第80話 俺が愛する至宝は大きさに左右されない!
「あ、逃がしませんよ!」
俺は金属製ボディを持つ経験値が高く逃げ足の速いあの魔物のごとく逃げ出す。
もちろんそんな美味しい魔物を逃がすはずもなく、すぐさまキョウコは追いかけてくる。
「お待ちなさい、って、…………?」
ふと、俺を追いかけていたキョウコの動きに異変が起こる。
足が地面からゆっくりと離れると宙に浮いて……動かす足は空を切り、まるで空中で泳いでいるかのようだ。
そう、実は俺は3枚目の魔法障壁を展開済みだったのだ。
もちろん無色透明な。
「ふはははは、俺が展開していた魔法障壁が2枚だけだと何時から思った?」
この魔法障壁は硬度をかなり下げており、さながら液体のようになっている。
魔法障壁と言っても、正方形のプールの様なものを思い浮かべて貰えればイメージが湧きやすいだろう。
目視確認はできないが、その大きさは10m四方の巨大な正方形。
キョウコはその魔法障壁プールに気づかず飛び込んだという訳だ。
「がばぼばばばばば」
キョウコが何かを言っているが、こちらまで伝わってこない。
彼女が言葉を発する際に吐き出した空気は気泡となり液体魔法障壁の中を漂い始めるが、わずかな時間も待たずに消えていく。
「安心しな、それはマナでできているから吸い込んでも飲み込んでも害はない」
……はず。
だけど息は出来まい。
「さあ、降参するなら助けてやるぞ」
「ばぼぼぼぼがばばばば」
キョウコは手足を動かし泳いで脱出を図ろうとするが、水とは異なり抵抗がほとんど無いため、うまく手足で勢いをつけることが出来ていない。
魔術士部の面々がいる事務棟からの遠目では、キョウコが空中で手足をばたばた動かしているだけのように見えるだろう。
魔法障壁プールの中はその形質の維持のため重力にも干渉してるから、キョウコがいくら頑張ったとしてもその中心部からは逃れられないはずだ。
それでもキョウコなら脱出しかねないと思った俺は次の手段に出る。
「あぶっ!」
言葉と共に一瞬体をびくっとさせたキョウコ。
上級の魔法障壁管理者ともなると魔法障壁に流れるマナを変化させることで壁自体を帯電させ、触れたものにビリッと電撃ダメージを与えることができる。
それを応用し、魔法障壁プール内に電流を流したのだ。
通常は壁に触れなければ効果を発揮しないが、あの内部はすべてが魔法障壁の表面であり、その液体一つ一つが魔法障壁でもあるので電流を回避する術はない。
これが俺の虎の子、やわらか牢獄電流ビリビリの陣だ!
そう名付けよう。
ベルーナが横にいたのなら、すごいですさすがヒロさんです、と目をキラキラさせながらベタ褒めしてくれるだろう。
絶え間なく流れ続ける電流に、ビクビクと体を震わせているキョウコ。
そんなに強くない電撃だとは言え、なんだか可哀想になってきたぞ。
「さあ早く降参するんだ。そしたら止めてやるからさ」
俺も鬼じゃない。
きちんとごめんなさいしたら許してあげるよ?
「がぼぼぼぼ」
電流の衝撃に耐えながら、キョウコがこちらを睨む。
あれはまだ全然諦めてない目だ。
だけど、これ以上一体何が出来るっていうんだ。
俺がそう思った時、キョウコの両腕が光り始める。
あの光は先程の身体強化魔法だけど……それで一体何ができるって言うんだ。
どんなに早く泳いだとしてもそこからは出られないんだぞ。
するとキョウコは大剣の柄を両手で持ち、まるでドリルのように勢いよく回転させ始めた。
ほとんど抵抗のないはずの液体魔法障壁が回転する大剣に巻き込まれて渦を巻き始める。そしてその渦は次第に大きくなり、竜巻のように激しい流れを作っているのが見て取れる。
こ、これはまずいぞ。このままじゃ俺の虎の子の策が破られてしまう。
マナを追加してもっと電流を……。
そう思っている間に竜巻は膨れ上がり、内部から魔法障壁プールを吹っ飛ばした。
プールを形作っていたマナが霧散し、そこに捕らわれていたキョウコは受け身も取らずドサリと地面に落っこちた。
綺麗なつやを放っている黒く長い髪や、下着が透けてしまいそうな白いシャツは見る見るうちに通常の乾いた状態を取り戻していく。
「ぶはあっ、はーっ、はーっ、ちょっと酷くないですか?」
今まで息が出来なかった分を取り返すかのように肩で息をするキョウコ。
手足を地面に付いたまま顔をだけ上げ、こちらを見上げた。
ゾクっとした。
俺を見上げたキョウコの冷たい目が、まるで俺の何かを貫いたかのように。
息を整えたキョウコがむくりと立ち上がる。
「ゆっくりと反省してくださいねオジサマ」
大剣の腹でトントンと自らの肩をたたきながら、一歩一歩こちらに向かってくるキョウコ。
ちょ、ちょっと待って!
やばい、やばい。これやばいやつだ。
かなりご立腹だよ。やりすぎた!
土下座して謝ろうにも体が動かない。
なんか魔眼の類を受けたのか?
いや、土下座なんかしている場合じゃない。
とりあえずは逃げなければ!
動け、動け、うごけ、うごけ……
膝がガクガク震えている。
魔眼じゃない、これは本能的にビビってるタイプ。
俺があの子に……キョウコに屈してしまってるやつだ。
怖くない、怖くないぞ、ほら、あのつぶらな瞳を見るんだ。
ひ、ひぃぃぃ、だめだ、目は怖い。
そうだ、胸部だ。胸は人類の至宝。
至宝……、そ、そんな、あまり、無い……。
いや、いかんいかん。大きさじゃないんだ。俺が愛する至宝は大きさに左右されない!
うご、ける……。
少しだけ足が動かせた。
行けるぞ! 至宝への愛が恐れを上回ったのだ!
その動きを見逃さなかったキョウコは、強く踏み込んで一気に距離を詰め大剣を振り下ろした。
どっせーい! 本日何度目かのどっせーいだ。
相変わらずの無茶な体勢で回避し、地面を転がる俺。
もちろんその隙を逃すはずもなく、キョウコの凶刃が俺を狙う。
後、距離にして数歩も無い。
こんな状態からの逆転技など持ち合わせてはいない。
こうなったら一か八か、死なば諸共だ!
俺は拳を握りしめると地面に叩きつけた。
「きゃっ!」
これはあらかじめ仕掛けていた罠。
地面を密かに魔法障壁にしておいて、その全面にねばねばを張り巡らせたものだ。
広範囲過ぎて自らもそのねばねばにかかってしまうが背に腹は代えられない。
この広範囲ならキョウコも避けようが無いだろう。
思ったとおりキョウコもねばねばにかかって、って!
俺の視界をキョウコの体が塞いだ。
突進の勢いの中、急に足元がくっ着いたため体勢を崩しそのまま俺の体の上に倒れ込んで来たのだ。
キョウコに押し倒された俺の背中と後頭部はベタリと粘着物にくっついた。
技名は対案が出ずにそのまま採用となりました。