【百四十四 青空に願う安寧と決意】
ほんの少しの間、沈黙がつづいた。
その沈黙を破ったのは能天気な玄奘の声だった。
「私たちはいつもこれを食べていますよ」
「えぇっ?!」
玄奘の言葉に信じられないと目を剥きながら孫悟空と玉龍を見ると、彼らもまたうんうんと頷いている。
「お前たちは、お師匠さんに、一体何を食わせてるんだ!!!フキはあくぬきした?ていうか野草は大抵あくぬきしないと食えねえぞ!」
カッと頭に血が登った猪八戒は、思わず孫悟空を揺さぶって怒鳴る。
「アクヌキ?なんかの術か?」
だが孫悟空は猪八戒から易々と逃れ、首を傾げた。
「キノコはこんな寒い時期は滅多に手に入らない貴重なものだよね。こういう赤いのは初めて見たから、どんな味かボクも楽しみなんだ!」
「ちょ、ダメ!」
食べないならボクが食べると手を伸ばした玉龍の手の甲をピシャリと猪八戒が打った。
「ひどい!食べるなら早く食べてよ!」
「あ、明らかに毒でしょうがっ!!」
「えー?じゃあこの蕗ってやつなら大丈夫でしょ。ボクたち何回も食べてるもん」
「なっ、何回も?!」
「ええ、初めはお腹が痛くなったりしましたが今はもう平気ですよ、ホラ」
美味しい美味しいと言って手を茶色く染めながらフキを齧る玄奘はとてもワイルドだ。
「お師匠さん……アンタ……」
八戒は卒倒しそうになったが耐えた。
「オオバコもうめえから食えよ!な、おっさん遠慮すんなよ」
孫悟空はオオバコを掴み、猪八戒の口に運んだ。
「ちょ、やめて、遠慮しているわけじゃないの、生のまま口に入れないで……」
「ほらほら、うめえって」
「いや……やだ、やめてったら!泥がついてるじゃないの!」
「なんだよおっさん、豚の妖怪のくせに好き嫌いかよ」
うまいのに、と孫悟空はオオバコをかじる。
「すみませんね、お兄さんは豚の妖怪のくせに野草をこんな食べ方しませんからね」
(釈迦如来と観音菩薩がオレをお師匠さんのお供に推したのがわかった気がする……)
猪八戒は大きなため息をひとつついてから腕まくりをした。
「ちょっとアンタたち、待ってなさいよ!今お兄さんが美味しいもの作ってあげるからね!」
猪八戒は料理道具を出しながら怒鳴るのだった。
「ご主人さま、こちらはいかがいたします?」
祖父から正式に高商会の主人と指名された高翠蘭は、使用人に呼びかけられて目録から顔を上げた。
目の前にある高商会の蔵の中には、ずらりと並べられた、猪八戒から譲られた卯ニ姐の秘伝薬。
猪八戒から譲り受けたこの薬を目録と照らし合わせつつ、これらをどのくらいの金額で店に出すかについて高翠蘭は頭を悩ませていた。
どれも特効薬といわれるもので、滅多な金額では売ることができないほどの価値がある。
だがそれでは買う人がなかなか出ない。
「お祖父様と相談するわ……それまで管理は気をつけてね」
お手上げ状態でため息混じりにそう言って、高翠蘭は祖父の居室に向かうために蔵を後にした。
(金額を一度できめられないなんて、私の目利きもまだまだね……)
ふと足をとめ、中庭から空を眺めると、冬なのに抜けるような青空が見えた。
「この空の下、今あなたはどこでどうしているのでしょうか……」
高地にある烏斯蔵国。
手を伸ばせば届きそうなその空に伸ばした手をキュッと握って拳にする。
すると、太陽の光を受けて翡翠の指輪がきらめいた。
「どうかお気をつけて……」
願いを空に託し、高翠蘭は中庭を後にして祖父の居室へと再び歩き出した。




