【九十四 烏斯蔵国のおのぼりさん】
観音菩薩と別れた玄奘たちはさらに北へ進み、烏斯蔵国に来ていた。
玉龍は馬の姿から人型になり、未熟な変化で隠せない龍の耳と角は頭に布を巻いて隠し、玄奘と共に街中を歩いている。
街をゆく烏斯蔵国の人々は、光沢のある鮮やかな伝統衣装に身を包んでいるし、所々の建物の壁も彼らの衣装にまけないくらいあざやかだ。
「ちょっとお師匠様、あんまりキョロキョロするとおのぼりさんだと思われますよ!」
「おのぼりさんってなーに?」
初めての外国に、三人はあちこちをキョロキョロ見回すのが止まらない。
孫悟空もキョロキョロしているのに、自分のことを棚に上げて玄奘に注意をすると、玉龍が間髪入れず聞き返した。
「田舎者って意味だよ」
「ふーん、それって悪いことなの?」
別にいいじゃん、と玉龍は気にすることなくあちこち興味深く見回している。
「いや……別に、ただそう思われたら嫌だなーとか……」
そこまで言いかけた孫悟空だったが、玉龍の素直さに別にいいかと思い直し、玄奘たちを駆け足で追う。
「みてください!あの色鮮やかな布!唐とは違う仏像の煌びやかさ!書物で見ていつかはと思っていたのですが、これほどとは!」
玄奘は興奮した様子で、町の小さな廟を覗いたり、品物を眺めている。
「これですこれ!あなた方はこれを知っています??」
ずい、と玄奘は廟に置かれたものを孫悟空たちに向けた。
「これはこうやってつかうのですよ!」
玄奘は使い方を実践してみせる。
それは筒状のもので、中央の棒を持ち、筒を手動でくるくると回すもののようだ。
「なぁに?これ、くるくる回すの?……なんか文字が書いてあるよ?見たことない文字だ……」
そこに書かれていた文字は唐の国で使われている字とはずいぶん違う形をしていて、一本の線を中心に上下に点や線がクネクネとつながっている。
「これは天竺の文字です!釈迦如来様たちはこの文字を使っているのです!!はあ……この文字を……実際にこうして見て触れることができるとは……」
玄奘はうっとりとした表情で文字をなぞっている。
「で、おシショーさん、それをどうすればいいの?」
玉龍に尋ねられ、玄奘はハッとして口の端から垂れてきていたよだれをぬぐい姿勢を正した。
「これは摩尼車といって、こうやって筒のところを一周右にまわすんです。そうすると、真言を唱えたのと同じ功徳が得られるんですよ!」
唐とは違い、烏斯蔵国の人たちの身近には常に信仰があるようで、そのことにも玄奘は感動していた。
「へえ!おもしれーじゃん!どんどん回しとこうぜ!」
孫悟空はそう言って摩尼車をぐるぐる回す。
「悟空、それはちょっと……ちょ、やめてください!壊れます!」
乱暴に扱う孫悟空から摩尼車を取り返し、玄奘は「乱暴に扱われて怖かったですね、ごめんなさい」といって優しく撫でてから廟のもとの場所に返した。
「もう!あなたは力が強いのですからもっと気を付けてください!」
「はーい……気をつけます。でもたくさん回したから俺の功徳もあがりましたよね!?」
「そんな欲まみれで回してもなんの功徳もないと思いますよ」
「ちぇー」
玄奘の言葉に孫悟空は唇を尖らせ肩を落とした。
「あ、ねえねえ、それより美味しそうな匂いもするよ〜!」
玉龍が玄奘の手を引いて駆け出す。
「ふふ、そうですね」
ちょうどご飯時の通りは賑やかで、ヤクのミルクの匂いや炒った麦の香りが漂っている。
「ずっと山道で、ご飯はいつも木の実や草だったから、ちょっと美味しいものが食べたいな〜!ねー、おシショーさん、いいでしょ??」
上目遣いに玉龍から懇願され、玄奘は苦笑して頷いた。
「そうですね、食事もですけど、今夜の宿はどうしましょうか……」
見つからなければどこかの廟の一角でも借りようか、と玄奘が考えていた時だった。
「おやおや、これはこれは、きれいなお嬢さんと旅のお坊さん方!ようこそ烏斯蔵国へ!ウィーヒック!」
突然玉龍と玄奘の肩に腕を回してきた男がいた。




