今を生きる
人生にゴールはない
生きてる限り、走り続けている
一年が終わろうと、大学に受かろうと、子育てが一段落しようと、定年退職しようと、人生は続いていく
視野を広げれば、今世が終わろうと、地球上の転生が終わりを迎えようと、宇宙の他の星に生まれ変わっても、ゴールなんてない
新年を迎えて、気持ちを新たに一年のスタートを切ろうと今年の抱負を考えたりする
抱負?
なぜ負を抱く?
語源を見ると、心に負うということらしい
責任や負担のように考えるところが、日本語っぽい
クソ真面目で、面白くない
抱負なんて掲げるのはやめよう
それよりも、一日一日を丁寧に過ごしたい
お正月も人生で何十回も過ごすと、お正月らしい過ごし方は、ひととおり経験している
初日の出を見たり、神社に参拝したり、福袋争奪戦に参加したり、旅行したり
ありとあらゆるお正月を過ごして思うことは、別にお正月らしく過ごさなくてもいい
12月31日が1月1日になるだけ、昨日が今日になるだけ
そこまで晴れの日を無視する気はないが、そんなに世間に合わせた過ごし方をしなくてもいいかなと思う
世間一般の過ごし方が正しくて幸せ
そんな風に思わされていた
だけど、別に自分なりの幸せなお正月を過ごせばいい
朝からおせち料理はいらないし、お餅は太る
神社は人が多くて並ぶから、人が少なくなってから松の内くらいまでに行けばいい
寒いなか、いつもと変わらない朝陽を拝まなくてもいいし、福袋はそんなに欲しいものは入ってない
盆休みと正月休みくらいは、普段顔を合わさない身内に会うのはいい機会だけど、そんなに会いたいわけでもない
なんだか今年の私は、暦が気にならない
一年が終わって、新年になっても、特にめでたくない
普段と変わらず、洗濯物も干すし、顔を洗って歯磨きをしてお茶を飲む
ゆとりを持って、心地よく落ち着いた気分で、これからは過ごしたい
続いていく日常を、変わらない毎日を
いつでも特別に楽しみたい
洗濯を面倒な仕事ととらえず、きれいになった衣類を整えてご機嫌に干す
顔を洗うのも、寒いからイヤだなんて思わず、肌をいたわり、気持ちよく流す
歯を磨くのも、力を入れすぎず一本ずつ磨いてツルツルにする
お茶だって、自分の好きな種類のお茶を選んで、ゆっくりと味わう
人は人生の節目で目標を立てる
そして、その物事にある程度のけりがつくと、また新しい目標に向かう
その繰り返しで、泣いたり笑ったり
自分で勝手にゴールを決めて、一喜一憂する
日常をないがしろにして、必死になる
はたしてそれは、幸せなのか
人生においての使命感みたいなものはあるかもしれない
だけど、それを追い求めるあまり余裕もなく苦しんで、人生は努力して苦労して生きるもの、なんて楽しくない
しかもその目標の物差しが、自分ではなく世間の一般論や固定観念だとしたら
いったい何のために頑張っているのか
人生は誰のものなのか
何のために生きているのかわからなくなる
あわただしく過ぎる今日を、楽しみたい
いつものお正月は、朝から急いで準備して実家へ向かい、お寿司やお節料理を食べて、当たり障りなく家族と会話して、用意したお年賀やお年玉を渡して、お土産を交換して帰ると、もう夜だ
結婚してから、そういうものだと、そう過ごすことが普通で幸せで、決まっていた
本音をいうと、疲れるし、母で嫁で妻の立場上、楽しむなんてできなかった
だから私は今年は、ひとつひとつやりたいことだけをやった
晴れの日にこだわらず、好きな服を選び、時間に慌てることなく、食べたいものだけをしっかり選んで食べた
昆布巻きが苦手なのに、よろこぶとか意味不明
世間の常識や行事や暦に縛られずに、楽しみたいところは取り入れて、意味をなさない風習の名残みたいなものはやらない
皆の幸せが私の幸せではない
日常を楽しめないと、人生を楽しめない
毎日を楽しめないのに、たまの晴れの日だけ無理矢理楽しむことなんてできない
今この時を、大切に
その積み重ねが人生
今が楽しくないのに
将来幸せになんて
目標ばかりで、過程が楽しめないのに
楽しい今が楽しい時間
幸せな一日が幸せな一年に
充実した年の繰り返しが充実した人生に
そうやって生きることが、自分だけの幸せにつながる
自分の人生を自分なりに楽しむこと
自分らしく生きること
価値観は人それぞれ
幸せは人の数だけある
私の幸せは私だけの幸せ
だから自由に生きればいい
やりたいことして、笑って楽しく生きる
一緒にいたい人といる
素晴らしい人生を送る
今日も全てに感謝して
Have a great New Year