4.こどもたちのひみつ(最終回)
◇ ◆ ◇
幸いなことに、チコは軽傷で済んだ。
救護ロボットと搬送用ドローンの到着、そして迅速な治療によって、チコの体は1カ月で元通りになったのだ。
でもチコの怪我は、ロズにとっては非常に大きなショックだった。
突然の事故で「親しい人を失うのではないか」という恐れ。
それを体験したのは、彼にとって初めてのことだった。
チコに戻った笑顔を見たとき、ロズは秘密を捨て、人間として生きる決心をした。
(……僕たちは、どうしたって〝神様〟にはなれないのだから)
自分たちが生み出された役割と、地球人類の本当の姿を打ち明けるなら、チコ以外にはいない。
ずっと心配してくれていたのに、今まで何ひとつ本当のことを言えなかった。
だって口に出した途端、「せかいのひみつ」の記憶は奪われてしまうから。
でもそのせいで、ひどい怪我をさせてしまった。
打ち明けたら、打ち明けたという記憶自体も消えてしまうかもしれない。
それでも、本当のことを言うなら今しかない。
たとえ一瞬で奪われるとしても、この世界の秘密をチコと共有したい。
ほかの誰でもない、ただひとり、チコと。
なぜかは分からない。
それは、自分の悩みのもととなった6歳のあの日から、ずっとそうだったのかもしれない。
自分の悩み――それは、あの日のチコがママにした質問に端を発しているのだから。
〈ねえママ。わたしたちの本当のお父さんとお母さんにアクセスしていい?〉
〈地球人と、お話ししたーい!〉
チコにだけは教えてあげたい。
彼女が会いたがっていた地球人類の、本当の姿を。
そしてきれいさっぱり、忘れてしまうのだ。
こんなくだらない知識、あったって幸せな人生の邪魔になるだけだから。
ロズは夕暮れの砂浜にチコを呼び出した。
穏やかな波と、海に映るオレンジ色の恒星。
太陽にそっくりで、白い月も出ていた。
「チコ。聞いてほしい」
「ど、どうしたのロズ。改まって」
チコの頬は夕日よりも真っ赤に染まっている。
(ロズったら、いよいよ……ううん、やっと告白してくれるのかしら……)
チコはロズにひとりで呼び出される、こんな日を待ち望んでいた。
ドキドキする心臓の音が、ロズに聞こえてしまうんじゃないかというくらい緊張していた。
そんなチコの目を見つめながら、ロズは決心したように切り出した。
「今から言うことは、きみならばきっと、絶対に興味があることだと思うんだ」
「……え?」
「だから、きみに今から教えるこの秘密を、僕と共有してほしい。――地球人類の、本当の姿について!」
「……ナニその話? こんなキレイな景色で言うセリフじゃないよぉ」
てっきりプロポーズだと思っていたチコは、拍子抜けしてしまった。
「いや、これは大事なことなんだ……」
「だってそれ、〝言ったらダメな秘密〟でしょう?」
「え?!」
ロズは目を見開いて驚いた。
「まさか、きみも?」
チコもまた、〝言ったらダメな秘密〟を知っていたのか?
とっくに? いつから?
