【二百七 小枝の鞭】
鎮元大仙は、鞭を軽く振りながらゆっくりと孫悟空への距離を詰めていく。
「お待ちください!弟子の罪は師の罪!仕置きなら私が受けます!」
枝を掴んでしならせながら、孫悟空の太ももに狙いを定める鎮元大仙に玄奘が言った。
「おや、師匠の愛とでも言うのかねえ。お優しいことだ。だが、そんな甘いものなど不要!」
「くっ!」
鎮元大仙が鞭を振り下ろすと孫悟空が顔を歪めた。
「悟空!」
「師匠が甘やかすから、この猿はつけあがるのではないかね?」
孫悟空の太ももの辺りの衣服が破け、切り口から赤い血が流れている。
「弟子の罪はまず、弟子に与えねば」
そう言いながら鎮元大仙は孫悟空の足に容赦なく鞭を振るう。
口を札で塞がれた孫悟空は叫び声も上げずに呻き声を漏らすばかりだ。
「人参果の木はお前に切られて痛かったろうになあ。一万年も生きてきたのに、あっという間に切られてしまうなんて」
実に悲しい、と鎮元大仙は眉間に手を当てて言う。
「お前の足は切らずに置いてやる。我輩がその気になれば、たとえ石で出来たお前の体も、人参果のようにスパッと行けるのだがな。お前がつかいものにならなくなると、釈迦如来に何を言われるかわからぬ」
鎮元大仙は優しい声音で、しかしそれとは裏腹な苛烈な罰を孫悟空に与えていく。
「悟空……!」
悟空は額に脂汗をかきながらひたすら耐えている。
「もうやめてよ!ねぇ、お願い!」
「辞めるかどうかを決めるのは、被害者である我輩ですよ」
玉龍の叫びに鎮元大仙は冷たく言う。
「玄奘どの、あなたが甘やかした結果がこれだ。甘やかすのは愛ではない。ときに厳しく、道を示すのが師の役目。このような暴れ猿にはこうした躾が肝要よ!」
そう言って鎮元大仙が鞭を振るった途端、小枝の鞭はポッキリと折れてしまった。
そして悟空はあまりの痛みのためか、気絶してしまっている。
「悟空!」
猪八戒も沙悟浄も、あんな細っこい小枝の鞭の威力が、あの孫悟空を気絶させるくらいだと言うことに衝撃を受け言葉を失っている。
「ああ、我輩としたことが、つい力が入ってしまった」
鎮元大仙は残念そうにそう言って、孫悟空の血で赤く染まった小枝の鞭を仙術で消した。
「西王母の仕置きに比べたら大したものではないのに、気絶するとは情けないことだ。さて明日は誰にしようかのう。ふふ、震えて待つがよい」
そう言って鎮元大仙は道場を出て行こうとした。
「ああ、言い忘れていた。玄奘殿を打つことはありませんからご安心を。あなたの甘さが弟子たちの気の緩みにつながったのです。せいぜい彼らが鞭打たれるのを見て、それを思い知りなさい」
バタン、と木戸がしまった後に、重たい閂がかけられる音がした。
鍵は抜けられると知られたので、その対策なのだろう。
「悟空、ああ……なんと言うこと……ごめんなさい、私が師として至らないばかりに……」
痛々しい姿の孫悟空を助け起こすこともできず、玄奘は悔しさに涙を流した。
「玉龍、如意宝珠は……」
「縛られているから如意宝珠は使えないよ」
沙悟浄の問いに玉龍は申し訳なさそうに首を振る。
「明日はオレが仕置きを受ける。この中じゃ、一番オレが頑丈だからな。これ以上悟空ちゃんを傷つけさせるわけには行かねえし」
「ならば俺も共に打たれよう。我々三人が人参果を食べたのだ。そうすれば鎮元大仙の気も少しは晴れよう」
「悟浄ちゃん……!」
沙悟浄と猪八戒が頷きあった時だった。
「その必要はないぜ」
元気そうな孫悟空の声に、誰もが驚いた。
「悟空?!」
いつのまにか孫悟空は縄から抜けて自由になり、うんと伸びをしていた。




