不安の足音③
時刻は、九時五十分。
スマートフォンで時刻を確認し、海咲は校門をくぐった。
授業中の静かな教室のドアを開けて、注目を集めるのが嫌だったので、さらに時間を遅らせて通学した。すでに一限目の授業が終わっていた。校舎の中からは、生徒たちの笑い声がきこえていた。人のいない運動場を横目に、校庭を海咲があるいていく。
「よい朝だな」
不意に、後ろから声をかけられた。人の気配は、まったくなかった。
驚いた海咲は、跳ねられたようにふりかえった。
いつの間にか、海咲の背後に、褐色の肌の少女がたっていた。
癖のあるブロンドの髪が、揺れる。明らかに日本人離れした風貌だった。海咲より背が低い。海咲と同じ明善高校の制服を着ていた。おそらく、この学校の生徒なのだろう。
じっと見つめられた少女が、首をかしげた。
「誰……?」
「寝ぼけているのか?」
小柄な少女が、外見にはにあわない横柄な口調でいった。コツコツと革靴をならして、海咲に近づいてくる。真っ赤な瞳に海咲をうつし、頬に指をあてて、首をかしげた。
「今芥子 モニアだ。忘れたのか?」
少女は、モニアとなのった。外国人にありそうな、珍しい名前だった。生粋の日本人には見えない肌と髪の色をしている。海咲と同じように外国人の血が流れているのだろうか。もちろん、そんな少女の名前になど、一切覚えはなかったのだが――。
「今芥子……さん?」
――ふと、海咲の脳裏に、彼女の名前がうかんだ。夢にまどろむような感覚が生じた。
そして、思いだした。彼女は、同じクラスの生徒ではないか。名前をよばれたモニアは、満足したように笑った。
「思いだしたなら良い」
短くそう告げると、校舎の方に歩きだした。小さな背中が、海咲から離れていく。
「ああ、そうだ」
最後にモニアが足を止め、ふりかえった。
「私を呼ぶ時は、モニアと呼べ。芥子の花は私の好みではないからな」
モニアが校舎に消える。
夢でも見ているような気持ちで、その背中をみおくった。時間にして、五分ほど。海咲は、ぼーっとモニアの消えた校舎をながめていた。ふと我にかえる。
「いけない。わたしも学校……」
海咲も慌てて、校舎に駆けこんだ。校舎内にはいると、休み時間に教室からでてきた生徒の何人かとすれちがった。いつもと変わらぬ喧騒が、校舎の中に満ちている。
通いなれた教室のドアをひらいた。同じクラスの生徒の何人かが、海咲の姿に気がついた。一方的に飛んでくる挨拶をかわし、自分の机にカバンをのせて、隣の席に座っている男をにらみつける。ナギがそこにいた。
「ああ、海咲……おはよう」
目が合うと、ナギは気まずそうに顔を伏せた。
「……」
海咲は返事をせず、どかっと、席に腰をおろす。
海咲の様子をみて、後ろの席に座るクラスメイトが、驚いてかたまっていた。
「朝はごめんな。びっくりしたやろ?」
「……」
鋭い目線で、ナギをにらんだ。その気迫に、うっとナギが身をひく。
「……何の目的があって、あんなことをしたの?」
「僕は、海咲と仲良くなりたいねん」
「それをして、あなたに何の得があるの?」
「得とかじゃなくてな……」
あくまで、はぐらかすつもりらしい。ならばこれ以上、とりあう必要はないだろう。
「いいよ。無理に答えなくて」
威圧感を瞳にこめる。
気配に敏感な動物であれば、悲鳴をあげて逃げ出すほどの敵意をむけてやった。空気がビリビリと震えて、後ろの席に座るクラスメイトが、「ひぃ」と声をあげた。
「あなたの目的がなんであれ、わたしは絶対に負けない。少しでも妙な動きをしたら、その時は……」
たたっ斬ってやる。
言葉にするまでもない。この敵意を感じとれたなら、海咲の真意は伝わっただろう。
海咲はナギから視線をはずし、不機嫌な顔のまま、黒板の方をむいた。
「……」
肩を落としたナギに、後ろの席からルカが身をのりだして、顔をよせた。
「ケンカでもしたの? どうせまたふざけて、悪いことしたんでしょ?」
平和な会話が、背後からきこえてきた。
