【二百二十九 准胝観音、観音菩薩の危機を救う。須菩提祖師、玉龍により意識を取り戻す】
(呑まれる……っ!)
観音菩薩が思わず怯んでしまったその時だった。
「でりゃあああ!」
咆哮と共に何かが突進してきたと思ったら、黒大蛇は観音菩薩の前から消えていた。
ミシミシと軋む音がして、天井からはパラパラと細かいカスが落ちてくる。
「大丈夫か、観音菩薩!」
黒大蛇を壁に押し付け踏みつけていたのは、孫悟空だった。
「疾!」
鋭く唱えた声が聞こえたと思ったら降り注いできたのは火のついた矢の雨だ。
「姉上!」
「あち、あち!あちちち!」
黒大蛇を燃やし尽くそうとした准胝観音の攻撃だが、如意金箍棒で黒大蛇を押さえつけていた孫悟空も巻き込まれてしまった。
孫悟空は慌てて黒大蛇から降りると、すぐに黒大蛇は炎に包まれた。
「すまない、遅くなった。無事か?」
観音菩薩が振り返ると弓を下ろした准胝観音が息を切らしている。
弟の危機によほど慌てていたのだろう。
黒大蛇が消えたことで、小蛇も消滅した。
小蛇の大軍に身動きが取れず埋め尽くされそうだった普賢菩薩と文殊菩薩は、キョロキョロと辺りを警戒しながら立ち上がった。
「次から次へとよう湧くのう」
魔羅は黒大蛇を失ったことなど大したことではないというように呟いた。
「じいちゃん、じいちゃんはどこだ!」
だが孫悟空は魔羅には構わず、須菩提祖師を探す。
「ほう、あの猿め、いい度胸だ」
魔羅は目をすがめ、再び瘴気を溢れさせた。
「蛇などいくらでも作り出せるわ」
「待て!」
そんな魔羅を、観音菩薩たちが取り囲み武器の切先を向けた。
「いい加減、元始天尊様を返してもらおう」
「……」
魔羅は観音菩薩の言葉には答えず、ニタリと口角を上げ観音菩薩たちを見下ろした。
「じいちゃん!」
孫悟空は清浄の間の片隅に、太上老君と共にいる須菩提祖師を見つけ、駆け寄った。
「太上老君……、じいちゃんは大丈夫なのか?」
「孫悟空……」
太上老君は複雑な気持ちだった。
かつて崑崙をめちゃくちゃに荒らした孫悟空を見て、ホッとすることになるとは、と。
普段であれば憎い相手なのに、この絶望的な状況で頼れるのはもう孫悟空しかいないと賢い太上老君にもわかっているのだ。
孫悟空は太上老君のそんな複雑な胸中など知る由もなく、満身創痍でこんこんと眠り続ける須菩提祖師を見つけて動揺していた。
「じいちゃん!なあじいちゃん!!太上老君、じいちゃんはどうなってんだ?!生きているのか?!」
揺すり起こそうと思ったが、普段の須菩提祖師と違ってあまりにも弱々しくみえたので、孫悟空は彼に触れるのを躊躇った。
だから周りで大声をだして呼びかけてみるが、全く反応がない。
孫悟空は泣きたくなった。
「騒ぐな。いまは金丹を飲ませ体の修復をしているところだ。間も無く目覚める」
太上老君の言葉にホッとして、孫悟空は如意金箍棒を持って立ち上がった。
そして何か思いついたように太上老君を振り返った。
「なあお前、昔俺様を燃やそうとした八卦炉?八卦陣?だっけ、とにかくあのすげー宝貝持ってきてねーの?あれなら魔羅を焼き尽くせるんじゃねーの?」
「馬鹿者、そんなことをすれば魔羅が取り憑いている元始天尊の体までタダではすまぬだろう。石でできたお前とは違うのだ」
そこへ鎮元大仙と玉龍が駆け寄ってきた。
「太上老君、待たせたな!」
「遅いぞ鎮元!」
謝罪する鎮元大仙に、太上老君は涙目で笑いながら憎まれ口を叩いた。
「スボダイおジイちゃん、大丈夫?!」
玉龍は如意宝珠を取り出し、須菩提祖師に掲げる。
如意宝珠は青白く、玉龍の鱗と同じ色に輝き始め、その光が須菩提祖師を包み込んだ。
ほんのりと須菩提祖師の頬に赤みが戻り始めた。
「う、ん……?あれ、おチビ?」
「じいちゃん!」
目を開いた須菩提祖師に、孫悟空が抱きついた。
「ありがとな、太上老君、玉龍!!じいちゃん、起きたよ!!じいちゃん、じいちゃん……!」
「なんでみんなここに?」
「ワシが皆を呼んだのだ。あれは我らの手には追えぬからな」
太上老君が言うと、須菩提祖師は「そうか……」と呟き俯いた。
「そうだよ、魔羅と一人で戦おうだなんて無茶すんなよじいちゃん!」
「すまない……」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら孫悟空が怒って言う。
須菩提祖師は彼を落ち着かせるように背中を撫でてやった。
「そうだ、魔羅は……?」
「准胝らが戦っておる」
鎮元大仙が魔羅を指差して言う。
そこには魔羅と対峙する観音菩薩たちの姿があった。




