囚われの身
「お前が何か、俺にどんな変化が起こるのか、分からない。分からないが、お前を害することを直感が否定し、お前を側におけば何故か心が安らぐ気がする。……お前が俺をなんと呼んだのか、言うのが嫌なら無理強いはしない。だが、このまま帰したくはない」
豪奢なベッドの中、リーシアを腕の中で閉じ込めるように抱きながら、魔王が告げる。
「……そんなことは、無理やり誘拐してきて言うものじゃないでしょうに」
丁重に扱うのなら、そもそも攫うなといいたい。リーシアは心の中でため息をついた。
「だが、黒狩りは人間の国で有名だろう? 女たちが二度と国に帰らなかったことも。女を取り返そうとこの国に来た人間たちが、二度と国に帰らなかったことも。お前に正面切って、来いと言ったところで、いらぬ人死にが増えると思ったのだ」
「人死にを気にするんですね。息を吹きかければ消える命なのに」
リーシアの言葉に魔王様は苦笑する。
「そうだな。だが、お前が気にして口を閉ざすかと思ったのだ。フィグに聞けば、お前は見捨ててみせたそうだし、生かしたままでも口は閉ざされたが」
魔王の言葉に、それでは自分が魔王より冷酷なようではないか、と思いはするが、ある意味事実なので反論はしない。
「お前、でいいです。私も、名前をなくすことにします」
「……名乗るのすら嫌、か。嫌われたものだな」
魔王の吐いた息がリーシアの髪を撫でる。
「ですが、ここからひとりで帰れるとも思っていません。私の魔力では、この場所と元居た場所を一度で結ぶ転移は不可能ですし、魔族の土地で中継などしていれば、魔力の回復前に他の魔族に狙われるでしょう。もちろん、そうなれば私は死を選びます。……私に何も無理強いしないなら、ここに居る分には抵抗はしませんよ。ひとまずのところ、毒はきらしてしまいました」
それでも、リーシアが魔王に譲って見せたのは、彼が全てを忘れたからではないからだった。忘れたままでもリーシアの前世を求め続ける魔王に、側に置かれるくらいなら許してやってもいいかと思ったのである。
自分のために、あがいてくれるのを見るのは楽しい。……自分の命が懸かっていなければ、きっともっと楽しいのに。
なにより、元居た場所に、リーシアが戻る理由になる人間はいないのだから。
リーシアの言葉に魔王は乾いた笑いを漏らす。
「では、今日はこのまま寝るとしよう」
「わかりました」
言うが早いか、目を閉じたリーシアの身体を、壊れ物を扱うように、魔王の腕が抱き寄せて、魔王も目を閉じた。
その夜、初めて、魔王の夢に出てくる女の、のっぺらぼうだった顔に口が出来た。そしてその顔は、笑みを浮かべたようだった。
「おはよう」
リーシアが目をあけると、魔王の声がした。リーシアの直ぐ前に魔王の夜着があり、目線をあげると、魔王がリーシアを見つめていた。どうも、目が覚めてからずっとそうしていたらしい。
「……おはようございます。相当にお暇なようですね」
「顔を洗う湯を持って来させよう。望むなら、隣に風呂もあるが。着替えはどうする?」
「では、お風呂を。着替えはお任せします。重くなければなんでも」
人に飾られるのは嫌だが、着たきりというのも気分が悪い。例え、洗濯の魔術があったとしても。
「食事は?」
「朝は不要です。人間の嗜好品がこの場所にあるならば、珈琲が飲みたいところですが」
リーシアが訪れたことのある、祖国を含めた3カ国と、アルバ自治区は、気候上、コーヒーの木が存在せず、珈琲を飲む習慣もない。
だがリーシアは、大陸の端の方には、それがあることを知っている。ダメ元でリクエストしてみれば、魔王は簡単に頷いた。
「用意させよう」
魔王はベッドの上から、サイドテーブルのベルでメイドを呼ぶと、リーシアが望んだとおりのことを言い伝える。
リーシアが風呂へ入っている間に着替えと珈琲が用意されていた。
