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前編


 好きな人には、忘れられない人がいる。

 それがどうした、くらい言えなければ、そもそもニノンは恋なんてしていない。

 こういうのは、理屈じゃないのだ。そこは諦めている。


「いい加減、現実を受け入れてください魔王様」

「ニノンにはわからない。何百年経ってようやくその時がきたというのに。冷静でいられるわけがないだろ」


 だから、その恋しい魔王様に対してだって、割り切るべきは割り切りなさいませと言い捨てた。

 大の大人がもじもじと百面相している姿というのは、何を差し引いても鬱陶しくて、つい予備動作もなく拳を打ち込む。まともにうけた魔王はうめき声とともにうずくまった。


 これが魔王、とため息をつくのは、人間の身でありながら魔王側近の地位にいる少女ニノン。花盛りはいよいよこれから、魔王城に務める誰もが磨けば光るだろうにと思ってることなんて知りもしない、馬車馬が可愛く思えるほどに働きづめの十五歳。金髪紫眼ゴルトウィオーラは魔王領に境界を接する王国で貴種の血筋を示すけれど、ニノンに親類縁者の記憶はない。

 ちょっと複雑な事情から、ちょっと碌でもない境遇で生きてきて、ひょんな幸運で魔王様に拾われた。それがニノンだ。

 ニノンは魔王様のものであったし、魔王様もニノンに害をなすものは人間魔族魔物問わず皆殺しだ。魔王様の所有物・人間ニノン。幼い頃に路頭に迷っていたところを、拾われた。暖かい衣服と美味しいご飯、雨風しのげる屋敷に住まわせてくれる魔王様のために、ニノンは長年勉強に励み体を鍛え人間との交渉に挑み魔物たちを教育し魔族と力を合わせ魔王様が望む人間と魔族・魔物との共存を目指し日々取り組んでいた。


「当代聖女に会うための服が決まらない、なんて。デート前日の婦女子ですか」


 冷めきったニノンの眼差しに、床にうずくまったままの魔王様はむくれ顔を隠しもしない。


「あのねぇ、ニノン。そりゃあ僕は魔王だけれど、少しくらい浮き足立っても許されないかい。ずっと会いたかった聖女に、やっと会えるんだよ? 数百年越しだよ?」



 魔王様は聖女との再会を夢見ていた。

 それは何百年もの大昔。北の大陸統一国家の国教において、神格化された聖女アンと魔王の恋物語。人間と魔物との確執を癒し、共存を訴え続けついには実現のために建国までした彼女は、やがて魔物の王と恋に落ちる。

 死しては生まれ変わる魔王と、聖女とはいえただの人間であったアン。時間が二人を引き裂いた時、彼女は誓ったのだ。魂に誓って、いつかあなたの元に帰ってきてみせる、と。


 魔王というのは、人間と同じだけ生きて死ぬと、人間の子どもに生まれ変わる。生まれ変わって物心がつくと、魔王としての記憶を思い出し、覚醒する。魔物の王として、魔物たちを統べる王。人界と魔界をつなぐもの。

 そして聖女というのは聖なる力を持つ人間の少女。何十年かに一度という、守護の力が人並みはずれて強大で、様々な試験を突破した結果国一番と認められた女の子のことだ。神殿で『聖女』という役職を担い、やがて引退していく。前世の記憶なども持たない。つまりは神殿の権威を保つための象徴だ。


 魔王としての記憶が覚醒して十年、人として生まれてからだと二十歳になる魔王様と、聖女に就任して六年になる二十三歳の当代聖女。二人の対面は不思議と不運が重なり実現していなかった、それが明日、ようやく叶うこととなったのだ。

 それはまぁ、確かに、緊張しないでいろという方が無理な話かもしれないけれど。

 ニノンは泣きついてきた魔王様の側近各位の顔を思い浮かべながら、どうして私がこんなことをと内心で悪態づく。見捨てられない程度には長い付き合いなので仕方がなかった。

 魔王様のすぐそばに、ニノンは膝をつく。


「あなたが明日の朝、起きれない方が問題です。今日はもう休んでください。この衣装部屋の片付けはしておきますし、明日の衣装一式はちゃんと用意しておきますから」


 告げながら、寝れるのは何時だろうかと考える。ニノンは魔王様と聖女の対面の場には同席しないので、明日はこの魔王城でお留守番だった。ちょうどいい、泣きついてきた側近各位に仕事を割り振って、久々に休みにさせてもらおうか、なんて考えながら散らばった衣装へと伸ばした時、手を掴まれる。


