【百八十九 万寿山の五荘観】
ここは万寿山の中頃にある五荘観。
人間界の山中にある場所だが、まるで桃源郷のような、見たこともない花や木が咲く不思議な場所だ。
その五荘観の主である鎮元大仙は、外出の支度を終え、時間が来るまで縁側で茶を啜りながら庭に植えてある人参果の樹を満足そうに眺めていた。
人参果は、別名、草還丹とも呼ばれる仙人界の果実で、人間の赤ん坊にそっくりな形をしている。
人参果は三千年に一度花を咲かせ、三千年に一度実を結び、さらに三千年かけてゆっくり熟していくと言う、食べるまで約一万年の月日がかかるといわれている、栽培には大変手のかかる代物だ。
実った果実のその匂いを嗅げば三百六十年、食べれば四万七千年長生きできると言われる、長生きをすることが大好きな仙人たちには西王母の蟠桃と並ぶ人気の果実だ。
植物を育てるのが好きな鎮元大仙は、万寿山にて仙人界の植物を人間界の環境でも育てられるか調べていて、今日になってようやく初めて人参果が食べごろになった。
「これで元始天尊に一泡吹かせられるな……!クク、あいつどんな顔するかな〜」
仙人界の誰もが……三大仙人の元始天尊でさえ無理だと言っていた、人参果を人間の世界で育てることを鎮元大仙はやり遂げたのだ。
「ちょうど三人で集まる日だったから持っていって見せびらかしたろ」
クククと、若々しく美しい顔を悪どく歪めてほくそ笑み、鎮元大仙は人参果を三つ収穫した。
「一つはまあ、とりあえず元始天尊にも分けてやって、もう一つは太上老君に。残りはもちろん吾輩の……と、ん?」
ウキウキと収穫をしていたそこへ、白鷺が一羽舞い降りた。
その白鷺は鎮元大仙の元に来ると、ただの手紙の形に変化した。
差出人の名は准胝観音。
「やあ、懐かしい子からの知らせだこと」
その名を見て嬉しそうに呟いた鎮元大仙は、早速手紙を開くと、その内容に驚き目を見開いた。
「月亮、風舞」
「はいただいま」
鎮元大仙に呼ばれた彼の弟子である童子が二名、風と共にすぐに現れた。
「鎮元大仙にご挨拶申し上げます」
二人は拱手して挨拶をした。
「うむ」
月亮は紺色の袍衣、風舞は草色の袍衣を着ている。
二人はあどけない少年少女の姿をした童子だが、四十八人いる鎮元大仙の弟子たちをまとめているリーダー格の二人だ。
「もう少ししたらお客様がいらっしゃる。玄奘という名の人間のお坊様だよ」
「人間……ですか」
月亮と風舞は不安そうに顔を見合わせた。
万寿山には人参果の他にも仙人界の珍しい植物が生えている。
そのため人間が入り込めないように術が施してあるのだ。
人間たちは欲深く、入り込めば植物を根こそぎ奪っていくと二人は警戒していた。
そんな二人の様子に鎮元大仙は優しく笑った。
「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。准胝観音の知り合いのお坊様だからね」
「准胝観音様の……」
「それなら……」
准胝観音の名前を聞いた途端、二人は安心したように表情を和らげた。
准胝観音は今は釈迦如来のところにいるが、もとは仙人界に暮らしていた仙女でもあり、仙人界でその名を知らない者はいない。
「彼女の紹介もあるから、悪い人間ではないのは確かだろう。ただ……彼は猿と龍と豚と、玉皇大帝の元近衛というなかなか面白い弟子を連れているそうだ」
「はあ……」
月亮と風舞は首を傾げた。
「ふふ、よくわからないよねぇ。吾輩も会ってみたいのいただけれど、今日は約束があって崑崙に行かねばならない。吾輩が留守の間、玄奘殿をもてなしてやっておくれね」
「はい、承知しました」
「ああそうだ、せっかくだから、玄奘殿に人参果を二つ差し上げておくれ。いいね?」
「かしこまりました」
弟子たちに見送られ、鎮元大仙は颯爽と雲に乗り込み崑崙へと向かったのだった。




