2.こどもたちの惑星
◇ ◆ ◇
出発時、宇宙船に生身の人間は乗らない。
200個の人類の受精卵が凍結した状態で積み込まれた。
「僕たちが乗っている船は、すでに数百年の星間飛行を経ていたのか……」
「そうだよ。到着の15年前に子どもたちが受精卵から20人ずつ段階的にかえされた」
「なぜ?」
「現地で育てるよりも、無菌状態の狭い宇宙船の方が安全だと判断されたからだよ」
目的の惑星にはすでに、出発のさらに数百年前から計画の準備段階として3Dプリンターとそれを操作するAIロボット、生態系をつくりあげるための多様な生物の遺伝子等が送り込まれている。
現地でAIが、用途に沿った別のAIをプログラミング。
惑星規模で大気や温度、地表を整備し、地球によく似た自然環境をつくりあげる。
必要な物資は3Dプリンターで複製。
素材は現地の惑星にあるものを利用する。
そうすれば、ロボットや建材が壊れても現地でどんどん調達できる。
地球によく似た自然環境――テラフォーミングはすでに完了している。
あとは実際に住んでもらい、細かい居住環境を整えるだけだ。
こうしてお膳立てされた「地球人類が住み得る環境」に、初の生体として送り込まれたのが、彼らだった。
「君たちは健康で性格温厚、頭脳明晰な遺伝情報を持つ〝両親〟による、凍結された受精卵として宇宙船に積み込まれたのさ」
ロズが一番驚いたのは、自分たちの脳内にはすでに〝胎児〟のころから神経信号を読み取る機械が埋め込まれており、意識や記憶は絶えずアップロードされ、地球人類と共有されているという事実だった。
しかし、このネットワークは一方通行だという。
つまり、ロズやチコたちの意識は地球人類側に筒抜けだが、地球人類の意識や記憶からロズたちはシャットアウトされていて、共有することはできない。
「そんなのは不公平だ!」
ロズは少し苛立ってきた。
「〝あなたたち〟は僕らに……これから行く惑星で繁殖して、増えろという。僕たちはそんなこと言われなくたって、きっとそうするんだろうけど、〝あなたたち〟は僕らのことを、たぶん笑いながら見ているんだ。きっと原始的な生き物に見えるんだろうね。そのことを、僕たちは知るすべもなく……そうか。僕らなんて、家畜みたいなものなんじゃないか?」
ロズは吐き捨てるように言った。
彼の脳の状態が危険だと感知した養育ロボットが、すぐにセロトニンを生成し、ロズの脳内神経に注入した。
「ロズ君ちがうよ。人類にとって技術の積み重ねや、歴史や文化は、もっとも大切な守るべきものだ。だから君たちにはその偉大なる財産を受け継ぐ者として、キチンと学習してもらった。生体の人類文明の継承者として、必要な範囲の知識や文化をね」
必要な範囲。
そこに彼ら地球人類の思想が反映されている。
事実、ロズを含むこどもたちは、暴力を知らない。
強い言葉で人を傷つけようとすると、ママに優しく諭される。
人間が本来持っている残虐性などが、注意深く取り払われた世界。
こどもたちの教育で、もっとも重要視されたのが愛情の大切さだった。
「人間は獣じゃない。だから君たちは好きな人を大切にして、愛情いっぱいの社会をつくるんだよ」
何となく煮え切らない気持ちでいたものの、大量に投与されたセロトニンによって、ロズの気持ちが強制的に落ち着いてきた。
「そのこと自体は、否定しないけどさ」
ロズは照れ臭そうに笑った。
◇ ◆ ◇
「うわあーーキレイー!」
「息を吸っただけで、とっても気持ちいいよー」
「風が肌に当たっていい気持ちー」
彼らが降り立った新たなる地表は、誰もいないプライベートリゾートのような世界。
どこまでも澄み切った空、深く青い海。
真っ白な浜辺。
緑ゆたかな草原と、手つかずの森林が広がっていた。
「ようこそ! 惑星〝アメリゴ・ヴェスプッチ〟へ。ここは、君たちのための星だよ」
出迎えてくれたのは、彼らの身の回りの世話をするロボットたち。
犬型、ねこ型、タイヤがついているものもいるが、皆やさしそうな姿をしていた。
それは少年少女たちにストレスを与えないようにデザインされたものだった。
総勢40人の子供たちは、シェルターハウスに案内された。
ちょっと奇抜なデザインだけれども、そこは快適な居住空間だった。
安全な水はもちろん、好きなものをいつでも食べられる冷蔵庫もついていた。
大規模な地殻変動や自然災害にも耐えられる超高性能シェルターハウス。
ロズを除いたこどもたちの目は、ずっと輝いていた。
「皆の到着をお祝いして、今夜はパーティをしよう」
調理師ロボットが、美味しい料理を作ってくれる。
ロボットのAIは、これまで人類が蓄えてきた味覚のデータベースと様々な調理法を学習していた。
