10
結局、小僧は売り物にするはずの薬も少しばかり使い、折れた後ろ足に添え木をしてやる。状態が多少落ち着いたとはいえ、まだ油断のならない身体の癖に、件の猫は小僧の腕に抱かれて安心しきって眠っちまった。こいつに使った薬代は誰に請求すりゃいいってんだい。
「――――でも、こんな小さな仔猫に、どうしてこんな酷いことを…」
猫の寝顔を見ながら、小僧がぽつりと呟く。
「尻尾をご覧。股になっているだろう?尻尾が割れた猫は不幸を呼び寄せるなんていう迷信があるからねぇ」
「迷信?」
「ヒトの無知や恐怖、保身や欲から生まれた筋の通らない言い伝えのことさね」
「……、そんなことで…」
「馬鹿馬鹿しい作り話なんかで、簡単に命を傷付けちまう。人間ほど身勝手で残酷な生き物を、あたしゃ他に知らないね」
「――――すみません」
「どうして、お前が謝るんだい」
肩を落とす小僧に問えば、小僧は自分を責めるように答えた。
「僕も…人間なので」
「は?半人前が、生意気に何言ってんだい」
「あ、そ、そうですよね…っ。す、すみません」
そんな風に謝って赤くなる小僧に、あたしは背を向ける。
「随分余計な時間を食っちまったじゃないか。さっさと薬屋へ向かうよ」
そう言って歩き出せば、小僧は猫を抱えたまま、静かに静かにあたしの後ろをついてきた。腕の中の仔猫に出来る限り振動を与えないようにして。
「へぇ、シナプシリアの高原とはね!あの森の奥には、まだそんな場所があるのかい!いや~、今回は随分とあの花を使った貴重な薬があるなぁって思ってたんだけど…。そうかぁ、あんな貴重な花がねぇ」
あたしの持ってきたものを店のカウンターで検分しながら、薬屋の主人が感嘆した風で言う。
「貴重貴重って、お前さんは言うがね、昔はシナプシリアの花なんざ、季節が来ればそこかしこの道端に咲いていたもんさ」
「何百年前の話だよ、ジーナ。そりゃ、昔は水も空気も綺麗だったからね」
「は。自分達であちこち汚しちまって、自分で自分の首を絞めるなんざ、人間ってのは本当に間抜けなウスラトンカチだね」
「手厳しいね。まぁ、その代わりに我々は大きな利便性を手に入れているわけだからねぇ。あんたと違って短命な人間は、時間が惜しいってもんなんだよ」
「つまらない言い訳さね。それより、さっさと見積もりを出しとくれ、日が暮れちまう。小僧!」
「は、はいっ!」
唐突に名前を呼んだあたしに、店の隅に居た小僧はぱっと顔を向けた。
「そろそろ帰るから、その猫をとっととどっかに捨てといで」
「――――え?」
「聞こえなかったのかい?捨てといで」
「あの、あの…っ、連れて帰っては駄目ですか?」
「ウチにはエシータが居るし、鶏だって飼ってんだよ。猫なんざ連れてけるもんかい」
「僕、お世話をちゃんとしますから…っ」
「お前は、お前自身が世話になってる身だってぇのを、解っちゃいないのかい?」
「それは…、でもっ」
悲しげに眉尻を下げた小僧だったが、それでもあたしを説得しようと顔を上げる。けれど、薬屋の店主の声がそれを遮った。
「坊主が抱いてるのは猫だったか。怪我をしているのかい?」
カウンターから出てきた店主は、小僧に歩み寄り、腕の中を覗き込む。
「このお店の裏の路地で倒れていたんです。奥様が薬をくださって、手当てはしたんですけれど、まだ気を抜ける状態ではなくて」
「ははぁ、こりゃ酷いね。……おや、尻尾が割れているじゃないか。二股?否、三股だね。これは珍しい」
猫に伸ばされた店主の手を躱すように、小僧は身体を捩った。
「…っ、この仔は…不幸なんて、呼んだりしませんっ」
「え?」
小さな怒りを持って放たれた小僧の言葉に、店主は目を丸くして、あたしの方に視線を向ける。
「小僧、安心おし、ここの店主は何もしやしないよ。尻尾が股になってる動物には魔力があると言われてんだ、魔法具や魔法薬を扱うようなところでは重宝とされてるもんさ。大層縁起がいいってね」
「でも、でもっ、奥様…さっきは」
「同じモノでも、ある者は吉とし、また別のある者は凶とみなしちまう。全く勝手な話で、勝手な生き物だよ、人間てのは」
あたしの言ったことに、小僧は自分の早合点を知り、顔を赤くした。
「あ、あの…、ごめんなさい、店主さん。僕、」
戸惑うことなく紡がれる素直な謝罪の言葉に、店主は頭を掻く。
「いやいや、こっちもちょっと不躾だったよ。そうか、その猫がそんな怪我をしているのは、その尻尾を不吉だとされたからだったんだね」
「その場に居て見ていたわけじゃないよ。あたしの見立てさね」
「まぁ、ジーナの見立てじゃ、間違いないだろうな。それに――――もう、視たんだろう?」
「――――視ちゃいないよ」
「み、る?」
あたしと店主のやり取りに小僧が首を傾げるが、店主はそれに気付かずに、猫の頭に手を乗せた。
「三股の尻尾を持ってるってんなら、ウチで飼わせてもらえないかい?もちろん、ちゃんと可愛がるよ。店にとって縁起のいい猫だ、粗末に扱ったりするわけないだろう?捨てるくらいなら、ウチに譲ってはくれないかね」
「本当ですか…っ?」
店主の笑みに小僧の目が輝く、が。
「小僧。お前は、あたしの話を聞いてなかったのかい?」
「え?」
「そいつは、もうヒトには懐きやしないんだよ。この店に置いてもらえたとしても、直ぐに逃げ出しちまうだろうさ。今、捨てちまうのと、何も変わりやしないよ」
「そんな…」
小僧の目に涙が粒になって浮かぶ。何だって、お前は、こんなボロ雑巾みたいな猫の為に泣いちまえるくらい馬鹿なんだい。全く、面倒ったらありゃしない。
「――――。…ま、手が無いわけじゃないけどねぇ」
「奥様、本当に?」
長嘆しながら言ったあたしの言葉に、小僧の涙は引っ込んじまいやがった。現金なモンだね、全く。
「忘れさせりゃいいだけさね」
「ジーナ、まさか」
店主が驚いた顔をあたしに向ける。そりゃそうだろうよ、今日の売り物の一等の目玉として、あんたに売りつける心算だったモノだからね。店主の言葉を借りれば――――とびきり貴重な薬ってこった。何だって、今日っていう日に持ち合わせちまってるかねぇ。
あたしは盛大に溜息を吐いて言った。
「――――――――忘却の薬を使や、一発さね」