「だって、〝わたしたちの本当のお父さんとお母さん〟なんてママは一切教えてくれなかったのに、どうして6歳のわたしが知っていたと思う?」
「……それは」
「その先は言わないでね。〝お互いの秘密〟は〝秘密〟のままで」
「……でも、2人して、ほぼ喋っちゃったようなものだけど」
「肝心な秘密の部分は、言ってないはずよ……多分」
ロズは喋ってしまったような気もするし、チコも〝言ったらダメな秘密〟と口に出してしまったから――。
「これって、ふたりともアウトじゃない?」
〝せかいのひみつ〟は、ふたりから奪われてしまうかもしれない。
でも、それでもいいとロズは思った。
「かもね。だけど、わたしはいつも難しい顔をしてるロズのことが好き」
「……なんだよ、それ」
「わたしから告白させないでよ」
「……え?」
ロズは目を白黒させている。
彼にとってチコは、ふしぎな存在に思えた。
自分たちにとっては残酷な、地球人類の意図。
6歳のとき、チコはとっくに気づいていたというのに、何の葛藤もなく受け入れていたなんて。
自分が家畜のようにさえ思えたそれは、ロズにとっては生まれてきたことを呪うくらい悔しいことだったけれど、間違いなくロズという思春期の少年の精神の核をつくり上げた。
そんな自分を、チコはいつも「難しい顔をしている」なんて言っていたのに、まさかそんな苦渋満面の自分のことを好きだったなんて、ロズは思ってもいなかった。
(女の子って分からないな……)
「でも、すべてを忘れてしまったら、この楽園に何の反発も持たない僕になるかもしれないよ。そしたら難しい顔もしなくなるだろうし、チコにとってはつまらない人間になってしまうかも」
「そんなことないよ」
チコはそう言って、裸足で砂浜を駆けだした。
逃げるようにロズから遠ざかり、「捕まえてごらん!」とばかりに振り返って手招きをする。
ロズはその笑顔を愛おしく思った。
「じゃあさ、訊くけど、チコはひみつを知ってたのに、悩まなかったの? 自分たちに与えられた役割について」
人を好きになって生殖することだけが、課せられた使命。
(……地球の意識情報体こそが〝神〟だ。僕らは、神がこの惑星の土へばら撒いた〝人類の原種〟にすぎない……)
「悩むわけないじゃない! まったく、男の子は難しいことばかり考えるねえ」
チコは夕日に照らされながら、キラキラした瞳で笑った。
「だって人間って、生き物って、大昔からみんなそうじゃない? みんな自分が知らないうちに産み落とされて、わけがわからない世界で精いっぱい生きて、子どもを残したり残さなかったりして死んでいくのよ。鳥もけものも魚も、原初の人類も、みんなそうだった。それに比べて今のわたしたちは、恵まれすぎてるくらいだわ」
人間よりも進化した地球の意識生命体が、今の自分たちをどう見て、どう思っているのかは知る由もない。
ただ、ロズは思う。
チコに抱いている今のこの愛おしい気持ちは、自分の心に自然に湧き上がってきたものだ。
彼らが意図的に流し込んだものではないはずだ、と。
「この気持ちは作り物なんかじゃない! チコ!」
全速力でチコを追いかけながら、ロズは叫んだ。
チコは少しびっくりして足を止めたけれど、再び逃げるように砂浜を走り出した。
「この世界を美しいと感じる心も、僕らのものだ!」
「ねえ! やっぱりあなたは難しいことばっかりね、ロズ」
再び足を止めたチコを、ロズの腕がとらえた。
見つめ合う2人。
ロズはとても照れくさかったけれど、男の子なら勇気を出さなきゃいけないときがあると覚悟した。
「チコのことが大好きだ。小さかった頃から、ずっと」
「え~? わたしが先に好きって言ったから、いまさらそう言うんでしょう。男の子ってずるいよね」
「ちがうよ」
悪戯っぽく笑うチコの両肩に手を置く。
それから頬に手を当て、まっすぐに彼女の目を見た。
「ロズ、まーた難しい顔してる」
「困ってる顔なんだよ、これは」
チコはこらえきれずに笑った。
「わたし今、とっても幸せよ、ロズ」
「僕もだよ」
「地球からセロトニンが大量注入されちゃったのかしら?」
「──ええっ?」
「冗談よ、冗談。そんなこと、できるわけないじゃない。ママの目の届かないところでは注入なんかされないわ。それは分かってるでしょ」
「心臓に悪い冗談だよ、それは」
ロズはホッとため息をついてチコを抱きしめた。
とてもへんてこな告白だったけれど、ふたりは愛を誓い合う。
消去されなかった人類の秘密を抱えたまま──。
ずっと──。
この惑星で命尽きるまで、ずっと。
─ FIN ─