人間に先行して送られた牛や豚や鶏、羊やダチョウなどの家畜はロボットによって飼育され、併設する食肉用プラントで安全に処理される。
子どもたちが直接手を下す必要は一切ない。
移住した星でも、地球と変わらない食文化が維持できる環境が整っていた。
「うわあ! これ知ってる! ローストビーフだ」
「ここにあるのはお寿司ね。いろんな種類がある。ホンモノはこんなにキレイな色してるんだー」
宇宙船内では、培養された栄養素だけしか摂取しなかった子供たちにとって、初めて体験する新鮮な食材を使った〝料理〟だった。
「お、美味しいー!」
「すごーい。これが、歯ごたえかあ。食べ物って、こんなに美味しいんだねえ」
年長組も年少組も、最初は恐る恐る、でもすぐに飛びつき、たった一人を除いて地球文明が誇る食文化を存分に楽しみ始めた。
「…………」
「ロズは美味しくないの?」
幼いころからロズと親しい少女チコが心配そうに声をかけた。
「美味いよ。けどさ、この惑星のことを考えていたんだ」
「なあに? どんなこと?」
「ここって地球じゃないだろ。今は地球みたいに青い海が広がってるけど、本当はどんな姿をしていたのかな? 独自の生き物はいたのかな? テラフォーミング前は、どんな景色が広がっていたのかな……」
「そうねえ……」
「ねぇ、遠くの方を見に行ってみたくはない?」
「居住エリア以外に行くのは禁止されてるわ」
居住エリアとは、AIによって完全に管理された領域のことだ。
惑星によっては、人類にとって危険な生き物や細菌がいる可能性がある。
そういった危険な芽を、ひとつひとつ摘み取って、こどもたちが安心して生活できるエリアをつくる。
AIロボットが日夜働き、安全に人類が居住できる惑星づくりに余念がなかった。
「僕たち、この星でずっと暮らすんだな」
「そうよ。誰か好きになった人と結ばれて、こどもができたら一緒に育てて、その子たちも誰かを好きになって……。そうして、命を繋げていくのよ」
ロズはギクッとした。
「……チコはそれでいいのか?」
こどもたちは、当初はシェルターで共同生活を行う。
しかし、もう学校での勉強も、食べるための労働も一切なく、一日中遊んで暮らせる世界だ。
愛情いっぱいに育てられた思春期のこどもたちが、好きなようにして過ごせる社会。
遅かれ早かれ結ばれる男女も出てくるだろう。
私有財産や社会的地位も存在しない、平等な社会。
政治はAIによって最適に運営されていく。
こどもたちは食べるために働く必要はない。
こどもを身ごもった女性は、育児ロボットによる適切なサポートの元、安全に出産できる環境が整えられている。
希望すれば新たに単身世帯向けのシェルターが造られたり、夫婦で暮らすこともできる。
あるいはシングルマザーとして生きることも自由だ。
子供を持たない選択肢を選ぶこともできる。
誰を愛するかも自由だった。
「ここはまるで楽園だな」
誰にも咎められないし、いざとなればセロトニンが投与される。
ロズは少しだけ皮肉っぽく笑った。
だがチコに、そんな皮肉なニュアンスは届かないようだった。
「だよねー。食べて遊んで、寝て暮らせるー。……でもね、人類って、本当は生きてると辛いことばかりだったんだってね。宗教学の本を読むと、つらい、つらいっていっぱい書いてあったわ。でもね、わたしは今、生きててこんなに楽しい。生きるのがつらいだなんて、信じられないわ」
チコは大きな瞳を輝かせている。
少しの悪意も疑いもなく。
「まあ、チコの言うことも分かる。でも、それだけじゃなくてさ。……僕たちが生まれてきた意味とか、自分が納得できる人生を生きたいっていうか……」
「ロズは小難しいことばっかり考えてるから、料理がおいしく感じないのよ!」
そう言ってチコは、ピタパンに肉を挟んだケバブサンドを美味しそうに頬張った。
マヨネーズとトマトケチャップを合わせたオーロラソースにスパイスを加えたソースが、牛肉とキャベツの味を引き立ててくれる。
こどもが大好きな味だ。
チコがあまりにも美味しそうに食べるので、ロズも無造作に手に取って食べてみる。
「……なるほど。美味いな、これ……」
いつも難しい顔をしているロズが、目を見開いて驚いていた。
かと思うと一心不乱にかぶりつき、あっという間に完食してしまった。
そしていつものように難しい顔に戻って、何かを考えている。
「そうかぁ。……幸せかぁ」
首を傾げながら、コロコロと表情を変えるロズに、チコは思わず笑ってしまった。
「そうよ。わたしたちみんな、ぜったい幸せだと思わない? だって、こんなに美味しいものを、まいにち好きなだけ食べられるんだから」




