第88話 決着
俺はキョウコがこの部屋から逃げないように注意しながらその距離を詰めていく。
この部屋の出入口は一つだけ。俺の後ろにある。
キョウコが脱出するためには俺を抜いて後ろまでたどり着かなくてはならない。
力では俺のほうが勝るとはいえ、敏捷性まで勝っているかと言うと、そこは断言できないどころか劣っているだろう。
俺は両腕を広げてなるべくキョウコが逃げる範囲を狭くしたうえでにじり寄っている。
キョウコはその場から動こうとはしない。
細長い部屋なので、キョウコの後ろにはまだまだスペースがある。単純に逃げるだけならばそっちに逃げる方法もあるはずだ。ただしそちら側は行き止まりだがな。
急に動き出して俺をかく乱する算段かもしれない。
どちらにせよ俺は引き続き注意を払ってキョウコを捕まえるだけだ。
あと少し、あと少しでこの狂犬を捕まえられる。
そう思った瞬間、俺は体に痛みを覚えた。
「ぐっ……」
キョウコのひざが俺の腹にめり込んだのだ。
その一撃で終わらずに、パンチが、キックが俺に飛んで来た。
「高校生だから、女の子だから勝てると?」
蜂のように刺す攻撃が次々と俺を襲ってくる。
それに合わせて後ろで束ねられた黒髪が左右に揺れている。
一つ一つの攻撃は致命傷にはならないものの、俺はその攻撃になすすべも無い。
剣さえなければただの女子高校生だと思っていた。
甘かった。運動部ってのは大嫌いだ。
伸びてくる手や足を捕まえてやろうと頑張ったが、その度にするりとかわされて攻撃を貰ってしまう。
喧嘩をしたことのないインドア派の俺の戦闘能力なんかこんなものだ。
「さっきまでの勢いはどうしたんですか?」
ぐぐぐ、全くもって言い返すことが出来ない。
攻撃の手は緩むことが無い。
たまに俺の見えない攻撃も飛んでくるし……。
だけどな、口は回るぞ。
「そんな細腕の攻撃なんか効きやしない。もう少し体重をつけておくんだったな」
「ダイエットしてるんです。女子の嗜みですから」
さらに手数が増えた。俺は急所を守ることで精一杯。じりじりと削られていく。
だけど勝機はあるはずだ。なぜなら、キョウコの息が上がってきているからだ。
さすがにこれほどの動きを絶え間なく行うにはあの細い体には酷なのだろう。
とはいう俺の方もずっと蹴られ殴られ続けているわけで。
「くっ……」
いい一撃を貰ってしまい体がよろけてしまった。
キョウコがこの隙にと、唯一の出入口であるドアへと走りだす。
なろっ、逃がすか!
俺はよろける足を踏ん張りキョウコの急な動きに対応すべく力を籠め、俺の横を抜けようとする彼女に掴みかかろうとする。
が、急に膝の力が抜けてしまい――。
「きゃあっ!」
勢い余ってドサリと彼女を押し倒した。
「このっ、どいてください!」
俺の体の下でもがくキョウコ。
逃げる途中に覆いかぶさられた彼女はうつぶせの状態。
その状態から逃げ出そうにも、成人男性の体重の前にはな為す術も無いようだ。
ジタバタと暴れてはいるが、この密着状態から繰り出される攻撃など威力も何もない。
綺麗な黒髪が動きに合わせて視界に広がっていく。束ねていたリボンが解けたのだろう。
「絶対に逃がさないからな」
俺がキョウコよりも有利に立てる機会など、もう二度と来ないだろう。
今ここで勝負を着けなければ。
さらに体重をかける。
長身スリム男性の体重を甘く見るなよ!
「お、重い……、どいて、ください……」
どうやら相当参っているようだ。
キョウコの動きが徐々に鈍って、抵抗が弱くなってきた。
だけど残った力を使ってか、体を丸めて抵抗しようとしてるぞ。
思い通りになんかさせるものか。
俺はキョウコの片手を掴む。
「ひっ、や、やめてくださいお父様!」
お父様?
俺を父親と勘違いしているのか?
