【百十七 師の仇】
久しぶりの再会で、何を話したらいいのかわからず、二人は言葉少なく雲桟堂までの道を飛んでいく。
『美しい……』
ため息混じりの言葉が聞こえてきて、高翠蘭は驚いた。
「えっ?」
『出会った頃は愛らしいキンセンカのようだったが、今はバラのような気高さが……』
突然のルハードからの言葉に、高翠蘭は空耳かと振り返るが、再びルハードはアルシャークの言葉で高翠蘭にそう言う。
『あら、ありがとう』
言葉がわかる高翠蘭は、どうやら自分に向けられた言葉だと理解し、当たり障りのない返答をルハードの国の言葉で返した。
一瞬驚いた顔をしたルハードは、すぐに弾けるような笑顔をした。
『こちらの言葉をまだ覚えていたのかい?』
数年前に別れたきりの、しかもトラウマになる出来事の国の言葉だ。
『忘れることなんてできなかったわ。忘れたら、またこうしてあなたと話せないもの』
高翠蘭の言葉に嬉しくなり、少し気恥ずかしくなり照れて俯いたルハードは、ふと気になったことを訊ねてみた。
『……これからどうするんだい?』
『これから?』
『バケモノを倒した後のことさ。八戒さんは玄奘さんの弟子になり共に行くと言っていたよ』
『そう……そうしたらこの契約も、もう終わるのね』
高翠蘭は翡翠の指輪を眺めた。
その表情は少し寂しそうだったが、それを隠すように高翠蘭は首を横に振った。
『この後のことはまだわからないわ。そんなことよりも今はまず、バケモノを倒さないと、でしょ?』
それから考えても遅くはないと高翠蘭は言う。
『それにしても、シャフリアル師匠が私なんかに求婚するわけないのにね』
『そのことを知っているのは、今は八戒さんと僕達だけだから仕方ないさ』
天を仰いで言う高翠蘭に、ルハードは苦笑した。
『そうよね。師匠の好みはもっとふくよかな熟女だから、私みたいなのは正反対なのにね」
高翠蘭もシャフリアルのことはよく知っていた。
シャフリアルはルハードの魔物ハンターの師匠だが、高翠蘭にとっては商売事の師匠でもあったのだ。
かつてのシャフリアルは、各地を転々として魔物を狩りつつ珍しい品物を見出し売買する、目利きの力も際立つ男だった。
そんな彼から、まだ“高家の目”を継ぐ前の高翠蘭は目利き術を叩き込まれていたのだ。
『……シャフリアル師匠の皮を奪ったバケモノ、昔よりもすごく禍々しかったわ』
ふと真面目な顔をして高翠蘭は言った。
思い出したのか、高翠蘭はぞくりと粟立つ肌をさすっている。
ルハードもアルシャークからあのバケモノを追ってきたが、やはり高翠蘭のように目に見えないものを見て感じる者にとっては、シャフリアルはおぞましい姿に見えるのだろうなと胸が痛くなった。
ルハードやアルシャークの魔物ハンターが、あのバケモノを仕留めていれば、彼女をここまで傷つけてしまうことにはならなかったのに、と。
『僕があのバケモノを見つけるまで、あの姿でたくさんの女性を喰らってきたのかも……』
尊敬する師の姿を使って魔物が好き勝手していたのを止められなかったことが、二人は何より悔しかった。
『シャフリアル師匠の仇、絶対にとりましょうね』
『……ああ、そうだね!』
二人がそんな話をしていると、ようやく眼下に雲桟堂が見えてきた。
『降りるからしっかりつかまって』
ルハードがそういうと、魔法の絨毯はゆっくりと下降していった。
「いいですか、お師匠さん、この書物によるとですね、この五色の紐を……」
玄奘は外にでて、卯ニ姐の残した書物を広げ、猪八戒と共に羂索陣の準備に取り掛かっていた。
猪八戒は青、白、赤、緑、黄の糸を束ねたものを手にしている。
「なるほど、ここで……」
玄奘はシャン、と九重の錫杖を鳴らし、袖口を合わせ、服の中で不動明王の印を組んだ。
「五色の糸不動明王の羂索となりて邪を捕らう……青は天、白は風、赤は火。緑は水、黄色は地……」
玄奘が唱えると、猪八戒の持つ紐が四方八方へと飛んでいき、光の線を繋いでいく。
「五色は邪を捕らえ魔を祓う、火焔となる」
その言葉に一際輝いたのが赤い紐だ。
その時、猪八戒が手を上げて止める仕草をした。




