【百十八 赤い酒と如意宝珠】
「お師匠さん、そこまででいいです。あとはここに玉龍ちゃんたちがマルティヤ・クヴァーラを追い込むだけです」
「わかりました」
「オレが合図をしたら火界咒を唱えてください。おそらくそれでうまくいきます」
玄奘は頷いて印を解いた。
羂索陣の準備は成功したらしい。
五色の糸の結界は維持されたままだ。
孫悟空の分身たちは、マルティヤ・クヴァーラとの戦闘のために伐採した木を積み上げている。
「八戒サン、戻りました」
そこへ、ルハードと高翠蘭がやってきた。
「おう、来たか。……さて、あとは玉龍ちゃん達を待つだけだな」
猪八戒は天の星々を見上げてそう呟き、高翠蘭に言う。
「安心してくださいねお嬢さん。オレたちが必ず、あのバケモノからあなたを救ってみせますから」
「八戒さん、皆さん……よろしくお願いします!」
高翠蘭の切実な願いに、その場にいた誰もが頷いた。
決戦の時はもう間も無くである。
さて、高翠蘭に変化した玉龍と玄奘に変化した孫悟空は、高太公と共に高紅樹催した宴席についていた。
卓の上には見たこともないたくさんのご馳走と飲み物が並んでいて、僧侶の玄奘に配慮した精進料理もある。
見た目は鮮やかな料理の数々なのだが、天眼通をもつ孫悟空と玉龍の目には禍々しいものにしか見えなかった。
それは“高家の目”を持つ高太公も同じであったようで、三人のうち誰一人料理に手をつけようとはしなかった。
「うわあ、ひどいね。全部何か混ぜられてる……」
玉龍は眉間に皺を寄せ、袖で口を押さえてヒソヒソと呟き、孫悟空も頷いた。
「まさかこのようなものをお客人に食べさせようとするとは……」
高太公は呆れて涙目になっている。
「どうしました父上、たべないのですか?アルシャークの珍しい香辛料を譲ってもらって作った料理ですよ」
“見えない”高紅樹は、気にすることなく卓上の料理を食べている。
「スイランさんのおクチにあわないですかネェ……?」
「い、いえ、あまりに珍しいものばかりで、どれから食べたらいいか迷ってしまって……」
シャフリアルの問いかけに、乾いた笑いを浮かべながら玉龍が答える。
(どうする、ひとくちも食べないわけにはいかないぞ)
(大丈夫、ボクに任せて)
小声で聞いてくる孫悟空に玉龍が返す。
「スイランさん、喉は渇いていまセンカ?アルシャーク名物の葡萄酒、いかがですか?」
「あら、いただきますわ」
玉龍はシャフリアルに勧められた、赤い酒が注がれた杯をにこやかに受け取った。
おそらく、猪八戒が酔い潰れた原因になったお酒と同じものだろう。
酒の匂いは出会った時、猪八戒から感じた匂いと同じだからだ。
赤い酒からは黒いモヤのようなものがもうもうと立ちのぼっている。
黒いモヤがまとわりついた赤色の酒は、どの料理よりも禍々しい。
「お、おい玉龍!」
そのことに気づいた孫悟空は慌てて玉龍の袖を引いて止める。
「大丈夫だって。ボク、龍だよ?八戒オジサンみたいにはならないって」
「いや飲まない方が良いです。その酒にも何か混ぜられています。より一層濃く禍々しいものが、あなたにも見えるのでしょう?」
玉龍の隣に座る高太公が深刻な顔をして言う。
「大丈夫だよ、オジイちゃん」
玉龍は片目をつむり、袖口に隠した如意宝珠をこっそりと杯につけた。
「な、なんと」
「やっぱり見えた?そう。これで毒とか酒とか全部抜くから大丈夫なんだよ」
そう言って、玉龍はただのぶどうジュースになった杯をあおった。
だが孫悟空と高太公は、いくら玉龍の如意宝珠で清められようが、卓上の料理を食べる気にはなれなかった。
「ちょっと渋いけど、うん、美味しい」
図太いのか、玉龍はそう言っておかわりをして赤い酒を二杯三杯とあけていく。