「君がやることじゃあないでしょ。いいよ、わかった。もう寝る。余計なことしてないでニノンも休みなさい」


 掴まれた手首に視線を落とす。大きくて長い指はくるりとまわって、その親指は四本の指にかかっていたけれど、それでも、


「僕と聖女の予定を合わせるために、働きづめだったんでしょ。ねえちょっと、きいてる?」

「きいてませんでした」

「ハキハキ言わないでくれる? もしかして眠い?」

「いえ、魔王様の手が、大きくて」

「うん?」

「あの頃よりずっと、私、少しはましになったはずなのに、あなたの手は大きいままなので不思議に思って。つい、見ていました」


 拾われた時に掴まれたのと同じ手首のはずだった。あれから何年も経って、食生活もましになって肉もついたはずだというのに。ニノンは不思議でたまらない。まあ今この場で考えることでもないかと掴まれた手首を反対の手でそっとほどいて、さてと、と彼女は立ち上がった。


「お言葉に甘えて、今日は休むことにします。明日の朝様子を伺いに参りますから、ちゃんと起きていてださいね。侍従を困らせないように。やっとの思いで聖女様に会うんですから、格好良くして行ってくださいよ」


 衣装の山に埋もれる魔王様を置き去りにして、ニノンはさっさと自室に戻った。魔王様が就寝するまで側に控えている侍従は、床にうずくまったまま呆然としている魔王様へなんと声をかけて良いやらと、途方にくれる。まぁ、我らが魔王様とニノンのそんなやりとりはいつものことなのだけれど。





 翌日の魔王城は、朝からどこも慌ただしい。身支度を済ませた魔王様が、馬車に乗るため表に出てくればなおさらだった。

 漆黒の髪に黒曜石の瞳シュワルツネッラ。絶世の美貌に万人を魅了するその眼差し。魔王様というのは伊達ではない。さらに今日身に纏うのは、艶のある黒の布地と銀糸をふんだんに使った、魔王様のためだけに誂えられた一級品だ。前夜に迷う余地などなかったのだ、今日この日のための衣装はすでに仕立て上がっているのだから。

 魔王城に働く誰もが主人のその姿に見とれ、ため息をついた。


「……なにあれ、花婿衣装かな?」

「そうとも言えます。長年すれ違い続けていた聖女様は、今回初めて年回りも近く添い遂げられるほどですから」


 なんなら結婚も繁殖も可能だ。下品すぎるので誰も言わないが。

 見送りに出てきたニノンも、同じく留守番組の同僚と並んで少し遠くから魔王様を眺めている。うん。我らが魔王様は今日も麗しい。けれど、これから会う当代聖女というのも、絶世の美少女なのだという。銀髪翠眼ジルヴァヴェルデに聖母の微笑み。聖女アンの生き写しだという噂も、魔王陣営の気を揉ませた。


 いつか生まれ変わって戻ってくると約束した聖女アン。まさか彼女がその生まれ変わりなのか。


 当代聖女の調査のため、魔王城の精鋭が何人も神殿に潜り込んだものの返り討ちにあっていた。当たり前だ。魔物も魔族も神殿に入り込めるわけがないのだ。なんで誰も止めなかったのか。ニノンに密偵の打診があったけれど、「興味ないです」の一言で打ち砕かれた。


「花嫁にって聖女連れて帰ってきたらどうします?」

「それはそれでいいんじゃないですか。もしも、聖女アンの魂が魔王様を求めてさまよっていたなら浮かばれるでしょうし、魔王様も長年会いたかった彼女と添い遂げるなら本望でしょう」

「魔王城が浄化されちゃう……」

「それは私がさせませんし、共存を指針とする聖女だってそうでしょう。双方の意見を取り入れて、落とし所を探します」

「それはどーも。それで、ニノンはどうするの?」

「どうもしません。引き続き、魔王様に誠心誠意お仕えします。同じ人間として力になれることがあるなら、聖女様にも仕えます。花嫁として連れてきたなら、魔王様も私たちに大事にしてほしいでしょうし。私に聖女様付きの打診があったなら、侍女にもなってみせますよ」