それは、海咲がいる世界とは、別の世界の会話だった。
一日の授業が、つつがなく終わる。
今朝のことで、下手に動くことを警戒したのか、今日のナギは大人しかった。
とりあえず、平和に一日を過ごせたことに、海咲は胸をなでおろした。
昨日までなら、ナギは当然のように「遊びに行こう」と提案してきた。しかし、今日は海咲の迫力を恐れたのか、そういった素振りもみせなかった。
逆にナギがクラスメイトに遊びに誘われていたが、
「……考えたいことがあるけん、今日はやめとくわ」
と、答えてかばんを持った。
海咲はナギが誰とも行動しないことに、内心安心していた。今日は、自分も家に直帰しよう。カバンを持って、海咲が席をたつ。そこに、ナギが声をかけてきた。
「ちょっと話かまわんか?」
カバンを持って立ちあがった姿勢で、海咲がかたまった。
内心に警戒心をつのらせながら、こたえる。
「いいよ。何……?」
ナギは周囲を気にするように、視線を動かした。そして、声を少し落としていった。
「ここじゃしにくい話やねん。どこか人気のないところに来てもらえんか?」
「……じゃあ、屋上にしよう。そこなら誰も来ないから」
海咲の提案に、ナギがうなずいた。海咲は無言で動き出した。ナギが後ろをついてくる。
その時、教室にジャスティン先生が入ってきた。
「ヘイ、ミスターナギ。大切なお話があります。少し時間をもらっていいデスか?」
「ごめん、忙しいねん。明日にしよう、ジャスティン」
ナギはジャスティン先生を無視して、海咲についてこようとする。
「オウ、シット」
ジャスティン先生が、ぺちんと額を叩いた。
そのジャスティンの姿を横目にみて、ふと海咲は思いついた。
「いいよ。屋上で待ってるから、先に用事を済ましてきて」
「ええんか?」
その方が、海咲にとっても都合がいい。
「そうか。海咲がそう言うなら……ほな、ジャスティン行こか」
「イエス!」
ガッツポーズをとるジャスティン先生に連れられて、ナギが教室から出ていく。
海咲は、二人の背中が教室からでていくのを見おくった。
そして、彼らが見えなくなった途端に、走りだした。
階段を駆け上がり、屋上へむかう。学校の屋上につながる扉は、南京錠と鎖で施錠されている。この南京錠は、つくりが簡素なもので、板状のものをつっこんでねじってやれば、簡単に開錠することができた。
「簡易詠唱――『氷河一閃』」
氷結魔法を詠唱し、手の中に小さな氷の塊を発生させた。氷は、薄いカギの型に形成されている。海咲は氷のカギを南京錠に差し込み、回した。音を立てて南京錠がはずれ、鎖が廊下におちた。
氷のカギと、外れた南京錠を廊下にすてて、海咲は屋上へつながる扉をひらいた。
高いフェンスの向こうに青い空がひろがっていた。運動場では、部活に精を出す生徒たちの活気のある声が響いていた。
平和な景色だった。
海咲は、校舎の誰もいない屋上で、ただひとり、戦いの準備を始めた。
「風の精霊よ、重力の楔から我を解き放ち、一時の神速を与えよ――『脚力強化』」
速力の強化に加え、その他、基本となるバフ魔法を重ねがけする。
「簡易詠唱――『神経加速』、簡易詠唱――『呪術無効』、簡易詠唱――『空気ノ鎧』」
魔法の加護により、全身を戦闘に向けて強化した。
さらに。
「召喚――」
持つものに力を与える女神の剣――聖剣を召喚し、手をたずさえた。
ナギを迎えうつ準備はととのった。
「何もなければ、それでいい。だけど、少しでも怪しい素振りがあったら、その時は――」
戦うことをためらわない。
海咲は、覚悟を決めた。
その時だった。
「――――えっ!?」
足もとに、魔法陣が浮かびあがった。
全身がふわりと、水の中にいるような浮遊感につつまれた。魔法陣は怪しげな魔力の光を発し、引力が海咲を魔法陣へと吸いこもうとした。
開きっぱなしになっていた、屋上の扉のむこう――床の上に無造作に落ちていた南京錠と鎖が、魔法陣に吸いこまれて消えた。
「っ、くぅっ」
