鮮血の悪魔
弱肉強食、この世界の真理を一言で表すならこれほど的確な言葉はない。強いものが全てを得て、弱いものは全てを失う。大小様々な国々が乱立して、戦争が頻発しているこの世界ではなおさらだった。剣術でも、魔術でも、財力でも、なにかしらの力を持たないものはいずれどこかで消えていく。
ある町の路地に、体を切られ血まみれになりながら苦しそうに息をして座り込んでいる男がいる。今からその男が殺されるのも、男が力のない弱いものだからだろう。
コツリ、コツリと石畳に足音を響かせながら、黒いマントを着た男が近づいてくる。その物の腕には、血がつきながらも月明かりに輝く高価な剣が握られている。フードを深くかぶっているからか、顔はしっかりとは見えない。
血まみれの男は、黒マントの男が近づいてくるのを苦しそうに一瞥して自分の最後を悟った。
「くそっ、はぁ、はぁ、..しくじった...」
血まみれの男は、最後の力を振り絞って側に落ちてる自分の剣を拾い黒マントの男が自分の間合に入るのを待つ。暗い路地裏で男の荒い息と近づいてくる足音だけが響く。
刹那、血まみれの男は剣を黒マントの男に対して振り抜いた。意表を突く攻撃に対し、黒マントの男はなんら動じる事もなく上半身を反らして攻撃を避けると、ヒュッっと剣を相手の首元めがけて振る。
次の瞬間には鮮血が飛び散り、切られた男は力無く横に倒れ絶命した。
黒いマントの男は死体を冷たく見て、そっと呟いた。
「依頼完了」
ついた血を払って剣を腰に収めると男は暗い路地へと消えて行った。
数日後の夜、別の路地で2人の男がひっそりと話している。
一人は髪に白髪を蓄えた初老の人物で黒の燕尾服をピシャリと着こなしている、いかにも執事という出で立ちである。もう一人は黒いマントに身を包み、左頬の切り傷と整った綺麗な顔立ちが目を引く10代後半~20代前半くらいの青年だった。
「我が主は今回の貴方の仕事に大変満足しております。これが報酬の金貨です」
「金貨10枚、確かに受け取った」
「いや、しかし、襲撃者はこの町一番の強さで知られた者であったのに何ら傷を負わずに撃退するとは、噂通りの活躍ですなグレス殿」
「どうも」
「次もまた、グレス殿を護衛にするようにと主が仰せなのですが...」
「すまん、エレギオンでデカい仕事があるんだ。その後にしてくれ」
そう言うとグレスは挨拶も無くその場を後にした。
この世界において金貨一枚は男一人が一年を十分に暮らせるだけの価値を持つ、そのため世の中の人間は銀貨や銅貨を使って生活している。襲撃者は手練れであったにしても一回限りの護衛依頼にこれだけ払うとは依頼主であるあの商人はかなり羽振りがいい。裏で禁止されている奴隷貿易をやっているという噂は案外本当なのかもしれない。そうなれば、あの襲撃者は悪を倒す正義で俺は悪の手下という構図になる。
グレスはフッと自虐の笑みをこぼす。
いや、この世界の正義は「力」なのだ、そして「金」はあらゆる力を産み出す力の象徴だ、だから報酬が十分ならどんな汚れ仕事もする。
次の仕事は、金貨100枚の大仕事だ。
ここから北東に5日歩いたところにあるエレギオ王国の首都エレギオンで女の依頼人と会うことになっている。内容はまだ知らされていないが、報酬からしてかなりの困難が待ち受けてるに違いない。
支度を終えて街を出る頃には東の空が明るくなっていた。綺麗な朝焼けと鳥の囀り、人のいない静けさ、街が動き出す前の朝早い時間が子供の頃好きだった事をグレスは思い出した。きっと俺は何処にでもいる普通の子供だった。けど、全てを奪ったあの戦争で変わった。
俺は生きたまま焼かれた家族と蹂躙された故郷を目にしたその時から、強くなるための、もう二度と奪われないための「力」を欲した。そして、傭兵となり、血が滲むような修行と渡り歩いた幾多の戦場が俺を強くした。何百何千という命を狩った、全身に血を浴びて、その血が乾く前にまた血まみれになった。気が付けば俺は別の名で呼ばれる様になっていた。
"鮮血の悪魔" と