【一、蟠桃会にて】
ここは人間たちから天界とも呼ばれる崑崙山にある、崑崙の王である玉皇大帝の妻にして全ての女神の長、西王母が管理する蟠桃園。
辺りには熟れた甘く濃い蟠桃の香りがたちこめ、優美な楽器の演奏がどこからか流れてくる。
春の日差しが暖かな三月三日の今日、ここでは西王母が主催する蟠桃会が開かれる。
蟠桃は三千年に一度実をつけるという大変貴重な桃で、この蟠桃会では崑崙の神仙を集め、長寿と繁栄を願い蟠桃が振る舞われる。
そのため捲簾大将をはじめとして、多くの天将や武神たちが会場の警備などに駆り出されている。
その昔の蟠桃会では、桃の見張り役を任されていたはずの猿の妖怪が盗み食いをしたり、またその次に開かれたときは酒に酔った天界軍の関係者が、こともあろうに月仙女の嫦娥に無理矢理言い寄って、仕置きの末地に堕とされるという問題をおこした。
大切な蟠桃会に二度もミソがつき、今回こそはと三度目の正直で厳重な警備を敷いた蟠桃会を恙なく終えたいというのが西王母の願いでもある。
そんなピリピリとした空気が見え隠れする蟠桃会の中、捲簾大将は養子の青鸞童子を伴い宝物殿に向かっていた。
青鸞童子は青鸞という青い巨大霊鳥の子どもで、その昔、親鳥を喪い命尽きようとしている時に捲簾大将に拾われ彼の養子となった。
その後道術の修行をして変化の術を習得し、つい先日捲簾大将の身の回りの世話をする役目を任される童子となった。
青い羽毛に覆われた鳥の体は愛らしい人間の少年に変化し、その色は髪色に反映されている。
その青い髪を頭頂で結び、青の羽根飾りをつけ童子服に身を包んだ青鸞童子は、どこか誇らしげな様子で捲簾大将に付き従っている。
まだ完璧に化けられず、たまに尾羽が出てしまったり顔だけ鳥になったりするのだが、今日この日は完璧に化けられたので、蟠桃会の警備をする捲簾大将に追従することを許された。
青鸞童子はいずれ義父と同じく天帝の将として働く身。
義父の仕事を手伝うのも青鸞童子の大切な修行なのだ。
捲簾大将と青鸞童子は、招待された女仙の一人である麻姑より奉納された霊芝酒を、玻璃の杯で飲みたいという西王母からそれを持ってくるよう命じられたのだ。
「こちらです。捲簾大将、これは西王母様のとっても大切な、大切な至宝ですので、割らないよう、よそ見や回り道などなさらず、くれぐれもどうかお気をつけてお持ちください」
普段少しぼんやりしていると一部では有名な捲簾大将は、宝物殿の管理官から口酸っぱく言われながら玻璃の杯を受け取った。
「義父さま、行きましょう」
「青鸞、ここは家ではないのだから捲簾大将と呼びなさい」
青鸞童子に武器を預けた捲簾大将は苦笑して言った。
青鸞童子と連れ立って蟠桃会の会場へと戻る途中。
中庭の通路を通っていた時、ふと春の風がそよいで二人の元へ桃の香りを運んできた。
「良い香りですね。この香りだけで蟠桃を食したような心持ちになります」
崑崙の神仙の中でも、西王母に選ばれたごく一部のものしか与えられない蟠桃。
一体どんな味がするのだろうかと青鸞童子はうっとりとして言う。
「何を言っているんだ青鸞。この匂いと同じ桃の味だろう?」
考える必要があるのか、と捲簾大将は不思議そうに首を傾げる。
「それはそうかもしれませんけど……」
帰ってきた言葉に不満があるのか、青鸞童子は愛らしい紅色の頬を膨らませた。
頬が落ちるほど甘いとか、目玉が飛び出るほど芳醇だとか、もう少し夢のあることを言ってくれたらいいのに、だから義父には嫁がいつまでも来ないのだと青鸞童子はため息をついて頬のふくらみを無くした。
(見た目は本当に良いのですけれど……)
袍衣の上からでもわかる、逞しく筋肉質な体。
深い藍色の肌とは対照的な、結い上げられた明るい紅蓮の髪はふわふわで、まるで夕暮れに染まる綿雲のよう。
整った面差しに、形のいい凛々しい眉と金色の大きな瞳は、すれ違う神女仙女だけでなく、同性の天将たちからもため息と熱い視線が向けられるほどだ。
そして蟠桃会のために袍衣の上から重ねた煌びやかな鎧と相まって、今日の義父はいつも以上に見目麗しい美丈夫である。
捲簾大将は、青鸞童子にとっての自慢の義父であり、変化の術を習得したいま、こうして近くを歩けるのはとても幸福なことだった。
(あぁ、もったいないなあ)
青鸞童子は唇を尖らせ何度目かのため息をついた。
今まで捲簾大将は青鸞の世話ばかりで、自分のことは二の次だった。
だから青鸞が変化の術を習得して童子となった今、義父にはそろそろ伴侶を見つけて欲しいと思っているのだけど。
養子の心義父知らずとばかり、青鸞は苦笑した。
一方、捲簾大将は空を見上げて別のことを考えていた。
(あのひとはいま、どこで何をしているだろうか)
青鸞童子の心配をよそに、捲簾大将には思いを寄せる存在があった。