とっさに、海咲は屋上の扉を蹴った。その勢いで宙へとびあがる。魔法陣から距離をとると、引力が弱まった。手近にあった貯水槽の壁に手をひっかけて、それによじ登った。
「これは……?」
魔法陣を見下ろして、声をもらす。
異世界の魔法だ。しかも、この魔法には見覚えがあった。
否、忘れるはずがない。
「異世界召喚の魔法陣だ……」
つぶやいた声が、恐怖で引きつっていた。
魔法陣の引力を回避できたのは、偶然だった。仮に海咲が、魔法による身体能力の強化をほどこしていなければ、消えた南京錠と同じように、異世界へ召喚されていただろう。
カチカチと奥歯が鳴った。立っていられなくなって、貯水槽の上に、ぺたんと座りこんでしまった。腰を抜かしていた。
「大丈夫……、わたしは負けない……。大丈夫……」
恐怖に打ち勝つべく、暗示をかけるようにつぶやいた。
魔法陣は徐々に魔力を消費し、ゆっくりと薄れ消えていく。
「海咲!」
屋上に声がひびいた。
海咲が肩を震わせて、声の方をむく。屋上の入り口に、ナギが立っていた。
ナギは、海咲を見つけると、安心したように肩の力をぬいた。
魔法陣が消える。与えられた魔力を使い切ったのだろう。
貯水槽の上に座り込む海咲に、ナギが駆けよってきた。
「よかった。無事やったんやな。大丈夫か? 怪我とかしてないか?」
ナギの質問を、パニックになった海咲は何一つ理解することができなかった。
「降りれるか? もしかして、立てへんのか? 待っとれ。今、そっちに……」
「来ないで!」
近づいてくるナギに、聖剣の切っ先をむけた。
鋭い刃にさらされて、ナギの動きが止まる。
「どうかしたんか?」
凶器をむけられているというのに、ナギは平然と質問してきた。
彼の考えがわからない。否、彼の目的はもうわかった。
「わたしをこんな所に呼び出したのは……異世界に召喚するためね?」
念を押すような、海咲の口調。
「……」
ナギの眠そうな目が、わずかに鋭さを増した。
「今の、やっぱり異世界召喚なんやな。違うで、僕は……」
「言い訳はきかない!」
ナギの発言をさえぎり、海咲が叫んだ。
「何を言われても、わたしはあなたを信用しない。今すぐわたしの前から消えて。それができないなら……斬る」
「……」
ナギがだまった。困ったような顔で頬をかいて、しばし思案した後、口をひらいた。
「海咲のいうとおり、僕は異世界召喚の関係者や。今日、ここに海咲をよんだんは、僕が怖いなら、僕がこの学校から転校するよっていう、話をしようと思ったからやねん」
ナギの声は優しかった。
しかし、恐怖に支配された海咲の心は、ナギの言葉をききいれられない。
何かの目的があって、時間稼ぎのために会話をしているのではないか。そんな考えが頭をよぎった。だとすれば、ここにとどまり続けるのは危険だ。
足に力をこめる。腰を抜かしていた海咲だったが、動ける程度には回復していた。
「話はここまで……」
海咲が立ちあがる。貯水槽の上から、屋上のフェンスの上にとびうつった。
「危ない! 落ちるで!」
フェンスを飛び越えてしまいそうな海咲を見て、ナギが慌てたような声をあげた。
海咲は返事をせず、フェンスを蹴って屋上から飛びおりた。
「海咲!」
慌ててナギがフェンスにかけよってくる。
落下する海咲は、校舎の壁を掴んで、開いていた窓から校舎に飛びこんだ。
そこは、下級生の教室だった。すでに生徒も下校済みで、教室の中には誰ひとりいなかった。教室から廊下に出て、逃げるような足取りで家に帰った。
そして、問題なく家に着いた。少しだけ安堵をする。
玄関のドアに鍵をかけるのと同時に、その場に座り込んでしまった。
かばんを教室に置きっぱなしにしてしまったが、今はそれどころではなかった。
震える手で自分に触れて、再確認する。
「わたしはもう、異世界召喚なんてされないっ……!」
つぶやいた声は、願いのようだった。
しかし、その声は誰に届くこともなかった。
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