【二百十 鎮元大仙、許す条件を示す】
鎮元大仙は、自分の目の前に向けられた如意金箍棒を気に留めず、孫悟空を一瞥した。
「それ以上近づくと、玄奘殿がどうなるかわかっているだろう?」
鎮元大仙は、片手で玄奘の顎を掴み、もう片方の手の爪を仙術で伸ばし、玄奘の喉元に当てて言う。
「おシショーサマを食べちゃダメ!!」
「鎮元大仙、お師匠さまには手を出さぬと言っていたではありませんか!」
沙悟浄の言葉に、鎮元大仙はあくびをしてから答えた。
「鞭打ちはせぬと言ったが、食わぬとも言っておらぬぞ」
「それ、ヘリクツっていうんだよー!」
その言葉に弟子たちは顔を青ざめさせた。
「で、でも准胝ちゃんから頼まれたって……」
「アレは吾輩のことをよく知っておる。玉果と知って我慢ならなくなるのも見越しておろう」
「そんな……」
猪八戒は鎮元大仙の返答に絶句した。
(知らぬ妖怪に食われるよりも、力のある仙人様の血肉となった方がよほど良い)
そう考えた玄奘は、覚悟を決めたように俯いた。
「どれどれ……ふむ、芳しく良い香りだこと」
鎮元大仙は玄奘の首元に顔を近づけ匂いを嗅いで言う。
「吾輩たち仙人がどういう者たちか、特にお前はよく知っているだろう?猿のボーヤ」
鎮元大仙の言葉に三人は表情をこわばらせた。
孫悟空だけではない。
仙人たちのことは猪八戒と沙悟浄もよく知っている。
仙人というのは、自分たちの興味のあることにたいして徹底的にこだわるものたちだ。
あるものは宝貝をつくり続け、あるものは術を極めるために極限状態に身を置こうとする、
そして鎮元大仙は植物に並々ならぬ興味を持っている。
果実の一種だと思っていた玉果が、人間の姿をして現れたのだ。
植物オタクの鎮元大仙は玄奘を解体して仕組みを調べたり、なぜ人の身で玉果となったかを徹底的に調べたい筈だ。
「お、お師匠様に何かしたら、ぜってぇゆるさねえからな!」
孫悟空が凄んでいうが、鎮元大仙はそれを無視してゆっくりと立ち上がった。
「ひとつだけ、お前たちを許してやる方法があるぞ」
「何?何だ?!お師匠様を助けるためなら俺様は何でもやるぞ!」
「ボクたちだって!」
「そうか?」
孫悟空たちは勿体つける鎮元大仙を見上げて頷く。
「何、簡単なことよ。人参果を甦らせれば良いのだ」
「人参果を……蘇らせる?」
鎮元大仙の言葉を孫悟空は反芻して呟いた。
「玉果として師匠が喰われたくなければ、速やかに人参果を蘇らせよ。須菩提祖師に術を習ったのならできるのではないか?」
挑戦的に言う鎮元大仙に、先ほどまでの威勢はどうしたのか、孫悟空は落ち着きのない様子で視線を左右に動かした。
「俺様、そんな術じいちゃんから習ってない……」
「蘇らせるといえば還魂丹っつーのがあるが……」
「還魂丹を植物に使った例など聞いたこともないな……」
「それならボクの如意宝珠でそのカンコンタンとか何か作れないかな……」
先程までの威勢はどこへやら。
顔を青くしている孫悟空が項垂れ、猪八戒と沙悟浄、玉龍も難しい顔で話し込んでいる。
懸命な弟子たちの様子に玄奘は、ありがたいやら不甲斐ないやらで心の中はぐちゃぐちゃになっていた。
「おやおや、皆玄奘殿が大切なのですなあ」
「バカやろう何言ってやがんだ!大切に決まってんだろ!お師匠様はなあ、俺様たちに取ってかけがえのないお方なんだ!怒ると怖えし変なところで頑固だけど、これまで一緒に色んな困難を乗り越えてきたんだよ!」
「そうだそうだ!過ごしてきた時間はあんたが人参果を育ててきた時間より少ないかも知れないけど、濃度が違うんだよ濃度が!」
孫悟空の言葉に猪八戒も乗る。
「俺はずっとお師匠さまを探してきて、ようやく巡り会えたんだ。もう離れる気はない。あなたがお師匠さまを害すると言うのなら、この命にかけてもお師匠さまを守り抜くと決めている」
「ボクだって!ずっとオシショー様と一緒にいたいもん!だから絶対、ニンジンカを復活させるからね!」
沙悟浄と玉龍も鎮元大仙に向かって言う。
「皆さん……!」
玄奘は弟子たちの言葉に諦めて身を差し出そうとしていた自身が恥ずかしくなった。
と同時に、嬉しい気持ちも込み上げてくる。
「フン……」
孫悟空の力のこもった言葉に玄奘は俯いていた顔を上げ、鎮元大仙はつまらなそうに鼻を鳴らした。




