【百 烏斯蔵国の高家】
玄奘は高翠蘭に頭を下げ謝った。
「すみません、弟子が失礼を……」
「いえ、お師匠様思いのお弟子さんだと思います」
高翠蘭は首を振りにこやかに言う。
玄奘はため息をついて椅子に座り、茉莉花茶を飲んだ。
やけにピリピリしている孫悟空と自由気ままに振る舞う玉龍に、こんなことならやはり廟や寺の一角を借りればよかったと玄奘は密かにため息をついた。
「ねーね、スイランさん。さっき言ってた、あの豚のオジさんが恩人ってどう言うこと?」
「これ玉龍!そんな……」
「えー、だっておシショーさんも気になるでしょ?」
「うぇっ?えっ、それは……その……」
嘘をつけない玄奘は玉龍の言葉に目を泳がせ狼狽える。
「良いのです、玄奘様。そうですね……何からお話ししましょうか……」
急須をおいて、ぽつりぽつりと高翠蘭は話し始めた。
「今でこそ、この高家は大きくなっていますが、数年前までは落ちぶれてみるも無惨なものだったのですよ。それに、高家だけではなく、烏斯蔵国のあちこちの街は荒れておりました」
「えっ、そんなふうには見えなかったよ?」
ねぇ、と玉龍に振られ、玄奘もこくこくと頷く。
綺麗に整地された道路や、唐のものとは作りが違う煌びやかな建物。
色鮮やかに染められた旗が靡く空。
そして、見知らぬ旅人にも朗らかな人柄の人たち。
どれも美しく、荒れていた面影など微塵も感じなかった。
「この国は他国との交易拠点にもなっている場所です。遠く西域の向こうからの商隊が訪れることも少なくありません。ですがその方達が善良な方ばかりとも言えないのです」
高翠蘭の言葉に不穏な影を感じた玄奘と玉龍は顔を見合わせた。
「あるとき私の父が、その商隊のとある一団に騙され、家の権利を奪われてしまったことがありました」
高家は烏斯蔵国でも指折りの名家で、様々な商品を取り扱っている大店だ。
「家の権利を返して欲しければ私を嫁に差しだせ、と……」
「えっ、そんなことって……!」
「で、でも、高様がここにいらっしゃると言うことは、きっと大丈夫だったのですよね」
言葉を失うほどショックを受ける玉龍と、慌てる玄奘の問いかけに高翠蘭は頷く。
「幸いなことに、当時の烏斯蔵国には卯ニ(アール)姐という仙女がおりました。そこで先先代──私の祖父、高太公は彼女に助けを求めました」
卯ニ姐が住んでいた雲桟堂がこの街の近くにあるのだと言う。
「その仙女が遣わしてくれたのが彼女の夫であり従者でもあった猪八戒なのです」
高翠蘭の言葉に玄奘と玉龍は顔を見合わせた。
「え?でも八戒オジさんはスイランさんの旦那さんなんだよね」
玉龍の疑問に高翠蘭は言いづらそうに少し目を伏せた。
「あの、言いづらいなら……」
そう気遣う玄奘に、高翠蘭は首を振り言葉を続けた。
「……卯仙女は今はもうこの世の人ではありません。祖父が助けを求めた当時、卯仙女は商隊長が力づくできた時のためにと護衛として八戒さんを送ってくれました。人に変化して夫を装い商隊長が諦め手を引けば良し、そうでなければ力づくて退けよ、と」
卯ニ姐という仙女はなかなかどうして豪快な性格のようだ。
西域の商隊を率いる長といえば唐の男よりも体格も力も上のはず。
ガタイのいい八戒でなければ、烏斯蔵国の男など相手にならないと判断しての指示だろう。




