【百三十五 准胝観音、玄奘の身体を借りて顕現する】
やがて玄奘の姿は変化し、煌びやかな装飾を観に纏った女尊となっていた。
腕の数は十八本。目の数は三つという異形の姿をもつ准胝観音だ。
「ふむ。これが今の金ちゃんの……金蟬子の体か。なるほどなるほど」
玄奘の体に入った准胝観音はそう呟き、両手を握ったり開いたりした。
動くたびに、宝冠の飾りがゆれ、シャラシャラと音を立てる。
「ほう……ありがたいことだ」
ふと目にはいった祭壇をみてニヤリと笑った准胝観音は立ち上がり、備えられていた果実を持ち、あたりを見回す。
准胝観音が仙人の卯ニ姐として暮らしていた雲桟堂。
その懐かしさに胸に迫るものを感じた准胝観音は、胸に手を当て目を閉じた。
その時、准胝観音の背後でガラガラとものが散乱する音がした。
「なんだ全く、騒がしいな。感傷に浸れもしない」
呆れてため息をついた准胝観音が振り向くと、そこには薪の束を足元に散らした孫悟空がいた。
孫悟空は唇をわななかせ、赤い顔をさらに赤くして怒鳴った。
「やい、てめえ何者だ?!その手の数、観音菩薩じゃねえだろ!お師匠様の体を使って何してやがる!」
「……ああ、お前があの、観音菩薩が言っていた孫悟空、か」
孫悟空の問いには答えず准胝観音は不敵に笑い、手にした果実を放りながらそのまま孫悟空の脇を通り過ぎて外に出ようとした。
「おい、逃げんな答えろ!」
孫悟空は、玄関ですれ違い様に腕を掴んできた。
「やかましい猿だな」
にこやかな表情を崩さないまま、准胝観音は低い声で呟いて孫悟空の手を払いのけた。
そして扉に九つの手をつき孫悟空を壁際に押し付けると、持っていた果実を孫悟空の口にねじ込んだ。
「む、むぐぐ……!」
「騒ぐな。妾は准胝。なに、お前の師の体を少し借りているだけだよ。妾にはやらねばならぬことがあるからな」
孫悟空はなんとか果実を噛み砕いて飲み込んだ。
孫悟空は、観音菩薩に似た雰囲気をもつ准胝観音に及び腰になりながらも、なんとか気持ちを奮い立たせてたずねた。
「な、何をやるってんだよ……」
上目遣いに訊ねてくる孫悟空に、准胝観音はフッと笑った。
「気になるならついてくるといい。お前の大事なお師匠様の体が心配なのだろう?フフフ……」
そう言って手を離し、准胝観音は外に出ていった。
「お、おい、待てよ!」
孫悟空は慌ててその後を追いかけ自分も外へと出たのだった。
夜も更けてきて冴え冴えとする空気の中、准胝観音はざり、ざりと背を伸ばしてきた霜柱を踏みつけながら木々の間を進んでいく。
「ここだな」
准胝観音が立ち止まった場所は、つい先ほどマルティヤ・クヴァーラを倒した場所だ。
ルハードが、マルティヤ・クヴァーラの血で汚れた土地を浄化するために焼いた地面は黒く焦げていて、あたりに立ち込める湿った空気には植物を焼いた匂いが混じっている。
「ここ?ここに何があるってんだよ」
准胝観音は孫悟空をチラリと見ただけで、何も言わず、左手に持っていた宝瓶を傾け、その焦げた地面に甘露水を振りかけた。
「……」
准胝観音がぶつぶつと何かを唱えながら振り掛けると、焦げた大地からは黒いモヤが浮き上がってきた。
「な、なんだ?!」
うねうねと動くそのモヤの気味悪さに、孫悟空は思わず叫ぶ。
「ぼさっとするな。さっさとその如意金箍棒でそれを叩け」
「た、叩くっていったって……」
准胝観音に言われたが、宙に漂う、空にある雲のようなものを叩けるわけがないだろうと、孫悟空は首を傾げた。




