【十一、阿千村の危機】
「今頃馮雪は祝言の只中だろうか」
馮雪の暗い表情を思い出し、心配になった捲簾大将は呟いた。
今日は釣りをしても何をしていても上の空になってしまう。
集中できないせいか釣果は散々だ。
「こんなことなら出席したらよかったかなあ」
うーん、と捲簾大将は頬杖をついて唸る。
実は馮雪から結婚式にでてくれと招待されたのだが、村人が一堂に会するめでたい席に誰も知らないものがいたら村人は驚くだろう。
捲簾大将はせっかくの祝い事に水を差してはいけないと断ったのだ。
「今日は止めにするか」
だめだダメだと呟いて捲簾大将が釣竿を片付けた時だった。
「けん、け、捲簾大将さま、お助けください!」
息を切らして駆けてきたのは小柄な女性だった。
彼女は彗禊娘々(にゃんにゃん)。
阿千村の祭壇のそばに咲く花が仙女化した存在である。
捲簾大将は、以前阿千村に行ったときに彼女を知り、何かあれば来るように言っていたのだ。
結い上げたツヤやかな髪を飾る青や白の花は散り、着物も獣道を懸命に走ってきたせいか、ひどく乱れている。
「どうした、大丈夫か、彗禊娘々!」
捲簾大将はもつれるようにして倒れ込む彗禊娘々を支えた。
「あ、阿千村が、阿千村が……っ!」
「阿千村に何があったのだ、彗禊娘々!」
彗禊娘々は村の方を指差した。
見ると、阿千村のあたりから黒煙が濛々と上がっている。
「なにが……何があった!」
捲簾大将が問うが、パニックになっている彗禊娘々は荒い息を整えるのも難しいようで、言葉が出てこない。
「鰲雷、鰲雷はいるか!」
「は、ここに!」
埒が開かないと、捲簾大将は部下を呼びつけた。
すぐに鰲雷というナマズ顔の龍神が現れ、その場に控える。
「あ、阿千村に賊が……!」
その間に息を整えたらしい彗禊娘々が言った言葉に二人の表情は青ざめた。
「こんな山の中で、賊だと?!」
「ありえません、ここ一帯は我々鰲一族の地。山賊など……」
鰲雷は首を振って意味がわからないという顔をした。
「違います……村に来たのは山賊ではなく、鮮卑……」
鮮卑とは大陸北方を中心に侵略を繰り返す遊牧騎馬民族で、驚異的な強さと団結力を持っている。
「鮮卑?!鮮卑がなぜここに?!」
鰲雷の問いに彗禊娘々はわからないと半泣きで首を振った。
頬を汚す煤が涙で黒い筋を作っている。
「いや……彗禊娘々すまない、あなたを責めたわけではないのだ」
捲簾大将は慌てて手ぬぐいを出してその涙を拭いてやる。
力任せに拭いたせいで化粧がさらに伸び、大惨事になってしまった。
別の意味で彗禊娘々はさらに悲しくなり、しくしくと涙を流した。
彼女にとっては踏んだり蹴ったりだ。
「と、とにかく鰲雷、すぐに皆を集め阿千村へ急ぐぞ!それからすまないが、奥方に彗禊娘々をたのみたい」
「は、承知しました!」
鰲雷が頷くと、彼の妻が現れ彗禊娘々を支え水の中へ飛び込んだ。
龍神である彼らの住処は水の底だ。
「よし、行くぞ!」
捲簾大将は部下を引き連れ阿千村へと急いだ。




