふれる。
「いや、戦争のきっかけがフェイク映像って……まるで僕らが悪者みたいやん」
「悪名だろうと、悪役だろうと、望むところです」
単衣の女性が、包み込むような笑顔で告げる。
「私は、私の子供たちを守るためならば、どんなことだって致します」
その想いは、奇しくも異世界の女神と同じくする部分があった。
「さて……」
話に聞き入っていた異世界の女神に、単衣の女性がむきなおった。
「お話も分かっていただけたかと思います。相手を殺すに足る大義もえました。それでは……私の氏子を泣かせた落とし前をつけさせていただきましょう」
単衣の女性が、異世界の女神に日本刀をふりあげた。
異世界の女神は、とっさに鉄扇を召喚し、守りをかためた。
しかし、日本刀は振り下ろされなかった。
日本の男神が、姫鶴の切っ先を単衣の女性にむけて、動きをけん制したからだ。