 そんなニノンの言葉を、いやそれはどうかなぁ、と同僚は否定する。魔王様がなにを考えているのか、それは長年仕えてきた彼にも知ったことではないけれど、少なくとも魔王様はニノンを自らの所有物として認識している。たとえそれが花嫁であっても自分以外が彼女を使うことを許しはしないと確信があった。


「過保護だからなぁ、魔王様」


 ニヤニヤしながら見つめてくる同僚を、ニノンは不思議なものを見るような顔をたあと、わずかに眉をしかめる。


「過保護もなにも、魔王様の伴侶に敬意を払うのは私たちの当然の義務でしょう」


 なにを言っているのか、と怒りをあらわにするニノンに、人間の情緒などわからんなぁ、と魔王様の腹心の部下は首を振る。会話が噛み合ってないことはわかっていたけれど、なにも言わずに身を翻した。


「魔王様不在の間、やるべきことをやりましょうか。近隣の村の見回りは我々にまかせて、ニノンは魔王城内の雑務を」

「わかってます。魔王様不在の間、羽目を外しがちな魔物の統括は任せました」


 いわれなくとも、とニノンは膨れつらをし、自分の仕事をしに戻っていった。









 さて、聖女と面会を果たし、魔王城へと戻ってきた魔王様だったけれど、魔王城で働くものたちが心配したような「花嫁を連れ帰る」などということはなかった。


「えぇ? そんな心配してたの、お前たち」


 バカなの? と笑い飛ばされて、ニノンや侍従をはじめとして、思い当たる節のあるものたちは咳払いとともに視線をそらす。

 魔王城の玄関ホール、帰り着くや否やの出迎えの言葉の中に出て来た聖女様の話題に、魔王様はあのねぇ、と苦笑マジに指をフリフリ言い聞かせた。


「神殿の聖女様っていうのは、僕らが触れていいものじゃないんだよ。みんなのための聖女様。人間と魔族の間を取り持ってくれる、平和の象徴。いやでも、本当にそっくりでびっくりした。当代聖女、聖女アンの家族の子孫で、遠い血縁なんだってさ」


 思い返すように言って、小さく笑う姿はなんだか嬉しそうだ。会えてよかったのだろうと誰が見てもわかる。それなら、なぜ連れ帰ってこなかったのだろう。特に短絡的な下働きなどは顔に疑問符を浮かべて首を傾げた。


「それより面白いことがあったから、それどころじゃなかったよ」


 くつくつと肩を震わせ、魔王様は笑っていた。


「僕が招待されたのは昼間の茶会だったけれど、どうもその茶会を利用したい人物がいたようでね。僕をはじめとして、国の有力貴族が招待されたその場で。あぁいや、僕の目の前で、という方が正しいかな」


 なんだと思う? と魔王様は出迎えに来たものたちに問いかける。ピリリと空気が震え、魔王様が御機嫌斜めであるのを感じ取ったニノンはパン、と手を叩いた。


「ひとまず、荷ほどきを。魔王様はお部屋に参りましょう。もうお休みになるなら、着替えの人手は私で足りますね? お疲れでしょうし、早く行きましょう。すぐに」


 その言葉で、集まった人々はハッとしたように仕事に取り掛かった。ただの人間であるのはニノン一人だからこそ、それ以外の魔族たちは魔王様に呑まれてしまったていた。

 わかっていてやるのだ、憂さ晴らしのように。

 実際に、魔王様はちょっと口を尖らせてニノンを見下ろしている。


「なんですか」

「君ってちょっと優しすぎるよね?」

「全部あなたのためです」


 まったくもう、とため息をつきながら、ニノンは魔王様の服の裾を掴んで引っ張る。


「お部屋に行きますよ、いたずら魔王様」


 これでころっと機嫌が直るのだから、魔王様もちょろいものだった。ニノンの同僚たちは感謝の念を送りつつ、そそくさとその場から去っていった。取り残されていく様子を魔王様はぐるりと見まわして、まあいいか、とニノンの裾を引く力に従った。


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