【百七十五 河伯、玄奘の弟子となり沙悟浄と名を改める】
ハッとして玄奘が背後に隠した九つの頭蓋を見ると、それらからはまだ瘴気が漏れていた。
玄奘は頭蓋骨の首飾りを置き、合掌をして呪文を唱え始めた。
だが河伯が玄奘に縋り付き、それをやめさせようとしてくる。
「頼む、その首飾りを消さないでくれ。俺はそれを失ったら二度と立てなくなってしまう。なんのために今まで生き続けてきたのかわからなくなってしまう!」
「河伯!お師匠様の邪魔をするんじゃねえ!」
カッとなった孫悟空が河伯を玄奘から引きはがそうとする。
「悟空、私は大丈夫ですよ。沙和尚……」
玄奘はそんな孫悟空を制止して、河伯の手を優しく外し、目線を合わせるように身をかがめた。
それでも、大柄な河伯を見上げることになってしまうが。
「あなたにとってこれはもう、必要じゃないでしょう?」
「そんなことは……」
困惑する河伯を見上げて玄奘は微笑んだ。
「だって私はここに。あなたの目の前に今いるのですから。あなたを縛り付けていた過去のものを全て棄て、新しく生まれ変わる時なのです」
「……しかし……」
「もう過去の馮雪では無く、これからは今の私を、玄奘としての私をみてください」
そして玄奘は、合掌して念じると、輪廻を繰り返したかつての自身の髑髏に触れた。
すると九連の髑髏は光り輝き、弾けるように霧散した。
光の粒の向こうには驚く河伯の顔がある。
頭蓋骨が消えてしまったことに呆然としているようで、しかし長年の思いから解放されたことの安心感も混ざった、複雑な表情だ。
「沙和尚、今生でようやく会えて、私は嬉しいです」
にこやかに言う玄奘に、河伯は何を言えばいいかわからなかった。
「あの時は助けられなくて、すまない……」
やっとでてきたのはやはり謝罪の言葉だ。
ずっと河伯を苛んできた後悔。
玄奘は河伯の手を握り、首を振った。
「もう終わったことです。大切なのはこれからですよ。沙和尚、どうか私の旅についてきてくれませんか?」
「え……?」
「こうしてようやく巡り会えたのに、またあなたと離れるのはとても寂しいです。ですから、ね、沙和尚?お願いです」
「えっと……それは……」
河伯がとまどっていると、近づいてきた霊吉菩薩が大声で笑い、河伯の背を叩いた。
「はっはっは!元より河伯はそなたの共にするつもりであったものだ。なあ恵岸よ」
「はい。玄奘君、河伯殿を連れて行きなさい。彼は天帝の近衛だった男。きっと道中の戦力にもなるでしょう」
霊吉菩薩の傍に立つ恵岸行者も頷く。
「ということだ。玄奘、心おきなくそやつを連れて行くが良い!」
霊吉菩薩は腰に手を当て呵呵と笑って言った。
「さあ行きましょう、沙和尚。私たちと共に天竺へ!」
「……」
しかし河伯は立ち上がらなかった。
そのかわり、その場に膝をついて頭を下げた。
「玄奘どの。これより俺はあなたを師として敬い、護り抜くことを誓います。あなたの弟子として生まれ変わるために、新たに名をつけていただきたい」
「え……っ名付け、ですか?」
玄奘は戸惑った。
しかしここで断るという選択肢はなかった。
玄奘はじっと河伯を見つめた。
「……悟浄……」
しはらくして、ふと浮かんできた言葉が玄奘の口をついて出てきた。
「沙悟浄、という名はどうでしょうか」
その名を聞いて、河伯は目を輝かせた。
「沙悟浄……とても良い名です。ありがとうございます」
河伯改め沙悟浄は嬉しそうに微笑んだ。
「では、沙悟浄。私の弟子として、共に天竺へ行きましょう」
「はい!」
玄奘が伸ばした手を、沙悟浄は頷き、今度こそ力強く握り返したのだった。