「ごめんなさいもうしません、だから許してください。もうしませんから……」
急に抵抗する力が抜けたキョウコ。
とうとう観念したのかと、ふと見た彼女の顔は、目をぎゅっと瞑って涙をボロボロと流しているものだった。
俺は彼女の語った複雑な家庭事情を思い出した。
厳しく躾けられたと言っていた中には体罰も含まれていたのだろう。今のご時世ならすぐにニュースになる所だが、20年ほど前の日本なら表には出てこないに違いない。
つまりは俺の行動が引き金となって、トラウマである父親からの厳しい体罰がフラッシュバックしたのだろう。
彼女の生い立ちには同情するが、だからと言ってこれまでの行為を許すわけには行かない。
俺は自分の下で泣きじゃくるキョウコの手を離す。
いつまでもキョウコの上に乗っている訳にもいかないし、このままキョウコが大人しい状態が続くとは限らない。
俺は自分のズボンのベルトでキョウコの両腕を後ろ手に縛り上げる。
その間、彼女が抵抗することは無かった。
素人がベルトで作った拘束状態なんかまったくあてにならないし信じられない。
念のため部屋の中にあったロープでキョウコの上半身をぐるぐる巻きに縛っておいた。
自分で歩けるように足は縛っていない。
なぜならこれから移動するのに、俺が彼女をお姫様抱っこして歩くような体力が残っていないからだ。
万が一にも逃げられないように、ロープの端を俺の体と結んである。
準備は万端だ。
俺は焦点が定まらず無表情のキョウコを立たせて部屋から出る。
俺の作り出している反魔法力領域は実は部屋の中だけの範囲に限定していた。部屋から出てしまうとマナが存在し魔法が使えるようになってしまうので、少しずつ反魔法力領域の位置を変えて移動しているのだ。
もちろん裏で魔法障壁さんが全開で頑張ってくれている。
「君は異世界法廷に立ってもらう」
地上へ向かう途中、俺はキョウコにそう言った。
ベルーナを殺した罪はそこで裁いてもらう。
法治国家である以上私刑は許されない。
それにそんな事をしてもベルーナは喜ばないと思うからだ。
俺の言葉にキョウコは反応を示さなかった。
ただヨロヨロと足を前に出して歩いているだけだった。
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螺旋階段を登り切り地上に出た瞬間、割れんばかりの大歓声が聞こえてきた。
辺りに人はいないがこの歓声。
俺は上に目をやった。
事務棟から、城壁から、魔術士部の職員と軍の人達が身を乗り出してこちらに歓声を送っている。
どこから取り出したのか、紙吹雪も舞っている。
『勝利の一報を映像と共にお伝えしておきました』
なるほど、それでこの大歓声か。
「流石は勇者ヒロ! 見直したよ」
「将軍でも倒せなかったヤツを良く倒したな!」
「私達が総がかりでも倒せなかったのに、たった一人で倒すなんてすごいわ!」
歓声の中からそう聞こえてきた。
褒めてくれるのは嬉しいけど、それでベルーナが生き返ったりはしないのだ。
「さすがはヒロさんです!」
そう、こんな風に褒めてくれることはもう無いのだ。
……って!?
「ベルーナ!!!!!!!!?????」
「はい」
振り返ったそこには、緑色の髪の毛のおさげが二つ、そして赤色の眼鏡を掛けた少女の姿があった。
「どうして……。ベルーナは死んだはず……」
「恥ずかしながら……トイレに行ってたら、なんか私が死んだことにされてて、出て行くタイミングがですね……」
「ベルーナ!」
俺はベルーナを抱きしめた。
ベルーナベルーナベルーナベルーナ!
ベルーナベルーナベルーナベルーナベルーナベルーナ!
本当に良かった……。本当に。
温かいし……いい匂いがする。
本当にベルーナはここにいるんだ……。
「ヒロさん痛いです。もう少し優しくお願いします」
「ごめんベルーナ。でも今は許して……。
死んだと思ってたんだ。あの瓦礫の中、魔法障壁さんは生命体反応は無いって言って……」
「そうだったんですね……。でももう大丈夫ですよ。私はここにいますから」
「よかった……。もう離さない。ずっとこうしていたい」
「ダメですよ。ほら、みなさんが降りてきましたよ。さあ最後までお仕事してください」
名残惜しいが仕方ない。
続きは後でゆっくりしてもらうことにしよう。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
実は、完結まであと2話となります!
あと少しお付き合い願います。