着替えは、どこでどうやって調達してきたか分からない、どこの王女が着るのだと言いたいほどの綺麗なドレスであった。ただ、リーシアが釘を刺したのもあって、布やレースが幾重にも重ねられている、ということはなく、ただ、その生地が素晴らしい。
着るものに頓着などないし、他人に着飾られるのも、というか、誘拐犯に服を与えられるというのも複雑な気分ではあったが、現代人の感覚からすれば、着替えないという選択肢もない。
着替えた後で、ゆっくりと熱い珈琲を飲むリーシアを魔王がじっと見つめてくる。
数年振りの懐かしい味に、リーシアが喜んでいるのが伝わっているようで、実は悔しい。
「……」
リーシアは少し目線をあげてその様子を見るが、特に何も言わずに珈琲を飲み続けた。
「何か望むものは?」
「私、無償というものが好きではないのですが」
「だが、俺の望みを聞く気はないのだろう? ならば、俺が与えるものは受け取れ」
「……では魔術書を。それを読んでいれば暇はつぶれるので」
リーシアの言葉に、魔王は満足そうに笑って、それもメイドへ言い伝えた。
その日1日、魔王はずっとリーシアのことを見つめて終わり、夜、昨日と同じようにリーシアを抱きしめて魔王も眠る。
2日目に同じように朝を過ごしたところで、魔王の部屋に眼鏡をかけた気難しそうな男が入ってきた。もちろん、魔王は面倒そうではあるが、入室の許可はしている。
「陛下、お願いしますから、せめて執務室へは顔を出して下さい。お仕事をしろとは、この際申し上げませんから、私が作成した書類に判をついてください」
「全権与えているだろう。印も渡したはずだ」
「お返しした記憶もありますが」
「そうだったか? 2人とも要らんのであれば壊そうと言ったところで、お前が取りあげた記憶があるが」
「……人間の子どもの所為で魔王がふ抜けたとでも噂が流れれば、よくて強硬派がつけ上がり、悪くてその娘が狙われますよ」
「俺の目を掻い潜れるならやらせてやれ。もちろん、残さず殺してやるが」
眼鏡の男は深い深い溜息をついて、その顔をリーシアへと向けた。
「お嬢さん、私は陛下のなさりたいことを邪魔するつもりはありません。アナタを側に置きたいと言うなら、反対派を押しとどめるつもりです。なので、アナタから言ってもらえませんか、仕事をするように」
「さぁ? 私がこの場にいるのは、私の望みではないので。」
そして、リーシアの言葉に天を仰いだ。
4日目、今日も同じく怠惰な日々をおくる2人だが、今日は空模様がすこし異なり、朝から大粒の雨を降らせていた。
「……同じように天気は変わるんですね」
「それはそうだろう。人間の国と海を挟むとはいえ同じだ。特別な結界を張ってあることもなし、天気は変わる。……だが、まぁ、この天気は気が滅入るな」
でしょうね。
リーシアは前世の彼が、雨が嫌いだったことを知っている。また、その理由も。
記憶がないままでも、前世の意識が受け継がれていることがあるのだろう。
部屋の窓から視線を外した魔王が、気晴らしのように呟いた。
「雨が止んだら外へ出るか。街を案内しよう」
「結構です」
即答で否の返事を返したリーシアに魔王が溜息をつく。
「なぜだ? お前と俺が初めて会ったのは街中だった。部屋に籠るだけでは不便があるからそうしていたのではないのか」
「……アナタに飼われている以上、自分から外へ出て何かを買う必要はないでしょう? それに、ここでは私の持っている硬貨も、私が売れる魔石も、無価値です」
魔族の大陸には魔王の魔力が満ちている。そのことは、リーシアも伝え聞いており、また、実際に大陸に入ってその噂が真実だということも分かった。
世界にこれだけ魔力が溢れていれば、ただの石すら、道端に転がっているだけで魔石になりそうである。
「ならば、俺がお前を連れ出したい」
「文句が受け付けられないならば、そのとおりに。このくらいで自死は選びません」
囚われの身、とは()




